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またやられたぞ浅田次郎

浅田次郎『おもかげ』(講談社文庫、初出2017年毎日新聞出版)
 生まれ育った家から最寄りの駅といえば、地下鉄有楽町線江戸川橋駅が開設された中学3年生になるまで、地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅だった。子供の足で徒歩約10分の距離だったと思う。赤い車体に白いリボンがねじれたデザインの地下鉄が、後楽園駅から茗荷谷駅に向かって走ってくると、トンネルを抜け、操車場を左に見ながら二つの跨橋をくぐってホームに近付く。線路には、床下のモーターに電力を送るための鉄路が車輪を載せる二本のレールに並行して走っている(第三軌条)。そして車体下の台車に取り付けられた板状の金属(集電靴というらしい)がその3本目のレール上をこすりながら集電するので、屋根にパンタグラフがない。その分トンネルは小さくて済むが、金属同士がこする特有の音を立てた。
 鉄道が好きだった父は、たぶん自分が眺めたいせいでもあったろうが、幼稚園に通っていたくらいの私を連れて、茗荷谷駅近くの跨橋までよく散歩に来た。私は父に肩車され、金網越しに橋の下を通りすぎる丸の内線の屋根の列を見るのが好きだった。キーキーいいながら駅に向かってスピードを落としていく地下鉄。煤で汚れた屋根の列が橋の下に吸い込まれていく景色。それが、最も古い記憶の一つだ。
 『おもかげ』の主役は、実は丸の内線である。親に捨てられて施設で育った利発な子どもが苦労して「国立一期校」を卒業し総合商社に就職する。脇目もふらず仕事をして昭和を駆け抜けた。施設から友達と「脱走して」乗り込んだ丸の内線の記憶。荻窪にマイホームを建て、丸の内線で通勤し続け、部長を最後に定年退職したその日。職場の歓送会に送り出されて、大きな花束を抱えて家路に帰る丸の内線の車内で意識を失う。脳内出血。救急搬送され病院に直行する。カーテンを挟んで、戦災孤児だったカッちゃん、昔、地下鉄工事でつるはしを振るっていたというカッちゃんが横になっている。
 昏睡状態が続いているはずなのに、やがて夢か現実かわからないのだが、謎の女性・峰子に導かれ病室の外に音もなく連れ出される。子どものころ、大学時代の苦い初恋のころ、同じく不幸な境遇だったけれど静かで穏やかな女性と結婚し社宅住まいをしていた新婚のころ、同じ施設で育ちやがて大工の親方になった「脱走」の友達に家を建ててもらったころ、病気で死んでしまった長男を思って妻と共に喪失感に打ちのめされたころ。その時々の自分をもう一度、傍観者のように眺める。自分の心の中を読むことができ、自分のことを何でも知っている魅力的な年上の女性・峰子に親しみを感じながら、男は戦争の傷が少しずつ見えなくなっていく昭和の東京とともに生きてきた人生を振り返る。そして最後に、もう一つの地下鉄のエピソードによって、子どものころのカッちゃんを知っている峰子の正体が明らかになる。
 主人公は、多分1950年ごろの生まれで、1960年生まれの私が知っている東京は、この小説で語られる東京のにおいをほんのかすかに残していた。
 「歩くほどに喧騒が近づいてきた。やがて僕らは、たぶん完成して間もない新宿西口の地下広場に出た。帰宅途中のサラリーマンや長髪の若者たちが、何百人も地べたに腰をおろして演説を聞いている。平和的な反戦集会であるらしい。あちこちで見知らぬ同士が議論をしていた。満ち足りてはいないが、まじめな時代だった。」(p.350)
 そういう風景をほんの少し覚えている。泣けるね。またやられたぞ浅田次郎。

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