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教員免許を取った理由

そういわれてみれば、どんな形でさえ、


なんとか学校にかえって来た。


今の今まで忘れていたが、思い起こせば、教員になろうかなあと思った時期もあって、一応教員免許も持っておりました。。

現実問題、免許保有教科数が少ないので、実現は難しいのですが、教員免許は持ってます。なので、先生になろうって人の気持ちはなんとなくわかります。

PTA会長の教員免許保有率ってどれくらいなんだろう・・

PTA会長って大体自営業やフリーの方が多い?!(今時そんなこともないのかな・・・)その観点に立つと、結構教員免許もってる人って少ないのかな?なんて思います。

同じ境遇のかた、おられればぜひご連絡ください(笑)

現役時代は名選手になれなかったので、もう一つのあこがれ、高校野球の監督への道をのこしておきたかった・・・のかも。

教員監督が結構多く・・・当時は、

徳島 池田高校 蔦監督(巨人 水野コーチを生んだ)

島根 開成高校 野々村監督。(どくとくのビジュアルの美術教師)

和歌山 智弁和歌山 高嶋監督(押しも押されぬ名将)

千葉 習志野高校 石井・小林両監督

茨城 常総学院 持丸監督(藤代 竜ケ崎一時代教師)

等々



私は、大学2年生から教職課程を履修し始めました。もうかすかな記憶ですが、せっかく大学行ったので、昔のあこがれを実現する可能性を残しておこうッて思ったことと、1年間「大学生」って肩書を満喫して、ふと我に返って「今やらねば!」と考えてチャレンジした記憶があります。


1年ロスがあったので、2部の授業(2部ってもうないんですよね。夜間部のことを「二部●●(経済)学部」とかって言っていた時代)まで、駆使してやっとこさ取った資格。

昼間、朝から夕方にかけて5限まで授業を受けて、さらに夜、二部で2授業とかやってたなぁ。いちいち7コマの授業。PTA会長なんてやってなければ、何の役にも立たなかった・・(会長やっても役には、たってないか)

なんとかかんとか、ぎりっぎりで授業数をこなして、3年生で教育実習に。

そんな心構えなので、出身中学も出身高校も既に定員オーバー・・・と冷たく言われ、私が中学一年生の時に新設された中学校になんとかすべりこませてもらいました。

こんな形で学校に帰ってくるなんて・・人生、最後までどこでなにがあるかわからない・・・おもしろいもんだ

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