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メディアの話、その44。受信するメディアとしての私たちが、世界を変える。

実に面白い本を読んだ。

世界を変えた6つの「気晴らし」の物語

https://www.amazon.co.jp/dp/4023316326

著者のスティーブン・ジョンソンさんは、腕っこきの科学ジャーナリストである。

この本の結論をざっくりいうとこうである。

人類の「文明」の進化は、あんがい、必要不可欠なものを人類が求めるところから、だけではなく、なくてもこまらないけど、なぜだかみんなが殺到する「気晴らし=どーでもいいこと」をまず、誰かが発見するところから始まる。そして。その「どーでもいい」ことにみんなが群がった「結果」だったりするのだ。

本書があつかう「どーでもいいこと」は6つ。

「綺麗な服が好き!」「音楽が楽しい!」「魔法の薬、香辛料が欲しい!」「幽霊、怖いけど見たい!」「なぜかわからんが、博打=ゲームがやりたい!」「コーヒー飲んで、だべりたい!」である。

たとえば。

あるとき、綿花が「発見」される。そして、綿の生地がインドで生産され、美しく染色されるようになると、中世から近世のヨーロッパのご婦人たちが「綿生地の服や下着がほしい!」となった。ヨーロッパ各国は綿の輸入に躍起になり、そして綿織物をつくる織機が発達した。

ちなみに、本書にはでてこないけど、日本の自動車産業は、綿や絹の織物機械産業がベースである。豊田自動織機からトヨタ自動車である。トヨタやホンダやスズキやヤマハを生んだ浜松は織物の街である。「綿の洋服が、下着がほしいわ」という「ファッションへの欲望」が、自動車産業の「発端」ともなっているわけだ。

一方で、この「ファッションへの欲望」は、世界最大のアメリカという国をめぐる一番大きな歴史的な恥ともつながっている。黒人奴隷問題と綿花の大量生産はセットだ。結果、南北戦争が起き、いろいろな意味で今のアメリカという国の現在にいたる特殊性を規定している。

音楽は、もしかすると人類が最初に手に入れた「娯楽」かもしれない。本書はそう教えてくれる。なにせ、数万年前の遺跡から、骨笛が出てきているのだ。しかも、現代の音階通りの穴が開いた。「歌が唄いたい」「音楽を奏でたい」「音楽を聴きたい」。人間のこの欲望が、コンピュータのプログラミングの基礎となり、キーボード文化の発端となる。

熱帯地方の生物多様性がもたらした、さまざまな香辛料。この争奪戦が中世から近世にかけてのヨーロッパ各国で行われ、残虐な仕打ちをしてまで、東南アジアなどで収奪が実施された。香辛料は「それがないと生きていけない」食べ物ではない。でも、その香りは、医薬であり、媚薬であり、ある種の魔法として、金以上の価値を持つに至った。中世以前と中世以降で、世界の食は根本から変わった。香辛料こそは、グローバリゼーションの最初の実例である。

幻灯機の仕組みをベースに「お化け屋敷」をつくるムーブメントが、ヨーロッパで起きた。これが、のちの映画の、アニメーションの発明につながる。

博打に溺れる、というのは、なぜか古来より人間に備わってきた、食欲や性欲とは異なる欲望だったらしい。この欲望から、さまざまなゲームが生まれ、サイコロが生まれた。確率論を始めとする数学は、博打好きの数学者たちが「自分たちの都合のため」に作り出し、現在のロケットの弾道弾計算からIT産業の隆盛にいたる道が作り出された。

酒とコーヒーは、「なくてもいいもの」の典型である。が、人類はその製造を発明してしまった。すると、酒とコーヒーは、それ自体を味わうだけではなく、それを一緒にあじわうコミュニティ=バーや、カフェをいたるところに作り出した。バーやカフェは、階級を越えて、人々が混じり合い、近代社会を作り出す知的ムーブメントの揺籃場となった。

どうです。「どーでもいいこと」は、もはや現代文明の礎のさらに礎だったわけです。読みたくなったでしょう。

私が本書を読んでなによりも目を見開かれたのは、文明を進化させるのは、最終的に「消費者」であること。いいかえると、あるコンテンツを「受信するメディア」である人間がたくさん増えると、それはひとつの文明の進化をもたらすムーブメントになる、ということ。

インド産の綿の下着を欲しがる無数のヨーロッパのご婦人たち。「受信するメディア」としての彼女たちが、「綿の下着」というコンテンツを積極的に受信することで、綿を軸とした文明の進化が動きはじめた。

彼女たちは、綿を発見したわけでも、綿織物をつくったわけでも、輸入したわけでもない。発見者でも、発明者でも、生産者でもない。消費者である。

消費者というのは、受け手であって、ある種のムーブメントのフォロワーとみなされがちである。けれど、ここに挙げられた6つの「進化」をもたらしたのは、たくさんの消費者が、それぞれのコンテンツを受信し、積極的に消費したからである。

まさに、糸井重里さんがいうところの「消費のクリエイティブ」こそが、人類の文明を駆動させてきた、という格好の事例が並んでいる。

受信したり、消費したり、というのは、受け身じゃなくて、クリエイティブなんだ。

AIとシンギュラリティの危機について考えるときも、忘れがちなのが、受信するメディアとしての人間、消費の主体としての人間、という「役割」である。

この役割は、AIは背負えないし、背負う必要もない。

むしろ、AI時代だからこそ、今後本書に描かれたような、消費者が世界を変える文明の進化というのは、どんどんでてくるのかもしれない。

繰り返し書いておく。あらゆる人間は、常に「受信するメディア」である。

そして、ひとりひとりの「受信」のしかたが、世界を動かすことがある。

続きます。

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ムシ。国道16号線。三浦半島。鶴見川。御蔵島。カレー。パウンドケーキ。東京工業大学。コスタリカのオオキノコムシ。オオ=大といっても1センチちょっと。

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