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あるVTuberは如何にして心配するのを止めて夜御牧れるを演ずるようになったか または魂の異常な愛情

 もう一度、バラたちに会いに行ってごらん。きみのバラが、この世に一輪だけだってことがわかるから。

サン・テグジュペリ/河野万里子・訳『星の王子さま』22章、新潮文庫、2017年

 完全趣味勢/うちの子自給自足系/バ美肉VTuber夜御牧(やみまき)れるが、VTuberを始めた理由を振り返って今後の方針を点検したエントリ。


カメの寓話

 経済学者ロバート・フランクの本で知ったのだが、経済学に「地位財」と呼ばれる概念がある。自分の経済的な力・地位を対外的にアピールできる財のことで、不動産、高級自動車、衣装、アクセサリーなどが典型的に該当する。近年では、子供教育などもそうかも知れない。
 地位財は、その効用が相対的に決定し、他人との競争がエスカレートしやすい。その結果、地位財への支出はしばしば、非地位財への支出を圧迫し、生活の幸福度を下げる原因になる。
(中略)
 人は、何らかの地位財について、意図的に競争から降りると、家計が楽になって生活の幸福度が改善する事が多い。これは、読者の役に立つ可能性がある一般論だと思うので覚えておいて欲しい。

 「顧客は顧客自身の欲しいものを本当に知っているわけではない」という話はだいたいが供給者目線で語られます。労働者から見れば所属組織もある意味「顧客」=自分以外の誰かだし。
 自分自身を「顧客」の立場において「自分が」「表層的に何をしたいか」にとらわれず「自分が」「本質的に何を欲しているのか」を探り当てることに意識を向けるのは意外と難しい。

 むかしむかしあるカメがいたと仮定しましょう(アサンプション)。

 そのカメは空を飛べるようになることを夢見ていました。
 カメはある日洞窟で小さな小さな鍾乳石を見つけました。その日から毎日、カメは鍾乳石を飛び越えて跳躍力を鍛えました。鍾乳石は毎日小さく小さく成長しますが、それに合わせてカメも跳躍力を伸ばしていきます。
 カメは数千年ものあいだ鍾乳石を飛び越え続けました。すると、ホモ・サピエンスもびっくりのとはいかないものの、カメとしてはそれなりの高さを飛べるようになったのです。ちなみに、鍾乳石は1センチ伸びるのに数十年~数百年かかるとか。
 カメはカメとしては超カメ的なジャンプ力を身につけたので、知る人ぞ知るという程度には名が知れるようになりました。忍者の仕事も得ました。雇用主も周囲の人間もカメの記録向上を応援しました。

 しかしカメ本人は1ミリの満足感も得られなかったのです。

 なぜか?

 カメ本人ですら忘れてしまっていましたが、カメが憧れていたのは忍者などではなく月だったからです。
 カメは月のように丸いのですが、爬虫類≠鳥類なので月の高さまで飛ぶにはさらに何万年もかかるでしょう。

 何がおかしかったか?

 まず、現在は鳥類も爬虫類の仲間というのが有力説です。鳥類は現代まで生き延びた恐竜なのです。ですので爬虫類≠鳥類というより爬虫類⊃鳥類。

 というのはどうでもいいのですが。

 カメは星に囲まれる月に憧れていたのです。なのでタコ(イルカより賢いらしい)は星の映る泉に甲羅を浮かべることを奨めました。そうしてカメはようやく心の安寧を得ることができたのでした。めでたしめでたし。

 ──なんていうくっさい文章を書きやすくなるのがバーチャル○○というフォーマットの利点です。

 でも、僕の場合は歌うのが自分じゃないからこそ、入り込めたというか、なりきれました

ルール36 「アイデア出し3つの法則」で、発想がどんどん無限に湧いてくる
つんく♂『凡人が天才に勝つ方法』東洋経済新報社、2023年

本記事の執筆動機

 まず第一に、わたし自身が見たいものの供給が少ないために活動している自給自足系VTuberなので、似たような方がいたら活動していただきたく。気が向いたらスコップしてはいるのです。スコップ力が足りないうえに偏食がかなりあるのでなかなか掘り当たらない。

 あ、VTuberってかなり消費カロリー高いスタイルなので、これから始める人は他の表現形式も検討したほうがいいとは思うよ?

 別解。

 完全趣味勢なので特に目標設定などもしていないのですが。なにせVTuber活動というのはどのように活動していてもそれなりに面白くて(※個人の感想です)湯水のように時間を費やしてしまうのです。そもそもわたしは何がしたかったんだっけ?ということを整理する必要があると感じた次第。
 自給自足している分にはいくら自分自身のやりがいを搾取してもかまわないのです。しかし、自分が欲しているものが何か分かっていない、あるいは本当は自分に必要ないものを欲するがゆえに無駄に気力を消費するのは誰の得にもならないかなって。

 また、人は変わっていくものですが、文章にしたためておかないと振り返りもしづらいしね。

VTuberを始めた理由 夜御牧れるとは何であって何でないのか

 トビ色の目をした少女から、おまえは一ばん良いもの美しいものをもうかち得てしまった。彼女から遠く離れれば離れるほど、少女は一そう美しく良くなるだろう。だが、どこへでも好きなところへ行きなさい。かじの席をおまえに譲ろう。

ヘルマン・ヘッセ/高橋健二・訳「笛の夢」『メルヒェン』新潮文庫、2017年

 VTuberを始めた理由は最終的には、世を忍ぶ仮の生活が激変する前のことだったので、このタイミングを逃すともうVTuber活動なんてしないだろうと思ったからでした。実際、世を忍ぶ仮の生活は激変したので最近あまり配信できてないのですが。
 ──人生は長いし大抵のことは別に今やらなくてもいいことなのです。もし本当に今しかできなさそうなことがあれば迷わずやったほうが良いと思います。


 もっと根本的な理由は、自分以外の生贄(後述)を天葬せずにうちの子(聖書にも書かれている、自分のことをうちの子と書いて良いと❣)をこの世に現すためです。

 自創作というものは自分の好みに対してSR以上確定なのです。誰か他の創作者様がSSRをお出ししてくれることが滅多にないようなジャンルではなおさらです。そしてわたしの中のうちの子の姿をこの世に現すことができるのはわたしだけなのです。

 鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

第5章 鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う
ヘルマン・ヘッセ/高橋健二・訳『デミアン』新潮文庫、2016年

 ということでヤミマキさんの活動方針は、好きな女がこのムーブするか?という観点で決まっていることも多いです。そしてわたしの好きな女はアイドル然とした女よりかは『ハピメア』の内藤舞亜みたいな暗殺型なので。


  生贄について。

 さて、VTuberを始める前はというと、実はなりきり界隈の出でした。
 なりきり歴は世を忍ぶ仮の学生時代までさかのぼります。当時のわたしの文章力は壊滅的で、独力ではうちの子を作品に仕立て上げられませんでした。そういうわけで「共著者」を得られる場がなりきり界隈だったのです。

 ありがたくもなりきり界隈で色々なうちの子を書かせてもらったおかげで、短編小説程度は書けるようになりました。名義ぜんぜん違いますが、短編小説もあちこちで計10作以上投稿してはいます。長編書こうとするとエタるけど。

 しかし独力で短編小説を書けるようになったあとも依然としてなりきり界隈にいる時間のほうが長かったです。なぜか?

 好きな女は書ける。好きな男は(なかなか)書けない。でも男女CPが好き。

 実は白泉男子上がりで乙ゲも通過しているので、女の好みだけでなくうちの子をやってもいいと思える男についての好みもあるのです(性格バラバラな男何人も並べてこの中から1人選べっていうのを長い間やったら誰だって自分の好き嫌い分かると思うよ)。しかし、いい男というのはなかなか自分では書けない。舌を肥やすな、飯がマズくなると言われてももう遅い。

 少なくともわたしのいたなりきり界隈だと、PC(プレイヤーキャラ≒ガワ)の男女比については極端に女子の供給が少なかったので、うちの子はほぼいつも女の子でした。なのでそう、好きな女ばかり書いていられたのです。VRChatあたりだとガワ女の子のほうが多いらしいですが、どのみちわたし極端な男女CP嗜好だからな。

 ただ、なりきり界隈がわたしの性に合ってるかというと、また別の問題がありました。「共著者」がいるのはメリットでもデメリットでもあります。わたしはモチベーションの変動がかなりあるので時期によってアウトプットが激しく減少するのです。呼び出される側ではあったものの、ろくなロールが回せない時期に理解あった彼くんには慚愧の念に堪えない。。

 これが生贄を出さないで済むようにVTuberをやるという話につながるのです。VTuberって活動内容のカードが多彩なので、台本デッキの補充について人や関係性をアテにしないでもうちの子の実在性を稼ぎやすい。

活動名「夜御牧れる」について

 なにせバ美肉なので人様と名前がかぶると迷惑かなと思い、デスノートよろしく絶対に実在しないであろう名義にしました。ただ名前かぶりには気を付けたほうが良いと思う。NSFWダメですって純女さんの名義で検索したら夜のお店の人と被っているというケースを何度か見た

 名前の由来は「闇にまぎれる」からです。モチーフがツキノワグマなのでツキノワグマのアナグラムにしようかなと思ったけど、そちらは先行者が何人もいるのでやめた。

 「やみまき」なら「闇巻」のほうが読みやすいのですが、うちの子(聖書にも書かれている、自分のことをうちの子と書いて良いと❣)を創作名字にした理由はマルザハールさんよろしく羊飼いっぽいイメージのある「御牧」を入れたかったからです。難読名字にしたので下はひらがな名にしたけど、それもリルフィーの法則をばっちり満たしているので気に入っている。

 絶対に初見では読めないであろう名字なので、書き物ではちょくちょく一人称「ヤミマキさん」にして読み方をアピっています。別にkawaiiムーブではないのです、そこまでアイドル然とした女が好きなわけでもないので。

 ただもう少し考えたほうがよかったかもなと思っているのは、ま行ら行が多いので発音が難しいことですね。配信中はフルネームで名乗りづらい。

傍観者効果

 ヤミマキさんは「呪われたラジオ音楽を奏でる傍観者」を名乗る以前からずっと傍観者を称しています。
 「傍観者」というのは「当事者」あるいは「自己投影者」に対する対義語です。つまり夜御牧れるはあくまで第三者を中心に物語るという話。

 急に話は変わるのですが、わたしは「みんなを笑顔にしたい」という活動者の定型句を聞くたびに違和感を禁じえませんでした。笑顔にしたい、というのはごくありふれた前向きなフレーズであり、その裏を読むことにわたし自身それほどの正当性があるとは思えません。

 ではなぜ「みんなを笑顔にしたい」という言葉にそんなにも違和感を感じるのか、と考えると──

 わたしが手癖で書く女って、誰にでも通じるような言葉に対してだいたいいつも「みんなにそう言ってるんでしょう」と言うか思うかさせている気がします。わたしカップリングについては非ハーレム嗜好、他界隈でいうところの一棒一穴主義であり、お互いの相手がお互いでなければならない理由をできるだけ付けたいほうなのですよね。
 別にメサコンが嫌いなわけでは……あ、少しはあるかな、あるかも。

 ここは笑うところであり、アイドルとラブコメの絶対的な差異なのです。推しとファンは推しと「みんな」でしかありません。
 とはいえわたしが求めているものは分かりました。それは単独で浮遊する推しでは不足し、その関係性は綺麗に収まるようなものでも足りないのです。最上のものは根も葉もない創作CPになる。そのレベルになると実在性なんて邪魔でしかないのでVTuberは語り手としてしか介在し得ない。

 ゆえにヤミマキさんはシェヘラザードしか担い得ないのです。──おっと、原作のシェヘラザードは王さまの横で寝てたね❣

作曲について

 この手法が通用するのは「日本だけ」です。なぜなら、日本は99.9%を超える識字率だからです。

玉井雅利『手を動かして学ぶDaVinci Resolve 映像編集パーフェクト教本』p.105

 ヤミマキさんがしたいのは物語を読むこと・書くことで、作曲はその表現形式の一つです。逆ではない。ここはたぶんスタンスが違う音楽系活動者さんのほうが多いと思う。方向性の近い人もいるけど。

 歌の歌詞って小説と違って、好きな女のセリフだけ書いていればよく他のNPCを動かさなくて良いので、小説よりだいぶ書きやすいです。
 ちなみにヤミマキさんは曲の正当な解釈というものを設定していません。制作を切り上げたときの解釈というのはあくまでその時点でのわたしの全力全開であって、それ以上素敵な物語に仕立てられないとは思っていないからです。

 音楽というより物語として作っているので、MVというかミュージック紙しばい?も必須ではあります。自分でカラオケするために作ってる部分も大きいので、歌詞見づらくなるからそこまでわちゃわちゃ動かさないけどね。
 また日本語の歌詞ってかなり制約が多く、富野節よろしく言葉足らずになりがちなので、動画はその点を補うものでもあります。本当は歌のみで世界を完結させられればよいのだけど、この辺が今のわたしの限界。


 そもそも作曲をはじめたきっかけについて。歌枠という名のカラオケ配信をたまにしているのですが、好きな曲でもオケ音源も楽譜も手に入らないことが多く。版権曲ってスタンダード中のスタンダードでもないと耳コピで自炊するしかないことも多い。そりゃどこの馬の骨とも分からない自称・活動者に二束三文で歌わせてもメリットないもんね❣

 なら歌いたい聴きたい曲を自分で作ればいいか、ということではじめたのがきっかけです。

 わたしは別に一人で何でもできることに魅力を感じないので、歌入れも人にも依頼していたりしますが。
 作曲・編曲を外注する方向に行かなかった理由についてですが、予算の問題ともう一つ、依頼先を探すのも難しければ依頼自体も難しい。イラストと違って曲のテイストって聴かなきゃ分からないし、どんな曲を作って欲しいのかって言葉にするのも難しい。そもそも自分で作曲してても自分がどんな曲にしたいんだかいくえ不明になることが稀によくある。
 歌い手さんは志望者多いし、編曲ほど依頼書複雑にならないので外注するのも難しくないです。

 やってみるとDTMってけっこう金食い虫なんだけど、でも好き要素で詰まった曲をBGMにしてながら作業できるようになるのは爆アドです。とてつもなくテンション上がる。そして5分ちょっとで1つ物語が消化できるってタイパばつ牛ンです。

配信しないで文章ばかり書いてるよね?

※ここで言ってる「配信」は長時間のリアルタイム配信のほうです。

 そうだよ(便乗)

 配信者としてはライブ配信のほうが総再生時間その他の数字を稼げるし、リスナーとしてもライブ配信のほうがコメントのやり取りがしやすいです。YouTube上でも人の配信中にコメント付けるより動画にコメント付けるほうがエネルギーがいる(※個人の感想です)。
 なのでライブ配信というフォーマットに大きなメリットがあるのは分かるのですが。

 が、消費者としては、わたし言語優位なので文章で読めるものは文章で読みたい派なのです。それに動画って検索性が低い(AIさん早く何とかしてください❣)し自分のペースで読みづらいしで後から読み返しづらい。
 またかつてのテキストサイト全盛期のバーチャルネットアイドルブームの遺産を後から来て眺めるばかりだった身としては、またああいう女(女とは言っていない)がみたいなーという想いもあり。

 そういうわけで今のところ音楽制作などと比べるとライブ配信の優先順位は低く、配信形式のほうが表現しやすいなと思ったときに採り入れる程度の温度感です。

あの……活動者に向いてないのでは?

 そうだよ(天丼)

 はい、自己完結型の創作者がVTuberをやるのは『予想通りに不合理』です。逆説的に、それこそがわたしが活動者を続ける理由です。わたしがそういうバ美肉女子を見たいからです。他の創作者様が供給してくれる可能性が低い以上自給自足するほかありませんね❣

 投資による十分な利回りを得るためには投資のエキスパートである必要はない。エキスパートでない場合は、自分の限界を認識して、道理にかなった収益を確実に拳げられるコースを選ばなければならない。

ウォーレン・バフェット

 時は金なり、永遠に供給されないかもしれないゴドーを待ちながらそれに時間を捧げるのは現金塩漬けのようなものです。

 少女漫画にありがちな類型の一つとして、向いているようには見えないし本人もその気がなかったのに諸々巻き込まれて活動者の道に進む、という話型があるので、お話としては誰か書いてそうですが……供給ないかな(絶対他力)。

総括

 《正しい映像などはない、ただの映像があるだけだ》、とゴダールは言った。しかし私の悲しみにとっては、正しい映像、正当でかつ正確な映像が必要だった。ただの映像にすぎないとしても、正しい映像が必要だった。

ロラン・バルト/花輪光・訳『明るい部屋』みすず書房、1997年、p.83

 わたしは自ジャンルの供給が少ないために自給自足しているものなので、何か活動を始めようかなと思っている人にはぜひ腰を上げてもらいたいなって思います。VTuberというフォーマットは高燃費なのでそれにこだわる必要はないとは思うけど。

  • ヤミマキさんはうちの子(聖書にも書かれている、自分のことをうちの子と書いて良いと❣)の姿をこの世に現すために活動しています。

  • しかし、ヤミマキさんは傍観者つまり語り手です。創作の主人公の実在性はむしろ低いほうがシナリオの自由度が高くなるので。

  • 作曲は物語創作の形式の一つとして行っています。作曲が主で物語創作が従ではないです。

  • リアルタイム配信は余裕があったらする。

 VTuber化の闘いの高次な矛盾を総括できたので、敗北死つまり政治的死はしなくていいかな?
 そんじゃーね。