見出し画像

メディアの話その95 どもる身体と落語とコロナと。


東工大で同僚の伊藤亜紗先生が柳家喬太郎師匠と「怪獣酒場」と東工大で対談したNHKのSWITCHインタビューが実に素晴らしかった。

https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/LX2PXXL3KL/episode/te/BG99YY3KJM/?fbclid=IwAR0wKHwwjKKr19xHunTWfSBKGWtfkJFTVe7SIDnzciTICOirQX5VwGWZPEE


伊藤先生がずっと研究されている障害者の「環世界」と落語の世界がみごとにつながる。

喬太郎師匠によれば、創作落語はそれ自体が、ひとつの人格をもって、生き物として動き始める。

伊藤先生の障害者研究の視座は、新型コロナウイルス によって幽閉状態のいまの私たちに具体的で新しい視座を与えてくれる。

番組収録はおそらく今年の1月か2月で、そのなかで新型コロナウイルス の話はいっさいでてこない。でも、結果として、喬太郎師匠と伊藤先生の示してくれた視座は、いま、そしてこれからどうやってこの世界で生きていけばいいのか、大きなヒントとなる。

障害を持つ方は、「目が見えない」「音が聞こえない」というのが当たり前の世界で生きている。伊藤先生の本ですごく面白かったのは、目が4つだか5つだけある宇宙人からしたら、人間は全員障害者だ、ということである。私たちは、前を向いている限り、後ろを見ることは不可能なのだ。つまり「目が見えない」のである。4つある宇宙人からすると「なんと不便でかわいそうな」となるだろう。

いま、私たちは「人と直接会えない」。考え方を変えれば、私たちは「人と直接会えない」という障害をみんなが同時に抱えている状態ともいえる。

そこに「閉じこもる」のでも「破る」のでもなく、それを「前提」にどうやったら生きていけるのか。
障害者の方たちは、それをすでに実践している。

これ、たとえば大学の授業ひとつをとってもそうで、「直接会えない」「みぶりてぶりで伝えられない」「からだで表現できない」という「障害」を全員が抱えた前提いで、どうやったら面白く、どうやったらちゃんと伝わる授業ができるかどうか、ということを考える。
もちろん、それが「障害」になるひとが新たに出てくる。
その対応も必要。つまり、「人に会えない状態」を前提としたバリアフリー。
ものすごく難しいけど、クリエイティブな作業でもある。

そもそもメディアというのは、それぞれがある意味で障害を抱えている。

ラジオは「目が見えない」。テレビは「体が触れられない」。スマホは「なにもかも小さい」。映画は「からだが動かせない」。。。

私たちは、新型コロナウイルス という「メディア」がもたらした、「人と会えない」という障害を全員がもっている世界で今暮らしている。その世界をどんな「メディア=媒体」として、それぞれがつながっていくか。

続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?