昭和の東京 1新宿区

素っ気ないタイトルに裏に隠れた、アーティストの超絶テク。

「昭和の東京 1新宿区」。

 素っ気ないタイトル。

 その下には、こちらに向かってくる路面電車の写真。

 駅名には「新宿三丁目」とある。

 もちろん、モノクロ。

 この本には、昭和の新宿の街角のスナップショットが満載されている。

 その数、なんと227枚。

 撮影された時代は主に昭和40年代前半。1960年代半ばから後半にかけて。

 つまり、高度成長期のピーク。東京の道路が次々と広げられようとする最中、路面電車が人々の足であり続けた、そう、今やまさにモノクロの写真の中にしか残っていない「在りし日の新宿」の写真集である。

 撮影者である加藤嶺夫さんは1929年生まれ。出版社に勤務しながら、東京の街角でスナップを撮り続けた。

 2004年の没後、遺族と版元であるdecoの尽力で、在りし日の東京を加藤さんのスナップショットで伝える、この「昭和の東京」シリーズが刊行されることになった、という。

 3月に発行されたこの新宿区編に引き続き、5月には「昭和の東京2 台東区」が発刊。こちらは、上野、谷中、浅草、吉原など、台東区の「昭和」が、213枚のモノクロ写真で綴られている。

 どちらも監修者は、評論家の川本三郎さんと、コラムニストの泉麻人さん。「在りし日の東京」の写真集を監修させたら、これ以上の組み合わせはない、というゴージャスなチームである。

 それだけに本書は、単なる写真集にとどまっていない。なんと、新宿区編、台東区編ともにすべての写真の撮影場所が、詳細な地図の上にプロットされている。つまり、この写真、いったいどこで撮ったんだろう、この景色、いったい今でいうとどこなんだろう、という読者が必ず抱くであろう欲望に120%と応える情報を用意してあるのだ。

 デジタル写真1枚1枚にいつどこで撮ったのかという位置情報を付加できるのが当たり前になったご時世、「この写真、どこで撮ったの?」という疑問を、イマドキの読者はごく当然のように抱く。

 けれども、思い出してほしい。

 あのフィルムで写真を撮っていた時代のことを。

 詳細なメモを毎回の撮影ごとに残していなかったら、この加藤さんの写真集のように、すべての写真の撮影位置をプロットすることなど不可能だったはずだ。

 加藤さんはフィルム1本1本に詳細な撮影メモを残して置いたという。その几帳面さ、というよりは、「東京を記録する」という執念の深さに、改めて感じ入る。

 なお加藤さんの写真が200枚以上収められた本書は、さらに「3 千代田区」「4 江東区」「5 中央区」と刊行が決まっているそうである。

 ぜひ、座して待っていただきたい。そして、本書片手に、在りし日の「あなただけの東京」を思い出していただきたい。

 —————と、ここで終わってしまっていいのだろうけど、実は本書を手にして、加藤さんの写真を見て、「うわ、すごいっ、やられたっ」と思ったことがある。

 それは、写真そのものの圧倒的な「うまさ」である。

 新宿区編の巻末に、加藤さんが愛用したカメラが掲載されている。

 ボディはニコンFM。

 カメラ好きならわかるだろう。マニュアルのみの一眼レフ。シャッターは機械式。このため故障にめっぽう強く、プロカメラマンのサブ機として使われたり、プロを目指すアマチュアが修業時代に使われたりすることの多い機種だった。

 そして使っていたレンズ。2本。

 ひとつは標準レンズの50㎜。もうひとつは広角レンズとしては最もオーソドックスな35㎜。

 加藤さんは、このあまりにオーソドックスなレンズ、たった2本だけで、膨大な街角スナップを撮り続けた。

 そのスナップがとにかく「うまい」のだ。

 何が「うまい」のか。

 構図である。タイミングである。そして何より撮影場所の選定、である。

 本書を開けば、ちょっとでも写真をやっていた人ならばわかるはずだ。

 加藤さんは、人の目と同じくらいの見え方をする標準レンズの50㎜と、一番マイルドな広角レンズの35㎜だけで撮ったとは思えないほどの、さまざまな構図の写真をものしている。

 たとえば、「台東区編」の40枚目の写真。

 上野一番街のごちゃごちゃした商店街を、スーツ姿の男たちが歩いていく様。さまざまな表情の男たちが、ぎゅっと圧縮されたように1枚に収められている。望遠レンズで撮りそうな絵、である。

 ところが、加藤さんの使ったレンズはおそらく50㎜。加藤さんは、自らが動き、構図を決め、男たちが折り重なるように向かってくるタイミングが来るのを待ち、そしてその瞬間、シャッターを切った。

 一方で、超広角レンズで街全体を俯瞰したかのような写真もある。

「新宿区編」の1枚目の写真。

 靖国通りの新宿大ガード東交差点から、左手に歌舞伎町を、右手に遠く伊勢丹会館を望み、四谷方向をとらえた絵。都電の終点。2台の都電がまんなかにちんまり居座っている。今とまったく変わらぬ新宿の形と、今はもうない新宿の形が、1枚の写真に合成されているかのような、実にスケールの大きな絵。

 この写真が35㎜レンズでおそらく撮られている。一見、もっともっと広い空間が写せそうな広角レンズが使われていそうな絵なのに。

 なぜ、加藤さんは、たった2本のレンズで、さまざまな構図、さまざまな映像効果を体現できるのか。

 それ加藤さん自分が動いているからだ。理想の構図が潜む、たった1カ所のベストの場所を見つけるまで。

 ところが、今、多くのひとは写真を撮るときに「動かない」。

 なぜか。

 デジカメの性能があまりにいいからである。

 超広角から超望遠までをカバーする万能ズームレンズが当たり前のようについているからである。

 自分のたまたま立ったその場所から、広々としたパノラマ写真から、遠くの小鳥1羽にフォーカスしたネイチャーフォトまで簡単に撮れてしまうからである。

 おそらく、現在ほど普通の人々が「写真家」になった時代はない。しかも、発表の場をみんなが持っている。FacebookなどのSNSやフリッカーのような写真サイトまで、日本の、世界の素人から玄人までが、毎日毎時間毎分毎秒、次々と写真をアップする。

 でも。

 1億総写真家となってしまった今の日本、実際にウェブに掲載されている写真は、いずれも「下手っぴ」である。

 理由は明白だ。

 さきほど述べたように、デジカメの性能が凄まじく上がったためである。デジカメのズーム機能に頼れば、一切自分の身体を動かさずに、超望遠レンズで撮るような写真から、超広角レンズが切り取るような広々とした写真に至るまで、あっという間に撮影できるようになる。

 それが、いけない。

 写真とは、つまるところ、「構図を発見する」ことである。

「理想の構図」は自ら動かなければ、歩かなければ、絶対に「発見」できない。

 本シリーズは、在りし日の東京を伝える写真集であると同時に、「うまい写真」「すごいスナップショット」はどう撮るのかを、問わず語りで教えてくれる、最高の「写真の教科書」なのである。

 本書の写真をまずはじっくり眺めてほしい。

 その見事な「構図」と「シャッターチャンス」にびっくりするはずだ。びっくりしたら、あとは本書で記された「写真が実際に撮られた場所」を訪ね、まずはあなたのカメラでぜひ写真を撮りにいってきてほしい。

 そして、自分の撮った写真をその日の夜にでもパソコン上で眺めてほしい。おそらく死にたくなるはずだ。いったい何を撮りたいのか、さっぱりわからない、ただシャッターを押しただけの写真しか残っていないはずだから。

 大丈夫。

 デジカメはフィルムと違って、何枚撮ってもお金はかからない。そこがデジカメのいいところだ。

 まずは、加藤さんがかつて撮った場所に、本書を携え、行ってみよう。

 そして、手持ちのデジカメで、おそらくは28㎜から200㎜くらいまでのズームレンズがついているそのカメラで、あえて、35㎜と50㎜の画角に固定して、加藤さんがかつて撮った場所で、同じ画角で写真を撮ってみよう。

 そう、時代を超えて、写真の模写をしてみよう。

 するとわかるはずだ。身体で、眼で、本当の写真家が、どうやって「構図」を発見するのかを。

 そうやって撮り貯めた写真が、もしかすると50年後「平成の東京」というシリーズになる日だってあるかもしれない。

 まずは、本書の写真術を盗め。


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