書くことの効用
2000年、2010年と、10年おきにアメリカのセドナというところ(パワースポットとして有名)に行っている。
初めて行ったのは、人生初の落ち込みで、この世から消えてしまいたいと思った時。2度目の訪問もたしか、会社の異動で苦手意識を感じる部署にいて悶々と悩んでいた。
……10年おきに悩んでる。そして2020年。 またしても、見事に悩んでる(笑)。
(永遠の就活生だから、しょうがない)
2020年も行かなきゃね!と、オットと話していたけれど、ここ数年のオットは土日も休みなく働いている黒い会社員で、旅行なんて言い出せそうにない状態。一か八かひとりで行くかな、なんて考えていたところ……夫の都市部への単身赴任が決まった。
規模の大きなオフィスへの転勤なら、夫も今よりまともな人間生活ができるかもしれない、と少し安堵する。
神がかり的な話など一切しないオットも、「(転勤は)セドナへ行けってことかな」なんて、言い始めた。
そこで、「セドナへ行くぞ」モードを高めるため、過去の写真を探してダンボールの中をゴソゴソしていたところ、前回、ヒプノセラピー(前世退行)を受けた時のメモを見つけた。
その存在、すっかり忘れてました!
メモには、私自身が意識の中で見たイメージを描きおこした絵、一連のイメージから自分自身が受け取ったメッセージ、セラピストがくれたアドバイスが書いてあった。
と、書いてあった。
そして、ダンボールの中からは、なぜか10年前くらいにオットからもらった手紙も出てきて、シャイな彼が精一杯書いたであろう気持ちが綴られていた。
ひょっこり意思を持ったかのように、書き記したものが出てくる奇跡。
あらゆる記憶は、細かな粒子のような存在になって空間に漂っているという理論があるのだけど(ラブロック博士だったかな)、有形の写真や手紙は、当時の記憶をまとったまま、明らかにそこに在ると感じた。
全てがデータになっているこの時代。意識的に手で書いて残していきたいなと思った。
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