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メディアの話、その46。平成30年。ソフトがハードになった。

久しぶりに、文化系トークラジオlifeに出演した。

https://www.tbsradio.jp/228883

私がこの番組に関わるようになったのは、2006年秋のスタート時点から。

もう12年も前のことだ。

考えてみると、まだスマホもなければ、フェイスブックもツイッターも上陸していなかった。lifeのやりとりは、ミクシイが主体だったりした。こっちも年をとるはずである。

この日のlifeのテーマは「平成30年史」。出演者のなかで、圧倒的に年寄りのわたし(今年54歳で波平さんと同い年)は、唯一大人として社会人として、昭和から平成の移り変わりを経験した。考えてみると、平成30年間は、わたしのサラリーマン生活とほぼイコールである。なるほど、「平成」に食べさせていただいてきたのか。ありがとう「平成」。

ラジオではもちろん「平成」とはどういう時代か、ということを出演者が議論した。そのなかでメインパーソナリティの鈴木謙介さんとサブパーソナリティの速水健朗さんからでてきたのは、ハードの時代がおわり、ソフトの時代になったこと。ハードが世の中のプラットフォームである時代がおわり、ソフトが世の中のプラットフォームになったこと。その流れに、日本企業は乗り遅れ、たとえばソニーやシャープなどの凋落が起き、一方でグーグルやアマゾンやフェイスブックの台頭があり、プラットフォームを制するかたちでアップルの再生があったこと、などが語られた。

まさにその通り。

で、その話の発端となったリスナーの投稿は、「所有欲が薄れ、シェアされる時代になった」という話。これ自体は、まあ、よくされる指摘であり、物が売れなくなったこと、ハードが売れなくなったことを、この理屈で語る話は、新聞やテレビなどでも見受けられる。

でも、話をしているうちに、疑問がわいた。

私たちは「ものの所有欲」がなくなったのか?

たかだか、数年の時代の変化で、人間の本質が変わるわけがない。

変わるのは流行であり、人間が変わるわけじゃない。

人間には、おそらく「所有欲」というのがある。ずっとある。いまもあるし、むかしもあるし、これからもある。

かわったのは、所有欲の有無じゃない。所有する「もの」のかたちが変わったんだ。

どう変わったのか。まさに、ハードからソフトに変わった。

でも、その変化自体は、90年代から2000年代前半にかけてすでに起きていたはずだ。パソコンの普及とインターネットの発達。このとき、いまいわれるほど、「もの離れ」について語られることはなかった。

じゃあ、何が変えたのか。

おそらく、2007年に登場したiPhoneだ。

あなたの手にすっぽりおさまる、あの端末の登場だ。

iPhoneの登場と普及で、だれもが、情報を具体な意味で「手で持てる」「手で操れる」ようになった。つまりだ。iPhoneは、ハードからソフトへの時代の背中を押したと同時にふにゃふにゃした「ソフト」を、手で持てる「ハード」のかたちに変換した、ともいえるのだ。

私たちは、スマホを通じて、「ソフト」を「情報」を、具体的な「ハード」として「所有」できるようになった。以前よりはるかにたくさんの「ソフト」を「情報」をハードのかたちで溜め込むことができるようになった。

たとえば、あなたのスマートフォンに入っている写真は、昭和のひとたちの一生の写真アルバムの数千倍数万倍の数である。

そう、所有欲はなくなっていない。それどころか、ある意味でその欲望は増している。情報を、ソフトを、ハードに、ものに変える、スマートフォンという道具によって。

ラジオはいい。いろいろなことをいろいろなひとと話すことで、思いつく。

続きます。


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ムシ。国道16号線。三浦半島。鶴見川。御蔵島。カレー。パウンドケーキ。コスタリカのオオキノコムシ。オオ=大といっても1センチちょっと。

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