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故郷2

iyamori
#星読み
#過去の選択
#過去の傷


父は「ただいま」と言って中にどんどん入って行った。

秋田の母方の実家から移動すること何時間かかったのだろう。
夜行電車だった。
寝台ではなかった。
直角にしか座れない4人掛け向かい合わせで座る固いイス。
その電車を降りてからも遠かった。


「着いたぞ」

「やっとついたつかれた」と言う私に着いたぞガンバレと父が言った。

階段をたくさん上がって父がブーという呼びブザーを押す。

中から見たことが無い知らない女の人と女の子達が迎え出てきた。
ものすっごい3人ともにこやかな笑顔だったのを憶えている。

中から外側に押し出すようにして女の人は扉を支えていた。

いわゆる団地の重い鉄の扉だ。

「おかえりなさいお父さん」と、知らない女の子達が父の手を引っ張って中へ連れて行った。
急かされるようにして父は靴を脱いでいた。
yamo達も入れ入れとニコニコ嬉しそうだ。


当時、父は鉄を加工する会社に就職したばかりだった。

私と姉が連れて来られた所は、茨城県の(現在の)神栖市だった。

その会社は、当時函館に限らず、日本全国から作業員を集めていた。
主に東北地方から集団就職という形でそこに住み始めた人たちが大勢居た。

当時、毎日食べるのにも困っていたような地方に住む多くの国民に対して、家族と住める場所(社宅)が用意されて、通勤専用の送迎バスも準備されていた。
仕事内容は簡単ですが三交代制です。とにかく辛くても頑張ってもらえれば生活は安定します」とでも募集文句に書かれていたのだろうか。

それでも安定したお給料は、安くはあっても、それより酷い生活をしていたに違いない父と私の亡くなった母にとっては魅力的だったはずだ。
(➡︎父がやっと就職して間もなく母は亡くなるけどね)


茨城県は、昭和36年に「鹿島臨海工業地帯造成計画」という国家プロジェクトのマスタープランを立ち上げ、国に提出、進める。

「鹿島港」という巨大な人工港は周辺の町や村をまたぐようにして作られ、父がその恩恵に預かる頃にはすっかり完成して、日本の鉄鋼、電気、石油化学等、広い分野で日本の経済成長を助け、発展させていた。
(と、地元の小学校で教えられていた)

父はいわゆるそこの末端工員。鉄の加工作業員だった。
20年くらい勤め続けるけど、定年1年前に退職するまでずーーっと末端工員だった。ホントに野望とか野心とかという気持ちが薄い男だった。
上昇志向って言葉を知らないまま死んだかもしれない。


まあそれはいい。


さて、仕事内容はというと、熱く熱せられ溶かされた鉄を型に流す作業だったと聞いている。
工場内はとにかく暑く、自分の汗と鉄を溶かす時に出るススで手も顔も作業が終わる頃には真っ黒になる。

息をするのも苦しい瞬間が有ると、もっと後になって父が愚痴っていたのを思い出す。

その会社の社宅(巨大な団地の一室)に私と姉は連れて来られた。


継母はミチヨ(仮)といった。

ミチヨはにこやかに「いらっしゃい」と、yamoと姉と交互に顔を見るようにして何度も言った。
「どうぞどうぞ上がって」とか「入って」とかと言った。

小さいyamoは、部屋の奥で「入れ入れ」と言いながら手招きする父をそこでただ立って眺めていた。
後ろには姉が立っていた。

ミチヨの手がyamoの肩だったか腕だったかに触れた。
「どうぞ入って」と。


yamoは睨んだ。
ミチヨを睨み上げた。

「あんただれ」

ミチヨは黙っていた。
驚いたふうだったと思う。

そんなのは無視した。

「あんたたちもだれよ!」と、奥の部屋に向かって怒鳴った。

「yamoのおとうさんからはなれてっ」と怒鳴った。


姉は冷静だった。

わんわんと泣き出すyamoを父が中に入れようとするけれど、yamoは嫌だと言って中には入らなかった。
ミチヨは「お母さんよ」なんてふざけた自己紹介までしやがったし。

いらっしゃいじゃねえよという気持ち。
どうぞ入ってと言われる違和感。拒否反応。

「あんたなんかおかあさんじゃないっ!しらない」と、yamoは玄関先で泣きわめいた。


そんなyamoの手を握って、姉が父に「少し待って」と、静かに言った。


後にも先にも私が継母のミチヨに真っ向から逆らうのはこれ1回限りだったと思う。
そこから、ミチヨが浮気をして父の逆鱗に触れて、「離婚だ〜」と大騒ぎの末に継母とその連れ子2人が父の家から出て行くまでの7年もの間、私たち姉妹は継母のミチヨから毎日大変な虐待を受けて生活していくことになる。


私は、牡羊座に土星を持って生まれてきた。このタイプは、
「自己主張すること」や「勝つこと」や「人より前に出ること」に独特の抵抗感があるとされている。
とくに子供時代〜若い頃ほどにそれは顕著に現れる。
(参考 石井ゆかり著「星占い教室のノート」)

ちなみに父も同じく牡羊座に土星を持っていた。

土星は「課題」や「制限」、「ブレーキ」という意味のキーワードを持つ。

水瓶座に月が有る私は、個人としての自分を承認してほしい欲求が強い。
「あなたじゃなきゃダメなの」というセリフが大好物なのだ。

又、土星と同様MCも牡羊座なので、基本的に無邪気で天真爛漫、個性的で自信に満ちているというイメージの見た目。
にも関わらず、自己主張や人より前に出ようとした時に何らかのブレーキがかかる」という星の配置なのだ。


結局父は、姉とyamoがミチヨに虐められているなんて、「離婚だ〜」と、自分が騒ぐまでちっとも気づかなかった。7年間だぞ?

まあいい。しょうがない。

星読み的な考察をすれば、確かに小さいとはいえyamoちゃんの自己主張は強すぎたと思う。
誰の言うことも聞かずに主張し過ぎた感は否めない。
牡羊座の特徴といえば特徴だ。
一心不乱なのだ。

そこに土星のブレーキがかかった。

重い重い強いブレーキだった。

このブレーキがかかって以降、yamoは主張することを一切止めた。
yamoはこうしたい」と、口で言葉で言うことに恐怖を感じながら成長する。

例えば、姉妹4人で座る朝食のテーブルには、yamo以外の食パンにはマーガリンが塗られていて、苺ジャムは好きなだけ自分で塗るようにと継母が言う。
だからyamo以外の3人は順番にジャムを塗って食べ始める。

yamoもせめてジャムは塗りたいと思っている。

予め皿にのっていたパンに、yamo以外の3人には塗られているマーガリンが塗られていないのは、継母の毎日の意地悪だと分かっていたからそこは最初から諦めている。
わざわざ自分で塗ろうとはしない。
でもジャムは塗りたい。

先に連れ子2人がたっぷりと、パンからこぼれそうなほど塗って美味しそうに食べ始める。
姉も塗って食べ始めた。
姉がyamoにジャムの瓶を渡す。

yamoは両手で受け取る。

するとその様子をジッと見ていた継母が言う。

「アレ?yamoは苺ジャムきらいだったよね」

嫌いなわけがない。
昨日は塗って食べることが出来たんだから、嫌いなわけがないのだ。

手が止まる。
姉から両手で受け取った苺ジャムの瓶を持ったまま動けない。

もう一度ミチヨの声が聞こえる。
「キライだったでしょ?塗らないでしょ?」


呼吸も止まった気がする。

どういう態度が正解なのだろう?と考えた気がする。
この場合、どう返事をすればこの女の人の暴力から退避出来るのだろう?


「うんそうだった」と、yamoは小さい声で言った。

姉がすかさず「そうだった?キライだった?」と聞いてきた。
yamoはたぶん泣いていた。
一生懸命堪えたつもりだけど、どれくらい取り繕えたか分からない。

「うん」と、うなづいた。
そしてテーブルの中ほどにジャムの瓶を置いた。

すると姉は、冷蔵庫を開けてマーガリンを出してきた。

「じゃあマーガリンは?塗って食べる?」と、聞いてくれた。

「ううんいらないよ」と、継母を見ながらyamoは言った。

姉は、「マーガリンは塗ったほうがおいしいよ。貸してごらん」と、言ってyamoの分の食パンにマーガリンを塗ってくれた。

連れ子2人は2枚めのパンを焼いていた。

yamoの様子を睨んでいたミチヨは何も言わなかった。
ふんと面白くなさそうに姉とyamoのやり取りから目を逸らした。

テーブルから離れた。

それを確認してようやくyamoは呼吸がちゃんと出来た。

姉の顔を見た。
食べな」と言われて差し出されたマーガリンが塗られた食パンは、どんな味もしなかった。
全部食べたことは覚えている。

yamoも姉もパンはいつも1枚だけ食べた。


お陰様で人は成長する。
小さいyamoちゃんも、人生の長い時間の中で「自己主張して良い」と、学ぶ機会を何回か宇宙に与えてもらっている。

だから今(現在)が有る。

でもやっぱり未だに、心の底からの自分の願いとか望みを主張しようとする時、強くブレーキがかかったように苦しくなってしまう。
本気の望みを叶えようと本気で動こうとすると、叶ってしまうことに恐怖を覚えてしまう。
これはどうしたものか。。。。
努力をしたくないただの言い訳かも?とも思う。


星読みを学んでいると、人生には何度でも幸せになるチャンスは巡ってくるということを教わる。

月は2日かけて1つの星座を移動する。
半月に1度新月と満月を繰り返して、私たち地球人には、「学んだらそれを外に吐き出しなさい」と促す。

「呼吸と同じ。吸って吐いてでワンサイクル」
#星読みテラス
#かげしたまゆこ

私は、2020年に風の時代に入って以降、自分らしさとか、自分の思う豊かさとは?とかということについて強く考えさせられている。

それがここに来て、今度は強い浄化作用が起きているようで、まんまと幼少時の思い出したくもなかった出来事をこうしてnoteに書くはめに陥っている。

これを心から有難いとはまだ思えていないのだけど、書かずにはいられない。

私が私を救わないと、私は苦しいままだなと思った。
苦しいままは苦しいなと思った。

なので、もう少し書きます。
また次回。


ここまで読んでいただきありがとうございました😊。

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