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メディアの話その3  2001年宇宙の旅と骨と。

映画「2001年宇宙の旅」。

この映画の冒頭で一番の主役は誰かというと、「骨」である。

アフリカのどこかで、けむくじゃらの原始人類が、ウホウホやっている。ウホウホやっている原始人類は、真っ黒なカマボコ板みたいな「モノリス」の前に集まると、突然脳みそが「進化」しちゃう。

で、脳みそが「進化」しちゃった原始人類は、ウホウホやりながら、のたれ死んでいたであろう大型哺乳類の「骨」を手にする。おそらくは脛あたりの。こいつを棍棒にして、つまり狩猟の道具にして、原始人類は獲物を倒す。

落ちていた「骨」を狩猟の「道具」として使う。

モノリスさんに授けられた「知性」。人類進化の第一歩、という絵である。

さらに、原始人類はこの「骨」を、おそらくは侵入してきた同じ原始人類のよそ者をぶん殴るのに使う。原始人類くんは、ウホウホいいながら、このよそ者をバンバン殴ってぶち殺す。とどめをさした原始人類くんは、雄叫びをあげて、この骨を宙に放る。瞬間。骨は数百万年の時を経て、宇宙空間を漂う筒型の人工衛星となる。

有名なシーンだ。

そこらへんにころがっていた骨が狩猟の道具となり、さらに同じ骨が殺人の凶器となる。殺人の道具となった骨が宙を舞う。その骨の成れの果てが、宇宙空間に浮かぶ衛星なのさ。スタンリー・キューブリックは嘯く。

「2001年宇宙の旅」が描いた原始人類にとっての「骨」。

この「骨」は、そのままマーシャル・マクルーハンいうところの「メディア」である。

どういうことか。

つまり、メディアはまず、何に使われるかわからない「ハードウェア」としてこの世に登場するのだ。

道端に落ちていた「骨」のように。

まず、ハードウェアとしての「骨」がある。

その「骨」をどう使うかは、拾ったひと(猿)次第。

あるものは、打楽器として使うかもしれない。

あるものは、削って槍にするかもしれない。

あるものは、さらに削って釣り針にするかもしれない。

あるものは、彫刻の素材にするかもしれない。

そして、あるものは、棍棒として獲物を殴りつける道具にするかもしれないし、あるものは、気に食わない同僚をぶん殴って殺すための凶器にするかもしれない。

「骨」というハードウェアはことほど作用にさまざまな用途に使えることになる。が、以上すべては「骨」というきわめてすぐれたハードウェアがあってはじめて実現する用途」なのだ。

人間自身は「骨」をつくることはできない。

最近は似たようなものができるようになったけど、それでも本物の骨に比べたら、まだまだだ。38億年の進化というベテラン技術者にはかなわない。

実際は、「モノリス」みたいな不細工なカマボコ板なくしても、骨は、生き物は、時と偶然の神様のおかげで、勝手に進化する。そして、そんな生き物の1種である人間も「モノリス」なしで進化する。

で、みちばたに落ちていた「骨」に用途を見出す。

「骨」はすごい。

哺乳類の体内には必ず備わっているから、狩猟のついでに簡単に手に入る。大きさだって千差万別。東急ハンズのネジ売り場のネジのごとく、さまざまなサイズとかたちがご用意されている。細かな穴が無数に開いている中空構造だから、大きさの割に軽い。にもかかわらず、めっぽう丈夫だ。一方で、より硬い石や金属を使えば、自在に加工できる。ついでにいうと、しゃれこうべは器にもなっちゃう。信長公が使ってましたね。

骨そのものは、脊椎動物の体を支える部位として進化してできたものだ。

釣り針や、太鼓のバチや、金箔を貼って信長公が明智光秀にいやがらせするために酒を飲ませる器にするために、進化したわけじゃない。

が、その「骨」の内なる潜在能力を、類人猿から原始人類、そして我らのご先祖さまが「発見」した。結果、「骨」は、さまざまな用途を付加された、実に多様な道具に変身した。

「骨」なかりせば、いまの人類の文明のベースはできていない。おそらく別の何かを利用して、似たような進化を遂げたかもしれないけれど、「骨」ほど融通無碍で、世界どこでも手に入る「ハードウェア」は、たぶんない。

だから、あらゆる遺跡からは、「骨の道具」がでてくる。世界中どこでも。

そして、マクルーハン的にいえば、「骨」こそが「メディア」である。

釣り針や、しゃれこうべの器や、打楽器のバチというのは、メディア・コンテンツである。そして、いまの説明でわかるように、「コンテンツ」が先にあるのではない。まず、ハードウェアとしての「メディア」が勝手に存在していて、「コンテンツ」はあとからこの「メディア」を利用する人たちが、発明し、発見し、進化させるのだ。

人類は、「骨」という「メディア」から「メッセージ」を受け取り、勝手にいろいろな用途=コンテンツを発明していった。

この「骨」を、たとえばソニーが発明した「ウォークマン」に置き換えてみる。ウォークマンそのものは、携帯できるカセットテープレコーダーだ。

カセットテープレコーダーは、音声の録音再生装置である。と、切り出すと、これ自体は「メディア」とはいえない。

でも、「音楽を、音声を自由に携帯できる」という性能を有したハードウェアであるところの「ウォークマン」は、明確に新しい「メディア」となった。なぜならば、ウォークマン発明以降、人類の音楽や音声との接し方は根本から変わったからである。

音楽を、音声をいつでもどこでも携帯できる。

これが、ウォークマンという「メディア」の「メッセージ」だ。

この「メッセージ」を受け取って、音楽は、新たな発達をしたし、音声の利用法は多岐に渡るようになった。ウォークマン以前以後。

そして、それから20年ちょっとたって、「音声を、音楽を、自由に携帯できる」というウォークマンの「メディア」としての「メッセージ」を受け取り、「骨」から「衛星」に進化させた男がいた。

わかりますね。スティーブ・ジョブズです。

おそらくクパチーノには、銀色のモノリスがつきささっているのであろう。

モノリスの掲示を受けたジョブズさんは、音楽を、音声を持ち運べる、という、ウォークマンの「メディア」としての「メッセージ」を進化させ、音楽を音声をデジタルに変換し、「iPod」というデジタル「メディア」に仕立て上げた。

情報をデジタルに変換する、という行為が投入された瞬間、iPodというメディアが扱える用途は、音だけじゃなくなった。無限に広がった。ほとんどの情報はデジタルに変換できる。音声はもちろん、画像も、映像も、テキストも、イラストも、なにもかも。

モノリスからさらなる掲示を受けたジョブズさんは、iPodを電話と結婚させた。生まれた子供が、iPhoneである。おぎゃあ。あらゆるデジタル情報が、電話回線を、インターネット回線を通じて、やりとりできる。しかも、すべて、自分の手のうえで。

ウォークマンという「骨」が、未来の衛星になった瞬間。私たちは目の当たりにしたわけだ。ここでも、まずiPodというハードが、iPhoneというハードが、先に生まれた。つまり、iPhoneそのものがメディアであり、メッセージである。そして、その用途は、メディアとしてのiPhoneの発明のあとから、おいかけるように付加されていく。

しかもだ。その用途は、「新しいもの」ではない。基本的に、「ひとつ前のメディア」のコンテンツである。

おそろしいことに、iPhoneどころか、ウォークマンも、カセットテープも、パソコンも存在しない1960年代に、マーシャル・マクルーハンは見抜いていた。新しくメディアのコンテンツは、ひとつ前の世代のメディアである、と。

続きます。ユーミンとマクルーハンのつながりは、また別に。

次回は、たぶん、ドリフの話。

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