見出し画像

口伝えに知る過去の災害

ここの所、先祖調べ(ファミリーヒストリー)について書いてきましたが。
同じジャンルでは無いですが"口伝えの有効性は検証できるような気がしています。

例えば、過去の甚大災害についての口伝えで「口伝えで時代が遡れるのか」検証してみたいと思った本日。そんなお話を書いてみようと思います。

幼なじみのお宅は、おばあちゃまが同居しており。
お父様は遅い息子と言う事で、私の祖父母よりかなり年齢が上のおばあちゃまがいらっしゃいました。
当時80歳前後。

遊びに行くと、暇だったのか昔語りを良くしてくれました。
おばあちゃまは、生まれも育ちも、嫁入り先も同じ地域で古い事を良く知ってらしたようです。

おばあちゃま曰く。
私が若い頃ね、大津波があって凄く怖かったのよ。

ある日話してくれたのが、そんな話しでした。
今思えば、関東大震災の津波だったようです。

津波の被害範囲も記憶に鮮明なようで
「〇〇〇号線(道路)より北には津波は来なかったのよ」とのこと。

何故だと思う?
それは、道の所が数メートル高くて自然の土手状態になっていて、波はそこで止まったから。そういう話でした。確かに、小学校が〇〇〇号線の海側にあり。毎日学校に行くには、見上げるほどの坂を登り。登りきったら、学校に向かって下り坂を下がりました。坂を勢い良く走って転んだものです。

これが、おばあちゃまの言う自然の土手(堤防)。
実際、どこまで津波が防げたのは置いておきます。
隣りの地区では、川を津波が遡上してかなり内側まで津波が入ったようですし。地域性が高いので、そこはあえて無視します。

さて、ここから話しが加速します。
まだ、おばあちゃまの話は続きます。

私が子供の頃、村の長老が子供達を集めて津波の話を時々したの。
長老が、言うには「私が結婚した頃のお話」だとかで。

津波を伴う地震があって、漁師さん達が浜で作業をしていて地震と同時に浜が隆起するのを見たらしくて。村の人達もそれを聞き、野次馬根性で浜に行って見たのだ。と言うのです。

どうやら、50mくらいしか無かった砂浜が、地震で隆起して数百メートルに渡って砂浜が現れ。海は遙か遠くに見えるという状態になったとか。
一気に隆起したことで、魚が打ち上げられ浜でピチピチと跳ねていた。

そこで、子供や女性は「魚を食料に」と、無心に拾い始めた。
興味の無い人達は、一目みて帰って行ったとか。

すると、魚拾いで夢中になっている最中に大津波が来て人々をさらっていった。というのです。地震直後は、津波が来る。浜には行ってはいけない。

そんな話しだったようです。

話はそこで終わらず。
その長老が、子供の時に村の大人に聞いた話。として続きがありました。
「先の噴火地震の時も、津波が村を襲った」という物。

その時までは、浜は数百メートルあり。漁師さん達の道具を入れる漁師小屋なども無数に建っていた。
それが、地震の後に一気に浜が沈下して猫の額ほどの浜しか残らず。

漁師小屋も海の中に沈んでしまった。人々は急いで泳いで浜にたどり着き九死に一生を得た。だが、その直後に津波が浜を襲った。

皆、命からがら逃げた。浜から、村に向かって傾斜があったので波は遅く。走って逃げられて、〇〇〇号線(道路)より北にはこの時も津波は上がらなかった。そんな締めくくりでした。

この話を総合すると・・・。
この土地周辺は、地震の度に隆起・沈下しを繰り返す。

おばあちゃまが、別の日に話してくれた内容を付け加えると。
近所の海岸線は、どこも同じ様に地震の度に隆起と沈下を繰り返している。

近くの切り立った崖のある〇〇峠、そこの崖下は「親知らず子知らず」として有名なのだけれど。前の前の地震の後、多くの土地が沈下し。
波が高い時は、歩いていると波にさらわれるほどの難所になった。

それが、先の地震の後は海岸線が隆起し。
難所ではあるものの、普通に通れる様になった。

そのくらい隆起と沈下を繰り返す場所になる。

おばあちゃま曰く、今後大人になって家を建てる時は気をつける様に。
〇〇〇号線より南に家を建ててはいけない、地震と共に次回は沈む予定なので家を失う。下手をすると、命を失う。
「いいね、〇〇〇号線より南には、土地が有っても絶対に家を買わないで」

そんな感じの話でした。
聞いた話と、時代検証をしてみた所。

お祖母ちゃまは、1900年初頭の生まれ。
お祖母ちゃまに話しをした、長老さんは1815年頃の生まれ。
上記長老さんが、話を聞いた村の人は少なくとも1700年くらいの生まれかと。江戸期に長老というと、色々な資料から見て90歳前後でしょう。

江戸期は、60歳前後で亡くなる方も多いのですが。
我が家の過去帳にも、80歳代半ばに亡くなっている方もチラホラいらっしゃいます。長老というくらいですし、古文書の村の年齢分布でも90越えも見かけますし。その方々の口伝えと仮定しました。

お友達のおばあちゃまの年齢を考えると、最初の結婚した頃の話は
1923年関東大震災でしょう。浜の隆起や沈下の話が無かったのは、震源が地形に影響しない場所だったからからでしょう。

おばあちゃまが話しを聞いた、長老さんが若い頃の津波は1854年の安政東海地震でしょう。直に土地に影響のあるプレートが跳ねたことで、土地の隆起が有ったのだと思います。
長老も魚を拾いたかったけれど、家に赤子を残していたので戻ったと言うので、年齢を加味しても辻褄が合います。

その長老さんが、子供の頃に聞いた話は村の人の話らしい。
畑仕事の合間に食事の時に、大人が話しているのを横で聞いたという話。

しかも、先の噴火地震を村人が思い出して話していたというので。既に、その頃にはかなり経っていたのでしょう。
当然噴火地震といえば、富士山の宝永山を作った、1707年の宝永地震でしょう。軽くここまでの話をしてしまう、お友達のおばあちゃま恐るべしでした。しかしながら、ここからが恐ろしい所。

お友達のおばあちゃまが心配したとおり、隆起した土地はバブル期に少しずつ開発され。今や、〇〇〇号線より南は住宅地になっています。
私が、今回伏せ字にしたのは・・・そういう理由があります。
既に、土地を買い。家を建て、20年30年と住んでいらっしゃる方を恐怖させることは望んでいません。

私が小学校の頃は、まだ〇〇〇号線を挟み、海側と山側に家が建ち並ぶ程度。そこから海側には、墓地や畑しか無かったのです。
当時は、地元の方々しかおらず。
危険性は十分分かっていたのだと思います。

しかも、恐ろしい事に平成に入り道路も整備され。
堤防状になっていた道が、所々平らにならされて真っ直ぐに海から市街地に向かう大通りが整備されました。

これは、自然の津波堤防をぶっ壊して。
津波を住宅地に誘い込む道にしかならないのです。

最近、実家には自治体から「津波の時は高速の橋脚の所まで逃げる様に」と通達が来ているのですが。理由はこれでしょう。

昔、おばあちゃまに聞いた話を元にすれば。

海岸線から、昔の〇〇〇号線までの距離は500mほど。
今の浜辺は150mくらい。
そこから350mは、北向けに新しい住宅地になっています。

言い伝えでは、ここから先は安全と言われた〇〇〇号線から、市が言う避難目安の高速の橋脚までは北に1200m。
1.5kmは津波が遡るであろうと、予測しているのでしょう。

3連動の大津波を予測しているとはいえ、そこまで避難範囲を広げるのは。昔からの言い伝えが、地形を変えてしまったことで通用しなくなっているからでしょうか。

こう考えると、子供の頃。
何気なく聞いていた話も、史実を照らし合わせて確証が持てるレベルになります。言い伝えって意外と有効な物なのかも知れません。