メディアの話その103 声のSNS

2021年1月27日水曜、成毛眞さんに誘われて声のSNS「CLUBHOUSE」に入ってみた。

CLUBHOUSEのことを周囲の人たちが噂しているのを聞いたのは、1月24日月曜日くらいだったか。

自分から情報をとりにいこうと何故か思わなかったのだけど、27日の朝から、私も入った、僕も入った、招待制なので入れない!というフェイスブック上の書き込みが急に増えた。

誘われる前に、思い出したのは、2012年初頭に、起業家の板倉雄一郎さんが開発したまさに声のSNS「VOICE LINK」のことだった。

板倉さんはITベンチャー界隈で知らない人はいないだろう。1990年代、ハイパーネット社でいち早く広告モデルでインターネットの接続を無料にするサービスをスタートし注目を浴びた、その後現在まで続く、ITベンチャー起業家の魁だった。

が、金融崩壊などさまざまな不運が重なり、ハイパーネットは事業破綻した。そのプロセスを本人が綴った書籍『社長失格』は、現在に至るまで起業の教科書のひとつとして読み継がれている。担当編集者だった私も大いに勉強させていただいた。

その板倉さんが2012年にスタートしたのがVOICE LINKだった。

当時、まだSNSは成長過程にあった。Lineがメジャーになったのも2012年。iPhoneはソフトバンクとKDDIが取り扱っていたが、NTTドコモが扱うのは翌年の2013年からだ。

VOICE LINKは、実際に使ってみると、CLUBHOUSEに先駆けて、グループでの音声チャット機能、みんなの会話を聞いている機能などを実装していた。

起業はほんとうに難しい。というのも、実際にCLUBHOUSEをたった1日使って思ったのは、これがいきなり短期間で浸透したのは、圧倒的に新型コロナウィルス感染影響下のこのタイミングだったからだ。

コロナにより、2つの大きな要因が生まれていた。

1つは時間だ。

通勤をせず、外に出歩かず、圧倒的に人々は「時間」を持て余していた。ネットフリックスも見尽くした。LINEもFacebookもインスタグラムもTwitterも飽きてしまった。「時間」をどう潰せばいいか。余った細切れの時間を、多くの人が持て余していた。

そしてもう1つは、人と生でつるむ欲望だ。

コロナで飲み食いが自粛になり、会社や学校にいくことも憚られるようになり、人々は生身で会って、つるんで、ぐだぐだするチャンスがものすごく減った。

人間は、集団で進化した生き物だ。つるむこと、いちゃいちゃすること、だらだらだべること、噂話をしたり、グルーミングしたりすることは、本能のなかに刻まれた習性だ。

その習性が封印されている。当然渇望している。

時間がある。なのに、だれかといちゃいちゃベタベタつるめない。

そこにCLUBHOUSEがやってきた。

しかも1人あたり2名の紹介制。ユーザーに渇望感を抱かせるのに打って付けの仕組み。

かくして、入ってみたCLUBHOUSEは、ITサービスのアーリーアダプターたちの園となり、異様に起業話、マネタイズ話、IT関連話が目立つことになった。

紹介制というので思い出されるmixiのコミュが、最初からかなりばらばらの趣味性の高いものだったのに対し、clubhouseは、スタート時点のアーリーアダプターたちが開催するお話の大半が、「マネタイズ」や「起業」の話を「ゆるく」(なぜか「ゆるく」という形容詞をつけている部屋が異様に多い。「てきぱき」とか「厳しく」とかいう形容詞はまず見当たらない)する、というものが大半で、タンガニーカ湖のティラピアの種類の数を競う、とか、オラがみたいちばんすごいオーロラの話、とか、武蔵野線でいちばん行けている駅はどこか問題、みたいな本当に「ゆるい」話はまったく見当たらない。

ちなみに、最初に成毛さんに招待いただいてボタンを適当に押していたら、どうやら勝手にルームが開いてしまい、突然男の人の声がしたらそれが成毛さんだった。ルームの名前もなんにもついてないので、20分くらい話していたけど、これではただの電話である。

その後、ルーム界隈を回遊して、ゆるくない話をゆるく(と称している)ルームばかりだったので、本当にゆるい話を開いてみようかと「最近いちばんイケている散歩道について語る」というルームを立ち上げてみた。実験なので誰にも声はかけてない。自分のフォローしているひともたぶん十数人くらいである。

すると、いきなり見知らぬアイコンの男性が1人入ってきた。

さすがに声をかけづらいので、ひとりで「私が最近いちばんイケていると思う散歩道は大岡山の商店街であります。なぜいけているか。それはこの道が鎌倉街道だから、ですね。つまりここ900年ほどイケているんですよ、この道は。そしてもう1つイケている理由は、おいしいパン屋さんが3軒もあるんですね、この道の近くに」なので、500メートルほど移動すると、両手がパンだらけになる」(そこまでは話してない)けどまあ、そういう話をひとりでしていたら、そのうち友人たちが数人集まってきた。知らない人も集まってきた。面白いので、全員召喚してみた。

で、世田谷公園とか砧公園とかの話になり、最初にいらした男性は代々木公園がイケているという。なるほど、そうなのか。「でも、散歩すると喉が乾くから、公園の先の飲み屋街にいっちゃいますよね。代々木公園だと。富ヶ谷商店街、奥渋谷が近いから、飲む場所には困らないですねえ」などと声をかけると「いやあ、僕は飲みに行かないんです、高校生なので」

なんと初対面の高校生を召喚してしまった。

とまあ、1回目から知らない人をどんどん中に入れる、というのをやってみたのだけど、これは、結局「スナック」だな、と。ついに、「スナック」をいきなり誰もが営業する「だれでもスナックの店主」ツールである、というのがclubhouseである、と勝手に定義するのであった。

ただ、この場所は「スナック」じゃなくて、「ジャイアンリサイタル」にも「信仰の場」にもなりえる。マクルーハンが記しているけど、「声だけ」というのは実はラジオがそうだが呪術性が高い。人を巻き込みながら、話すのがうまいキャラクターは、「音だけのメディア」においては、わりと簡単にカリスマになりえる。顔がみえないところがポイントである。みえると呪術性は一気に減る。声だけ、というのが重要である。ヒットラーもラジオを利用したのはよく知られている。

いま、午後8時で閉まる街の歓楽街の代わりに、clubhouseという巨大スナック街が誕生した。とりあえず、しばらく「ゆるく」みていこう。



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