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道に落ちている名もなき手帳のような。

TwittertとかInstagramとか諸々、いくつかのSNSにアカウントを持ち、おおむね楽しんでいるけど、そのほとんどすべて、私は自分の名前と立場を公開して運用している。

何某であるか。仕事はなにか。
を明かしてるってことは、仕事・その他活動の宣伝ツールとしてもSNSを活用してるし、してるけど、それだけだと無味乾燥な感じがしちゃうこともあり、趣味や暮らしのことなんかを垣間見せもする、ちゃんと「本人のアカウント」それが私のSNSのスタンス。

基本的にはそれでいいと思ってるし、今後も変わらない。
というのも私、別アカとか裏アカとか苦手だし向いてない。そんなのわざわざ作って発言したいことなんてあんまりないし、自分の名前で言いにくいってことはつまり、ネットを公共の場と捉えるなら、それはやっぱ今のところ大声で言うことじゃないかも慎重になるべきかもなんだよ、と思う。

だけど私、映画とか本とか漫画とか好きで、演劇も見る、美術展も行くので、感想・考察をしっかり残したい時がある。
でそれを共有したいって気持ちもある。
紙の日記帳に書いて時々自分ひとりで読み返すだけじゃなくて、他人も読めるところに開いて置いといて、「みんなはどうでしたー?」って暗に聞きたいってことかもしれない。自分でもそれはすこし幼稚かなって思うけど。

でそういった鑑賞って、当たり前だけど当たり外れがあります。まぁ「クソだったな」みたいな時に、私の場合その「クソ」の詳細をちゃんと考えるんだけど、「どうクソだったかというとね」と懇切丁寧に語れば語るほどやっぱり「つまりはクソですね」ってことになっちゃいます。

でそれを「本人のアカウント」でやるのは、やっぱりいろいろよくなくて。

若い時に「自分の発言の影響力を考えられるようになってね。いつどこでだれとお仕事することになるかわからないんだよ。」って、その時属していた組織の人に言われたこと、ずっと覚えているの。
その時は、言いたいことも言えないこんな世の中じゃ(ポイズンだね)と、窮屈にも思ったけど、自分の発言が自分の不利益になるならまだしも、自分の発言が思わぬところでだれかの不利益に繋がってしまうのは申し訳ないし、さっきも言ったように、自分は愛ゆえの感想のつもりで書いてても、うまく楽しめなかった理由をちゃんと考えて丁寧に書けば書くほど、私の中では誠意だとしても、それは批判で批評で、作り手やこれから見る人に絶対影響する。

あと、そうしたサブカルティックなことだけじゃなくて、今!自分の本当に興味あることとか、本当に怖いなって思ってることとか、って「本人のアカウント」では発言しにくい。
自分にも周囲にも、どう影響するかわからなくて「とりあえず黙るしかない」ってモヤモヤしてるときもある。

「忌憚なき所感」を書くために、そして「だれが書いたか」ではなく「なにが語られているか」を伝えるためには、アカウントの「匿名性」も時に有用なのでは?と考えて、このnoteを開いた。

ネットが公共の場である、という意識は不変。名札をぶら下げてようがぶら下げてなかろうが、真摯にふるまう。それは変わんないです。

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