ディストピア

私は三年間ドイツに行っていた。留学という風に言うのだろうか、あまりその実感はなかった。かつてあまり居心地のよくない学校に行っていたのでそこから抜け出すことこそがドイツに行く私の理由であった。
母が言い出したことであった。
ドイツに何かある、そう感じると言い出したのである。
言い出してから約一、二年ほどして実行に移された。住む場所を日本からドイツに移した、という感覚であった。
出会いもあり、別れもあった。最も私はドイツを定住の地と考えていなかったので人間関係にはあまり頓着しなかった。
ドイツでは留学生というより難民中学生として扱われた、実際に私は中学生であったし、逃げてきたというニュアンスも間違ってはいない。それに向こうの中学校というのは内容が小学生のほうに少しずれていたので学力に関してもあまり苦労はしなかった。
何度か転校を繰り返した。一度目の転校で恋人らしき相手ができかけ、そして二度目の転校をした。
一度目度目の転校先の担任というのが”ハズレ”の先生であった。非常に先生としての質が良くなかった。学生の立場で偉そうなことを言うと思うかもしれないが授業を受ける立場からすれば当然言いたいこともある。
例えば、いわゆる困った子が授業中に席を立って黒板に落書きをしたりして悪戯を始めると先生は暴力を振らないまでも強い口調でしかりつけ無理やりチョークを奪ったりして末にドアの外に立たせて強引に”調教”しようというような態度をその困った子にとったりするのである。
まず困った子をあからさまに”困った子”としてその他大勢の生徒の前で扱えばその他大勢の生徒がその子を”困った子”としてその後扱うようになる。そしてその子は孤立してしまう。私はそのような予想ができてしまって心苦しくなったので先生に意見した。
ただかまってほしいだけですよ、とその子を擁護した。ところが先生は自分は精神科の医者じゃないからわからないなどとよくわからないところをこだわって一向に私のの話に構わない。そのようなこだわりがあるのならまずあなたの態度がまずいでしょうとよっぽど思ったが口には出さなかった。まず私はドイツ語が達者ではなかった。
その後例の困った子は見事調教されておとなしい”いい子”になっていた。
私はディストピアを現実に見た心持であった。

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