メディアの話、その33。スナックと酒の流域と60歳鬱。

いうまでもなく、スナックはメディアである。

ママもしくはマスターという「個人」が発する微弱な電波。

その電波は、内側から光を発する看板のかたちで、発信される。

日没から夜明けまで。

フロムダスク ティル ドゥーン。

その微弱な電波に感応して、誘蛾灯に集まる蛾のオスのように、「いつもの客たち」が、扉の向こうに消えていく。

スナックの扉には、「会員制」だの「一見さんお断り」だのと札の貼られている。扉には窓がない。店自体に窓がない。

ゆえに、通りがかった人間は、そのスナックのはらわたを覗くことは叶わない。

扉の向こうに、あのカウンターに、ビニールレザーのソファに座ることができるのは、「いつもの客たち」と、数少ない、一見さんであることを恐れない「スナックの勇者」たちだけである。

スナックは拒絶する。冷やかしの通りすがりの人間を。

スナックは受け入れる。「いつもの客たち」と、少数の「勇者たち」を。

スナックはメディアである。

ママやマスターが発信し、客たちが受信する。

が、マスメディアではない。

スナックとは徹底的に私的な空間である。

その空間を差配するのは、ママもしくはマスターの絶対権力。

だからスナックには窓がない。外に開かれていない。

スナックの中で語られることは、決して公とは交わらない。

公共的でないこと。それがスナックである。

スナックは、カフェではない。居酒屋でもない。立ち飲みバルでもない。

公共的に開かれた瞬間、スナックはスナックでなくなる。

だから「会員制」「一見さんお断り」と記してあるのだ。

ゆえに、スナックは、人の弱みと相性がいい。

そして、スナックは川である。

どの街でもいい。中心街で飲んで、適当に酔っ払って、ふらふらと自分の足の向くほうに歩いてみるがいい。

あなたの足が、スナックのありかを教えてくれる。

スナック街は、酔っ払いがそぞろ歩きをしていると忽然と目の前に現れる。

人間はアルコールが入ると、体が溶け、液体となる。

液体は、必ず低きに流れる。

液体となった人間もまた、低きに流れる。

みなさんも経験があるだろう。

ふらふらと、ゆらゆらと低い方へと流れる。

すると、現れるのだ、スナックが。

スナックは、酔っ払いという名の液体が流れ落ちてくる「酒の流域」のいちばん低い本流に、まるで流木のように集まってくる。

新宿ゴールデン街は、蟹川の流域である。

西池袋のはずれから板橋にかけては、谷端川の流域にスナックの「川」がある。

大森駅の裏手には、山王の山から下ってきた小川沿いに地獄谷スナック街がある。

いずれの川も、もはや表には出ていない。とうの昔に暗渠となっている。

が、雨水同様、酔っ払いは、アスファルトとコンクリートで塗り込められた都会の川を正確に探し出す。低きに流れるからだ。そして、そこにはスナックがある。

一見を拒絶しながら、固体から液体へと変わった弱きひとたちを集めるメディア。

そんなスナックは、間違いなく、AIでは代替できない、もしかすると人間だけができる最後の仕事になるかもしれない。

60歳鬱、という言葉をご存知だろうか。

ご存知ではない?

そりゃそうだろう。

なにせ昨日、大森の地獄谷のスナックで私がでっち上げた言葉なので、

まだ私以外には、2人しか知らない。

日本の自殺者に、40代から50代にかけての男性が占める割合は多い。

心理カウンセラーの佐藤茂則さんによれば、「(20)!5年の自殺状況を見ると、2万4025人で前年に比べて1402人(5.5%)減少しました。性別では男性が1万6681人で全体の69%を占めています。年齢別に見ると、40代が4069人で全体の16.9%を占め、次いで50代3979人(16.6%)となっています」 とある。http://biz-journal.jp/2017/09/post_20675_2.html

しかもこうした40代50代の方々は、家族がいなくて孤独だったり、仕事がなくなって金銭的に苦労している、という明確な理由があるわけでは必ずしもなかったりする。

受験勉強→大学入学→遊んで卒業→会社勤め→そこそこ偉くなりたい→結婚→子供誕生→ローンで家を買う→そこそこ偉くなった→悠々自適の老後 という戦後日本の人生モデルを真面目にトレースした最後の世代、それが現在の40代後半から50代後半にかけての、現役社会人である。

この人生モデルは、すでにあらゆる場所で言い尽くされているけれど、いまがらがらと壊れつつある。いったんこのピラミッドを下から上へと登っていく道を選んでしまうと、ピラミッド自体から飛び降りる勇気を途中から持ち合わせることは困難である。だから、ピラミッドから転げ落ちないよう、気をつかう。

いま起きているのは、自分が登っているピラミッドそのものが、一部で崩壊する事態である。弾き飛ばされるわけではない。ほんの数段転げ落ちたり、あるいはさらに登ろうとしていた階段がなくなって、踊り場から動きがとれなくなったりしているだけ。すぐ隣の同僚や後輩はすいすいと上がっていったりするのに。

ピラミッドの階段をひとよりも「ちょっとでいいから」早く登って、なるべく上にいく。この「競争」をずっと続けていると、競争に勝つことはそれほど欲しなくても、競争に負けることに対してはものすごく恐怖と絶望を感じたりするようになる。

40代50代男性の「鬱」は、ピラミッドの一部崩落により上がれなくなった、取り残されてしまったことに、起因する。

と、私は想像する。

この「鬱」から抜けるにはどうすればいいか。

心療内科医でもない私が答えを持っているわけがない。

が、もしかして、と思うのは、スナックである。

仕事場でも家庭でも吐露できない、己の弱み、醜態、空威張り。

私的空間だからこそ許される、アルコール入りカウンセリング。

AIがどんなに優秀であろうと、正答を出せようとも、スナックの代わりはできない。ひとがスナックに求めているのは、「答え」ではないからである。

これから、ピラミッドの一部崩落に起因する「心の弱み」を抱えた40代50代が、定年を迎える。そんなとき、彼らの心に翼は生えるだろうか。

飛べない60歳が、さらに墜落しそうになるとき、彼らが流れ着く場所が、スナックであれば、もしかすると、翼は生えないけれど、尾ひれくらいは生えるかもしれない。スナックに入るのに翼はいらない。酔っ払って、街の川を尾ひれをゆらしながら泳げば、必ずあなたのスナックに着くからである。

・・・・・・えーと、1滴のアルコールもなし、シラフでお届けしております。どこがメディアについての話だ。

続きます。

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