メディアの話、その51。科学の広報は、よくも悪くも「ひと」を描くこと。

つくば市の高エネルギー加速器研究機構に行ってきた。

こちらで、科学技術広報研究会(JACST:Japan Association of Communication for Science and Technology )の創立10周年のイベントに出席しませんか、とお声がけいただいたのである。

JACSTは、日本を代表する科学研究機関の広報担当の方たちが、手弁当で集まって行っている。

科学技術の当事者である研究機関が、最先端の科学技術をどうやって一般の人たちに「広報」すればいいのか。

いわゆるサイエンスコミュニケーションや科学ジャーナリズムについて、研究機関の「中のひとたち」が考えて、実行する。

実は恥ずかしながら、今回お声がけいただくまで、JACSTの存在を、私自身は知らなかった。知らないまま、出席して、知らないまま、トークセッションのファシリテーターまでやってしまった。厚顔にもほどがある。

幸いにも、日本の科学技術の最先端で広報実務に就いている、バリバリのサイエンスコミュニケーターの方たちと知り合うことができた。

備忘録を兼ねて、私がファシリテーションしたあと、帰って考えたことを記しておこうと思う。

先端の科学研究機関こそは、もっともメディアにする価値のある存在である。

なぜならば、そこでの研究は「未来」そのものだから、である。ただし、「未来」をメディアコンテンツにすること。多くのひとに、わかりやすく、でも事実に基づいて、理論的に正しく伝えること。それは、とても難しい。

数学と物理がすこぶる苦手な私は、科学がうまく理解できない。おそらく同じようなスタンスのひとは少なくないはずだ。

そんなひとに、科学を伝える入り口になるのは何か?

「ひと」じゃないだろうか。

つまりだ。科学そのものは難しくってわからなくても、その科学を研究している「ひと」の話を、取り組みを、魅力的に紹介すれば、科学を知らないひとが、科学に興味を持ち、科学を知る、第一歩になるのではないか。

私が橋渡しをして、まさに科学の現場で最先端を歩む科学者という「ひと」と、その研究を、毎回実に実に魅力的に紹介しているのが、作家であり、科学ジャーナリストである川端裕人さんが、『ナショナルジオグラフィック』のオンラインと『日経ビジネスオンライン』でずっと連載している「研究室に行ってみた」である。

2011年6月11日の連載スタート以来、さまざまなジャンルの「研究室」に赴き、科学者という「ひと」にインタビューし、研究内容を血肉の通った魅力的なコンテンツとして、読者に提供する。このインタビューからはさまざまな書籍が生まれたし、インタビュー後、注目を浴びるようになった研究者の方々もいらっしゃる。


http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/web/laboratory.shtml


http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120216/227278/

「「研究室」に行ってみた」シリーズの魅力は、川端さんの見事なインタビューと執筆により、あらゆるジャンルの科学研究がいかに知的興奮に満ちたコンテンツであるか、ということを認識させてくれることにある。

が、この連載のもうひとつの特徴は、小説家でもある川端さんが、形容詞を使わずに、インタビューした研究者を実に実に魅力的に描いて、まるで小説の主人公のように、連載のなかでキャラクターを浮き立たせている点だ。

これは、私の経験則にすぎないのだけれど、専門的な技術の話、専門的な科学の話、専門的な金融の話、専門的ななにかの話を、なるべくいろいろなひとに伝えようとするとき、とにかく当事者の方の「顔」が見えるようにインタビューを行い、記事をつくり、コンテンツを編集すると、難しい話を難しいまま、読者はちゃんと受け取ってくれたりする。

科学をやさしく噛み砕く、という言葉には、たぶんいくつか嘘がまじってしまう。やさしく噛み砕けない部分もあるからこそ、最先端なのだ。そのやさしく噛み砕けない部分は、読み手自らがときには自分の知的労力を費やして、自分の顎で噛み砕けるようにしなければ、結局伝わらなかったりするものなのだ。

となると、あるレベルの科学や技術を伝えようとする場合、注力すべきは、無理にやさしくすること、とは限らない。ぎりぎりまで努力はすべきだけど、無理はだめだ。嘘が混じる。

でも、その科学や技術を担うひと自身を魅力的に紹介することはできるはずだ。形容詞はいらない。動詞と名詞だけで、ハードボイルド小説のように行動と仮説と検証だけで、「なんだか難しいけど、このひとの話は思わず引き込まれちゃうなあ」と読者に感じてもらい、「よし、わかんない部分は、自分で勉強してみるか」と思ってもらうことはできるはずだ。

もちろん「ひと」を軸にすることが、科学技術をコンテンツにする術のすべてではない。でも、人間は、何かに熱中して脇目もふらないひとが大好きなのだ。そして、そのひとを通じて熱中している対象を目の前に提示されたら、やはり目を見開いて、見ようとするものなのだ。

科学と技術という、クールな理系の先端の話だからこそ、ひと、というホットな存在を描くことが、その先端の話の理解につながる。でも、当事者にいきなり会えるひとはそんなにいない。その役目を負うことができるのは、科学技術の広報やジャーナリズムの職についているひとたちだ。

ただし、科学を伝えるときに、「ひと」をクローズアップすることが目的となってしまうと、往々にして、間違ったコミュニケーションを生み出す。どんな事例があるか。読者の皆さんにも想像がつくだろう。

この塩梅が難しいですね。

続きます。



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東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)浜松出身。慶應大学経済学部卒。日経BP社で記者、書籍編集、広告Pを経て現職。NPO小網代野外活動調整会議理事。「ラジオNIKKEI」「渋谷のラジオ」出演。『国道16号線』(近刊)『混ぜる教育』『「奇跡の自然」の守りかた』など

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