メディアの話、その29。あまりに時代が早くって、たいへんだ。室町時代みたい。
早すぎる。
メディアの話を書き始めて、つくづく思ったことだ。
思いませんか。
いろいろなことがあっという間に進化して、あっという間に廃れて。
ちょっとよそ見をしていると、あっという間に時代遅れの浦島太郎。
そんな気分になりませんか。
あらゆる情報、場合によると実体までもが「デジタル」になった。そして、インターネットが登場すると、デジタル化された情報を実体とが自在にやりとりできるようになった。個人も、組織も、メディア=媒体、となった。
あらゆる「事象」がデジタルになり、あらゆる「ひと」がメディアになる。
結果、これまでのビジネスのかたちも、商品のかたちも、組織のかたちも、働き方も、遊び方も、生き方すらも、これまでとは違う。そんな未来に、みんながみんな取り組まなければいけなくなった。
いろいろなものがデジタル化するまで、時代ははるかにのんびりしていた。
20世紀は科学技術の世紀。でも、物質と情報は等価でなかった。その情報もアナログのまま伝えられていた。
電話を例にとる。昔からあるからね。
私が物心ついたころ、1960年代、家庭用の電話はまだまだ「めずらしいもの」だった。私の家族は父親の勤めている会社の寮に住んでいたのだが、電話のある世帯はほとんどなく、いちばんえらい上司のおうちにあるだけだった。黒電話である。電話を使う用があるときはそちらに借りに行っていた。あるいは、遠くから電話をもらうときは、その上司の電話番号を伝えて、電話をしてもらった。子供が自ら電話をすることなんかなかった。我が家にで電話が入ったのは、70年代に入ってから。おそらくそんなに遅い方ではなかったはずである。
60年代から70年代初頭にかけて、電話は、会社ではともかく、プライベートでは高級なサービスで、用もなくかけるものではなかったのだ。
80年代にはいっても、私の場合、電話は贅沢品だった。
東京の大学に進学して最初に下宿したところでは電話がひけなかった。知り合いには大家さんの電話番号をつたえ、必要なときはそちらにかけてもらう。自分自身がかけるときは公衆電話だ。お金がないから、実家にかけるときは「コレクトコール」。コレクトコールなんて30年ぶりに思い出した。
私が自分の電話を部屋にひくことができたのは、大学3年生になってアパートの一室に引っ越してから。
電話、すごい。人生で初めてそう思った。
なにがすごいって、遠くの誰かとずーっと話ができるのである。かくして私は電話中毒になった。自分がおしゃべりだと、友人もおしゃべりである。夜の11時くらいから夜明けの4時くらいまで、ひっきりなしに話をしていた。相手は男の場合もあれば、女の場合もあった。いったいなにを話していたのだろう。さっぱり思い出せないのだが、色っぽい話をしていたわけではなく、かといって日本の未来を変える生産的な話をしていたわけでもない。壊れたレコードのようにぐるぐる話をして、あんまり長く話していると、電話を切るのがくやしくって朝になる。
書いていて、なんだかものすごく遠い昔の話をしているような気がしてきた。でも、80年代の大学生は、いまだとバブルの空気をまとわせたくなるけど、貧乏な奴に関しては、これが実態である。
その後、大学を卒業してサラリーマンになって、当然のことながら自分の家に電話はあって、ただし80年代後半は当然携帯電話は存在しなかった。
携帯電話を所有するようになったのは1999年。一般よりやや遅い。ただ、私以上に携帯を持つのが遅く、21世紀になってようやく所有した友人もいた。
しかし、2000年代に入ると、携帯電話はiモードが搭載されて、インターネットと接続できるようになり、携帯電話の所有率は9割に迫り、2007年にはiPhoneがアメリカで発表され、2010年代には大半の人間がスマートフォンを所有し、あっというまに世界中の大半の人間が、スマホをインストールしたエスパーになってしまった。つまり、人間はスマホとセットで「メディア」になったわけである。正確にいえば、人間はもともとメディアであるが、マスメディア的な能力を有するメディアになったわけである。
その裏側には、いうまでもなくパソコンの普及とインターネットの発達があり、あらゆるコンテンツのデジタル化が起こり、しまいには3Dプリンターのように、ある意味で物質の転送までできるようになった、という技術の発展がある。
上司のうちに電話を借りに行った60年代終わり(アポロ11号が月にいったころだ)はもちろん、家電話で夜中に女の子と話していた1980年代半ばから眺めてみても、完全にSFの世界である。
全員がスマホでつながり、あらゆる情報がデジタルで流通するようになると、これまでの仕組みが全部がらがらと変わる。
大きな組織というのは、大きな仕事をするために「しょうがなく」できたものだ。ひとりひとりの人間が掌握できる人の数は限られているから、10人から10人単位の組織を束ねる1人を任命し、そういう課長10人を部長がいて、さらにそんな部長10人を束ねる本部長10人がいて・・・てなぐあいにピラミッドの組織ができあがる。
でも、個々の人間がダイレクトに情報をやりとりできる「だれでもメディア」の時代は、こうしたピラミッドの伝言ゲーム的な道筋をすっとばして、現場と経営が直にコミュニケーションをとれる。
そうなると、現場と経営は上下じゃなくって役割分担に変わる。
さらに、人工知能が登場し、人間より劇的に早いスピードでたくさんの学習を行えば、人が介在する仕事も飛躍的に減る。とりわけ、伝言ゲーム的な仕事はいらなくなる。
しかも人生100年である。信長もびっくりである。
人生100年時代なんてリンダ・グラットンが言ったら「定説」になっちゃったので、余計みんなパニックである。人生80年ですら、60歳定年のあとの20年どうすりゃいいのかわからないのに、100年も寿命が延びる一方で、昨日までやってきたことがすぐに役に立たなくなって新しい技術やトレンドを吸収しなけりゃやっていけないなんて……。
いったい、どうすりゃいいのよ。
おそらく、そんな恐怖を、なまじちゃんと仕事をして、なまじちゃんと情報収集しているひとほど、抱いているのではないか?
ここのところ、太田道灌の本ばかり読んでいる。
太田道灌の本を読む理由は、まったく別の目的があったのだが、おかげで個人的に影の薄い時代だった「室町時代」のことが、ぼんやり実感できるようになった。
なぜ室町時代が影が薄いかも。
私の独断では、室町時代というのは「ない」。それがわかった。鎌倉幕府が滅亡して、京都に政権が戻った、という物語は、歴史家がめんどくさくて話を1本にまとめたかっただけである。
鎌倉幕府は滅亡したけど、鎌倉を発端とする関東はむしろ政治的にも経済的にも、室町時代のスタート時点で、京都に匹敵するか、あるいは凌駕するサイズになっていた。
だから、足利氏は当初より鎌倉に公方を起き、いわば「鎌倉支店」をつくったわけである。支店じゃないな。どちらかといえば、かつての大阪の総合商社、伊藤忠や丸紅なんかが、大阪本社に加えて、東京本社をつくったのに近い。
で、この鎌倉側が京都にいうことを当初から聞かない。しかも権力構造がめちゃくちゃ重層的。
足利氏の誰かが「公方」になって、これが東京本社社長だとすると、ここに専務みたいな「管領」がついて、上杉家が就任。しかもこの上杉家が4つに分かれている。そしてその管領上杉さんにはそれぞれ、切れ者の社員コンサルタントがついていて、実際の政治はこの社員コンサルの力が強い。山内上杉には長尾さんという社員コンサルが、扇ガ谷上杉には太田さんという社員コンサルがつく。この太田さんちの天才が太田道灌である。そして、関東八州には鎌倉時代の御家人が発達して地場の大名が別個に育っていて、この地場のディーラーさんである大名を味方につけないと政治もできなきゃ、お金と経済も回らない。この場合、お金と経済はほぼイコールで「お米」がちゃんととれるか、キープできるか、である。
以上の構造は、もちろん京都側も似たようなもの。
こういう複雑なピラミッドができあがるとどうなるか。
権力争いが、頻繁に起きる。いわゆる「乱」である。
京都も関東も、室町時代は、ずーっと「乱」ばかり。「応仁の乱」はそのひとつで、京都にとってはでかかったけど、室町時代の「乱」としては、むしろ関東で30年以上続いた『永享の乱」のほうが、その後の日本の政治の方向を変えたという意味ではより大きな意味があるかもしれない。
室町時代には、江戸時代のような安定的な政権があったわけじゃない。足利政権、最初からぐらぐらである。南北朝に分かれたり、応仁の乱では西東に分かれたり。そのうえで将軍の多くは若くしてどんどん亡くなるし、義教のように部下に暗殺されちゃうひとも出てくるし。鎌倉公方にいたっては不在の時代がけっこうあったり。幕府が統一政府として機能しきっていないのだ。鎌倉幕府のときと比べても、ぐだぐだである。
以上が、室町時代なんて実は「なかった」と申し上げた理由である。
太田道灌は、この永享の乱で活躍し、最後はじぶんのところのボスの扇ガ谷上杉定正に、「おまえ仕事できすぎ」と暗殺されちゃう。
太田道灌は、途中で凡庸な上杉家も足利家も見限って下克上することもできただけの能力があった。戦はうまい。城はつくれる。和歌の才にたけ、灌漑も得意。水軍を操る技もあったらしい。無敵である。でも、彼はぎりぎりのところでダメになった大企業の関東本社の社員コンサルのまま、殺されてしまうのであった。いまだったら、道灌さん、ブラック企業に殺された!と新聞に投書されちゃうレベルである。
その道灌とほぼ同い年で、京都で同じような社員コンサルをやりながら、途中で上司を見限り、下克上への道を歩んだのが、北条早雲だった。北条早雲以降、武田も長尾(上杉)も織田も、実力のあるやつは、アホな上司をさっさとぶっとばして成り上がる。これが戦国時代で、勝つか負けるか、切った張ったでキャラもたってる。でもご存知のとおり、そんな戦国時代=室町末期から安土桃山時代は、とっても短い。たかだか30年。そう、永享の乱より短いのだ。
何がいいたいのかというと、いまは「室町時代」に似ている。
大企業は残っているけれど、従来の価値体系がぐらぐらと崩れかけて、細かな争いがぐだぐだと続く。けれど、古いシステムを捨てきれないため、ヒーローはヒーローになり得ず、無為な新陳代謝がだらだらと続く。
おそらく、本当の下克上はこれから来て、みんなが当たり前のように下克上をはじめて、「戦国時代」が瞬間やってきて、あっというまに次の秩序ができあがる。
いまは、その夜明け前のくらがりで、みんなが小さな乱をくりかえしながら、「いつになったら戦争がおわるのかなあ」と疲弊している時代なのだ。
しかし、本当の「戦争」はむしろこれからくる。いまはまだ「乱」程度。「戦国」になるのはこれからなのだ。
じゃあ、どうすりゃいいのよ。
わかりません。
わからないなあ、とツイッターをのぞいていたら、
けんすうさん@kensuuがこんなツイートをしていた。
どんどん残酷になっていって、過去10年のスピードの倍くらいの感じで進化してる。そして新しいものを高速に学べない人とか適切な行動をすぐに起こせない人とかが仕事がなくなっていってる。僕みたいな凡人はとにかく必死に勉強して行動をするしかないという感覚で、とにかくヒリヒリしてる、、
さすがけんすうさん。4行で私のだらだらしたコラムで言いたかったことをまとめていらっしゃる。
でも、けんすうさんをして、ヒリヒリしているということは、いまのところ正しい答えなんざあ、ない。それだけはわかる。
続きます。
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