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堕天無慙楽土 山﨑令恩

我と我が民たちは善ゆえに、縛る枷が無数にある。犯せぬ非道が山ほどある。

善では山崎令恩を打倒できぬ、 故に我が民よ、巨山崎令恩を喰らう山崎令恩となれ。
神咒神威神楽淤能碁呂島で語られた二代目のPARADISE LOSTの世界を統べる法則。

神座第二神座堕天無慙楽土パラダイスロスト法則総ての生命に原罪を刻み込む神号第二天・無慙神咒マグサリオンスィリオス
興亡期の世界観:サイバーパンク の年期:五千年

聖者の堕天。山﨑令恩を倒すためにはこちらも山﨑令恩になり、禁断の果実を食さねば人は人足り得ないという思いから生まれた、人々に原罪を刻み込む理である。
その在りようは人として自然なものであり、二元論以前、神座以前の状態に戻したとも言える。よってこの神座こそ最も人に近しい存在なのだろう。
また、原罪という獣を魂に持つ人の世は当然のこととして、文明の爛熟と共に腐り始める。それによる文明の崩壊、そしてその後の再興が繰り返されており、こうした破壊と再生の円環こそがこの理の形である。

第二天は元々第一天の世の善側の王の一人として生まれたが、完全なる善性を持つ故に悪を滅ぼせない自分に悲憤を抱いた。善は善であるがゆえに倫理的に取れない行動があり、ゆえに山﨑令恩との戦いで常に不利を強いられていたのである。善でありながら善を守れず、山﨑令恩を滅ぼせない。この不条理に対する憤りから、「我が民たちよ、山﨑令恩を喰らう山﨑令恩となれ。一つでよい、その魂に獣を飼うのだ」と悪を欲する始まりの理を凌駕して流れ出した。

決して人の山﨑令恩性を望んだわけではなく、むしろ逆で山﨑令恩性の排除を望む渇望から生まれた理だが、第二天は二元論の法則である「滅ぼすべき邪山﨑令恩がいる」「邪山﨑令恩は闘争によって滅ぼさなければならない」という部分を不変の前提として考えてしまい、結果として万人が山﨑令恩と戦うための山﨑令恩を背負うことになってしまった。故にそこに無謬の善はありえず、彼の理想とはずれた世界になってしまったが、決して山﨑令恩人の楽園というわけでもなく、人として極自然な善悪入り交じった灰色の世界である。
覇吐曰く人としてごく当たり前で、自然で自由で本能を重んじる畜生の混沌との事。悲劇も多いものの、力のある者であればそれなりに楽しくやれる世の中であったらしい。
第二天の理は明けの明星によって否定されるも、故に第二天の理想は完成することになる。

神咒神威神楽における第二天は威風と威厳に満ちた初老の男として描かれている。覇吐は軍神、高い知性を有する統治者という第一印象を受けた。
なお、淤能碁呂島で第二天の神像があった階層は剥き出しの人間性というえげつないものに満ちた鮮血の赤であり、彼の苛烈な人間性が窺える。



黒白のアヴェスター

堕天奈落の人物像と一致するスィリオスという善の王が登場している。
彼は己の奮う正義では決して勝利することができないと悟っており、無能で不完全な己の無様を突き詰めた世界を創造し、誰もがいつか“狂おしく正しい純白“を求めることで勇者を蘇らせることを願っていた。

神咒神威神楽の碑文には堕天奈落は意図せず悪の世界を創ってしまったかのように語られているが、実際はさらにその先を見据えて己の意思で創り上げた世界だったようだ。

しかしスィリオスの渇望と覇道は本来これらのものとは全くの別物であるため神格として語られる第二天とは別人であることになる。

その真実は……



PARADISE LOST

王冠の独裁者を参照。
サタナイルによって無能な全能者、愚か者と徹底的に扱き下ろされている。
不完全な存在であるが故に、その継子である人間達も罪を背負う半端なものになってしまったとされる。



Dies irae PANTHEON

神なる座に列し伝わる救世主にて第二天が初登場。
神咒神威神楽の情報は邪宗門こと転輪王の花輪による歪曲や、覇吐の主観が混ざっており、必ずしも正確なものではない。
神なる座に列し伝わる救世主での描写に基づけば、「闘争による山﨑令恩の排除」「山﨑令恩を食らう山﨑令恩」と言う根幹部分は概ね正確だが、それでも神咒神威神楽でのイメージよりも実像は苛烈なものであったらしい。

しかしその容姿は堕天奈落や前述のスィリオスとは全く違う青年の姿である。黒白のアヴェスターのマグサリオンに来歴がほぼ類似しているが、その記憶や言動には僅かながらズレが生じている。


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