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試合に出れない時に学んだこと

どうも!ぴりかです。
本日はサッカーを小学校1年から大学院2年まで17年間続けてきて「試合に出れない」時に感じたこと、考えたこと、どう捉えて前進させていったのかを紹介させていただきます。

自分が試合に出られなかったことは小、中学生、大学生の時はほとんどありませんでした。
高校に進学し、部員数が90名となり、レギュラー争いが激しい状況で当然のことながら1年時は走るトレーニングがメインでした。

幼馴染の存在
サッカー部の同期には保育園からずっと同じで、トレセンや部活など同じチームで切磋琢磨できる仲間が一人いました。(T君)

T君は唯一1年時に試合に出ていたメンバーで、僕は夏の合宿でトップチームに上がっていたものの、メンバーからは落選しました。

サッカー部内外でT君は注目を浴びるようになっておりました。
だからこそ頑張れました。試合に出れない時こそ意識するようになり、練習後や朝練前など継続的に自主練しまくりました。

自分はFWというポジションなので、シンプルに考え
点を取る→シュートを打つ→シュートを打てる状況を創る
と色んな所からのシュート連を繰り返ししていました。
そして3年生が引退し、新チームになり、試合に出させてもらえるようになりました。

ケガからの学び
1年生時の後半の後半、まさに新チーム創りに向けて走り出した途中に「半月板損傷」でボールすら蹴れない状況になりました。
ここで初めて、サッカーしたくてもできない人の気持ち、試合に出たくても選ばれなかった人の気持ちがわかりました。

マネージャーへの感謝の気持ちも感じました。
走れない、ボールが蹴れない、やることは筋トレくらいです。
今思うともっと筋トレについて勉強しておけばよかったと思いました。

練習を見ていると、自分ならこうしていた。と、点を取るイメージだけ抜群にしておりました。復帰するときのイメージをもって筋トレもしていたので、自分がなりたい姿をイメージしながらトレーニングすると、気持ち的に本当に前進すると感じました。

そして、インターハイ予選が始まる前にケガが治り、Bチームでの復帰戦で2得点をとり、またAチームへ復帰できました。

筋トレの効果で、この時当たり負けなどあまりしなかったです。そして色んな人の気持ちを背負って俺は戦っているという気持ちもあり、公式戦6試合連続得点など活躍できるまでになりました。

3年時の落選
ぴりかが高校2年時で3年生が引退し、新チームが作られた時、またもAチームから落選します。そして、選手権の新チーム体制の時もAチームに呼ばれるものの、試合に出れなくなりました。

この時は葛藤していました。自分の課題と向き合ってチームがしたいサッカーに自分を合わせるのか、自分の得意なプレーを磨き続け自分が点を取ることにエゴイストになるのか。

当時は子供すぎて、本当にエゴイストでした。当然のことながら、試合にも出れなくなりました。
今でも最後の試合くらいは出たかったなと思い出すだけで悔しいです。

サッカーに限らず、仕事もチームです。チームのVISIONに向かうプレーが大切だと大人になり気づきました。
当時は疑問でしかなかったんですが、チームの方向性を大切にして、その中で自分には何ができるかを考えていくことが大切だと感じました。


まとめると
ライバルやベンチマークの設定
なりたい姿をイメージしてやるべきことを愚直にやり続ける
チームの方針から何ができるかを考える

この3つは今の仕事にも活きています。
ありがとう高校サッカー。

ということで、3連休楽しみましょう!!Peace Out!!

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