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メディアの話その88 「銀河鉄道999」と150人のムラとウイルスと

いま、世界は、「銀河鉄道999」的だ。

銀河鉄道を見上げながら、おいどんはカップラーメンを窓辺ですすっている。売れない漫画家、足立太くんのように。

2015年、小林弘人さんとつくった『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』で、「だれでもメディア」時代になると、インターネット上で人はグローバルにつながるどころか、人間の本性のなかにある「150人」の村の規模に戻っちゃうだろう、と書いた。(いい本なので買ってね!)
https://www.amazon.co.jp/dp/4794968698
これはわりと当たっていた指摘だと思うのだけど、人間の身体的なグローバリゼーションが究極まできわまった象徴でもある「ウイルスの短期での世界的感染」は、身体的な意味でも、私たちをさらに「150人の村」にひきもどすかもしれない。
つまり、私たちのくらしは、「世界」から、まず「クニ」の単位に、そして「ムラ」の単位にもどっちゃう。
一方で、インターネットのサービスレベルはますますグローバリゼーションをきわめる。
だから、私たちの「こころ」と「からだ」は150人のムラに(ただし「こころ」が属するムラと、「からだ」が属するムラは、別の場所だ)、私たちをつなぐ情報やサービスは「グローバルビレッジ」(マクルーハンいうところの)に属するようになる。
つまり、養老孟司さんがおっしゃった「脳化社会」と「自然の身体」と「人間の本性」とが、1人の人間のなかで3分割される。
具体的にはこうだ。
からだは、自分が住める場所、自分が安心できる場所に属して、小さな「ムラ」で暮らす。よそものはうさんくさい目でみられる。
でも、こころは、そのリアルな「ムラ」に暮らしているとは限らない。こころは、自分の趣味、思想信条、好き嫌い、性的傾向などに応じて、ネット上で自分が好ましく思える「ムラ」に属するようになる。
で、リアルな「ムラ」もバーチャルな「ムラ」も、インターネットを基盤とした、金融や物流や情報などによってグローバルに結ばれる。
だから、インターネットという空間は二重構造をあらわにする。
グローバルにつながるサービスや金や物。
そのネットワークを無数の小さなムラが結ぶ。
イメージとしては、銀河鉄道999かもしれない。
それぞれの人間は、小さな惑星に小さなコミュニティに、住んでいる。銀河鉄道がひととものと情報を運ぶ。
ちなみに私が住んでいるのは、「大四畳半惑星」であります。

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