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救急の看護師としての7年「introduction 看護学生編」

就職して最初に配属されたのが救急だった

第一希望は小児、第二希望を救急にしていた

今年の2月で私は救急から離れた

一つの私の看護師人生としての区切りかなと思い、救急で働いたことを綴っていこうと思う。

今回はその導入、看護学生編を


私が看護師になるまで

看護師になろうと決意した

関東の田舎で生まれ、なんやかんやありつつ小中高とバスケに大半をささげながら過ごした。田舎に飽きてとにかく外に出てみたいと思い大学は実家から離れた地を選択。都会への憧れを持ちつつ4年生の看護系のある大学に進学した。看護師になりたいと思ったのは中学の時。将来どんなことをしたいのか、小さいころの夢であったスポーツ選手とかそういったところから少し現実へ目を向け始めた時期、ドラマ「ナースマン」を見た。 あぁ、なるほど、看護師って男でもなれるのか。 そんな風に思い、数ある仕事の中で看護師を意識するようになった。今ではあのドラマがどんな内容だったかなんてほとんど覚えていやしないのに、それを見たということだけは私の中に色濃く残っている。「君って結構頑固だよね」指摘されるまで気づいていなかったのだが、大学の時に卒業論文を担当していただいた先生からそういわれて初めて自覚した。思い返せばそんな点はちらほらと、看護師になろうと決めてからここまで進んできたもの、思えばそういった自分の性格があったからなのかもしれない。身内や自分が看護師に助けられたというエピソードもないけど、看護師になってよかったと思っている。「ナースマン」恐るべし・・・いや、恐るべしなのはそれで看護師になった自分か?

大学へ

大学に進学してからは高校までの勉強とは変わって医療のこと、看護のことを学び始める。看護師社会、男性が増えてきたとはいえ、まだまだその数は少ない。看護科の同級生は男子が自分を入れて5人、女子は約100人、まさに圧倒的女性社会。わかっていた分あまり衝撃はなかった。同級生の男子はいまだに5人そろって飲みに行くぐらい仲がいい。仲間に恵まれた。周りの女性陣も良くしてくれた。全体で100人もいると中にはほとんど話さない人もいる。だが向こうは自分たち男子を認識している。100人のうちの5人だから、当然といえば当然。人の名前を覚えるのが苦手な自分としては、知られているのに相手のことを名前すら覚えていないのはなんだか申し訳ないなという気持ちがあった。 

座学は苦手だった。座ると寝てしまう。別に寝不足だったわけではないのだが、人の話を座って聞いているとどうしても睡魔が襲ってくるのである。なりたかった看護師の勉強をしに来ているのに講義はほとんど爆睡、講師の方々には非常に申し訳なかったと思っている。さすがに全部寝ていたわけではなかった。ある特定の講師の講義はちゃんと起きて聴いていた。そういった講師は総じて「話す」のがうまかった。引き込まれる話し方をする講師の講義は全体をみても寝ている人はかなり少なかった。私は講義の内容よりもその「技」のほうが気になっていた。もちろん、講義内容も頭の中によく入ってきた。

臨床実習は一転して楽しかった。臨床とはかくも楽しいものなのかと。記録は量が多く非常に大変だった、それは楽しくても変わらない。大変なことと楽しいことは混在していた。逆に言うとつらくても楽しかった。実際に患者さんに会って、話を聞いて、カルテを見て情報を取って、指導者や講師の先生と話して、実習後に学校の図書館に直行して疾患に関する資料をかたっぱしから漁って、持って帰ってきた情報を資料と照らし合わせながら、自分が担当する患者さんを考えながらまとめていった。自分が勉強していることが目の前の患者さんとリンクしていくのが楽しくて、指導者さんや先生からの修正も「なるほどそう考えるのか」と新しい発見と視点があふれていて面白かった。実習先には手書き紙カルテの病院があって、解読できなかったので指導者に聞いたがわからず、ちょうど書いた医師がいたから聞いてみたら「俺もわかんない、これなんて書いたの?俺」と言っていた。そんなことがあるんかーいと心の中で突っ込んだ。

実習中1度だけ泣いたことがあった。指導者や先生に怒られたわけでも患者から何かを言われたわけでもなかった。ただひたすらにわからなかったことに泣いた。慢性期領域、患者さんの病状は安定はしている、しかしゆっくりと悪くなっている。「死」に向かっている人に自分が何ができるのかがわからなかった、どの資料を調べたってどこにも載ってない、どうしたらいいのか、わからない、何もできないことが辛かった、悔しかった、無力な自分を見るのが嫌で泣いた。そんなときに先生に言われた「ただそばにいるということも大事な関わりの一つ」だと。一言一句覚えているわけではないけど、こう言われたことは覚えている。救急で働いていてこの言葉はよくよく思い返していた。救急でもだんだんと「死」に向かう人がいる。実習で担当した患者さんよりも向かうスピードは断然速いことが多いけど、自分がそこにいるということは一つの意味を生むのだと。ただ、このころからなんとなく慢性期領域は苦手だなと感じていた。雑談とかのコミュニケーションが得意なタイプではないので、何を話していいのかわからなくなってしまう。沈黙が続くと何か話さなきゃいけないと感じるのはいまだに感じるところではある。

同級生の中には実習で苦労していた人がたくさんいた。指導者や先生とうまくいかず病んでしまう人も少なくなかった。自分はその手の苦労はほとんどなかった。指導者とも先生ともなんとなくうまくやれていた。もしかしたらうまくやれていたと思っているのは自分だけで相手はそう感じていなかったのかもしれないが、少なくとも実習に行きたくないと思うことはなかった。疑問と悲しさがあった。なぜ、そうならなければならなかったのか、なぜ、誰かが悲しい思いやつらい思いをしなければならなかったのか。Twitterでもいまだに看護学生の悲痛な叫びや愚痴をよく見かける。すべてがすべて教える側が悪いとは思わない。人と人のかかわりとはそう単純なものではないから。それでもやっぱりそれを是正するには、指導する立場の人間が自分たちの問題として認識し、修正を繰り返す必要があると感じる。私がTwitterでフォローしている人たちはそんな問題に必死に取り組んでいる人たちがいる。尊敬する、その輪がいずれ普通のものとして広がるようにと。

看護学校における「臨床実習」は課題をたくさん抱えている。

いろんな思いをもって看護師になろうとしている人がいる。看護師にあこがれてなる人、お金を稼ぐためになる人、成り行きでなる人。モチベーションがそれぞれに違う。そういった多くの考えがごった煮になった集団を指導するというのは並大抵の労力ではないだろう。それでも、看護師を目指す人の多くが「必要な学習であった」と感じれる指導が必要だ。


看護師や看護学生をしていると周りから「大変だね、すごいね」とよく言われる。確かに大変だ。楽な道ではない。じゃあ辛くて嫌なのか。それは違う。私は看護師になりたくてなって、そのための道も楽しかった。今も楽しい。だからいつもそう言われたときは「でも楽しいですよ」と返す。


さて、長くなってしまった。看護師になってからのことを書き記そうと思っていたが、看護師になるための道にも学ぶことは多かったので、まずは導入として学生時代のことを書いてみた。


看護学生になる人へ

4月から看護学生になる人がたくさんいる。これからたくさん理不尽なことを経験するかもしれない。やめたくなったらやめてもいい。看護師になることがすべてではない、生き方も仕事も無限にある。どうしようもなくつらいときは休み、そして考え方を変えるのが大事だ。あなたの生き方は看護師だけではない。くれぐれも命は大事にしてほしい。

看護師はいい仕事だ。私は他の仕事をしたことがないから比べることはできないけれど、そう感じて看護師になる人が少しでも増えたらいいなと思う。

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