村の少年探偵・隆 その2 毒牙
§1 野生児
千足村は隠れ里のような村である。
I街道から対岸の山道に入り、30分ほど歩くと大きく道が右折する。ここでI街道やI川と別れを告げ、10分も歩くと、千足村が見えてくる。ちょうど。すり鉢に米粒でもくっつけたように家が点在する。
村の中央を千足谷が流れる。
隆たちが子供の頃、この谷は水が豊富だった。村人は谷から生活用水を引いた。谷の水は田んぼも潤してきた。
谷の源流は山深い奥地にあった。周囲から湧き水を集め、太い滝となって、岩を穿っていた。その後はゆるやかな流れとなり、I川へと注いでいる。
この地方は四国とは言え、冬の寒さは厳しい。
千足谷はよく凍った。谷に近づくと、雪に覆われた岩の下から、かすかに水音が聴こえてきた。
凍った滝は見事だった。それは時間が停まった世界だった。動いているのは、氷と岩の間を伝わる谷の水くらいだった。
洋一も修司も隆も、一目見るだけで十分だった。全身が凍りつきそうだった。洋一の家で炬燵に手足を突っ込んで丸くなり、夏の日に思いを馳せた。
夏でも谷の水は冷たかった。5分と入っていられなかった。
谷にはジンゾク(カワヨシノボリ)やドブロク(ダボハゼ、ドンコ)、川エビがのんびりと泳いでいた。ヤマメやアメゴは動きがすばしこく、洋一くらいの名人でないと獲るのが難しかった。ウナギは夜、針にミミズをさして浸けておくと、簡単にかかった。
ウナギ、アメゴ、ヤマメはおいしかった。ジンゾク、ドブロク、川エビは鶏のエサになっていた。
洋一は隆を連れて魚獲りに行った。
隆は、千足谷やI川で魚を追うのが楽しかった。ただ、よくヘビに出くわした。隆の一番の苦手だったが、洋一は平気でヘビを掴んだ。ヘビの尻尾を持ち、振り回した。恐れを知らぬ、このガキ大将にはヘビも降参した。
一度だけ、洋一が山に身を隠そうとするヘビを足で押さえた。尻尾を掴んで引きずり出すと、相手は大きなヘビで頭をもたげて向かってきた。この時は、2人で一目散に逃げ帰った。
§2 交流
千足谷にはところどころに、淵があった。
淵は夏場は、天然のプールになった。中でも滝壺は幅10メートル、奥行き2メートルはあり、多くの子供たちで芋を洗うような状態だった。
その夏、権蔵爺さんの孫たちが千足村にきていた。3人の孫は村の子供たちとも顔見知りになり、遊びにも加わるようになっていた。
隆たちが滝壺で泳いでいると、3人が岸で見ていた。
村の子供たちは、男子はパンツ、女子はズロースだった。一方、爺さんの孫たちは水着姿で、ゴーグルも準備していた。末の女の子は浮き袋を抱えていた。
洋一が呼ぶと、3人は滝壺に入ってきた。女の子は浮きにつかまって泳ぐ。上の2人の男の子は潜って淵の中を探索していた。
体が冷えてきたので、岸に上がった。
上の男の子は町の様子を話してくれた。洋一たちにとって、テレビでしか見たことのない世界だった。
「なあ。海で泳いだことある?」
洋一が訊いた。隆も知りたかったことだった。
「あるよ」
なんでもないような答え方だった。
「海って広いん?」
隆が訊いた。
「そうや、大きな船が浮いてるよ。クルマ運ぶ船だってあるんやで。海は外国と繋がってるって聞いたよ」
I川の何倍くらいの広さか、洋一と隆には想像もできなかった。
§3 行方不明
権蔵爺さんの孫の話は、面白かった。いろいろ質問してみた。
「兄ちゃん。由美がおらん!」
真ん中の男の子だった。
急いで、滝壺の中を見てみた。由美はいなかった。
遊んでいる子供たちに訊いてみた。やはり、知らない、という。
洋一と隆、爺さんの孫2人で谷を下り、淵を覗いて行った。どこにも、由美はいなかった。
「これだけ探してみつからんのやから、谷にはおらん、思うで」
洋一は考え込んだ。
「淵だけやのうて、岸も探してみよう」
今度は岸を重点的に探すことになった。大きな声で由美の名前を呼びながら、岸を下に向かった。
「兄ちゃん。どうしよう」
爺さんの真ん中の孫は泣きべそをかき始めた。
「誰かに連れて行かれたのかな」
長男がポツリと言った。いくら田舎とは言え、白昼、女の子が誘拐されることなど、およそ考えられなかった。
「洋ちゃん。由美ちゃんは近くにおると思うで」
意外なことを言う。洋一は隆を見た。
「近くにおるんなら、なんで返事せんのや」
「返事できん理由が、あるんやないかなあ」
隆は天を仰いだ。
§4 危機一髪
「洋一君。トイレはどこ?」
長男が我慢しきれなくなったみたいだった。谷の水で体が冷えたのだろう。
「トイレなんかないよ。どこかそのあたりに、しときな」
洋一は笑った。
村の子供たちは尿意を催すと、たいてい水の中で知らん顔して放尿する。
「都会の子やから、もしかして…」
隆は洋一に声を掛け、谷に通じる道の脇道に入って行った。
隆が考えたとおり、由美はしゃがんでトイレをしていた。
向こうを向いていた。水着をおろし、背中とお尻が丸出しになっている。由美は微動だにしていない。
隆を制して、洋一がそっと近づいた。
由美の前に、ヘビがとぐろを巻いていた。注意深く見ると、頭が三角形をし、胴は短い。マムシだった。
洋一は隆に目で合図し、マムシの後ろ側に回った。
洋一の手がスッと伸びてきて、マムシの首の付け根を掴んだ。隆は反射的に由美を抱きかかえたが、そのまま尻もちをついてしまった。
マムシはだらんとしたまま、動かなかった。
I街道では昔、バスガイドが道端で小用を足していてマムシに咬まれ、死亡するという事故があった。
咬まれた場所が場所だけに、バスガイドは誰にも話さず、帰宅して母親に報告するのがやっとだった。すでに毒は全身に回っていた。
(人間にとって、最も無防備な姿勢やな)
隆は身が引き締まった。
「由美ちゃん。怖い思いしたなあ。動かずによう、じっとしとったなあ。もう大丈夫や」
隆は由美を慰めた。由美にやっと血の気が戻ってきた。
「このことはお爺ちゃんやお婆ちゃん、兄ちゃんたちにも言わんといてな。みんなに心配かけるから」
権蔵爺さんに知れると、もう夏休みに遊びにこれなくなるのではと、洋一は考えていた。
§5 口止め
孫たちは昼間の疲れが出たのか、いつもより早く眠りについた。
待ちかねていたかのように、婆さんが権蔵爺さんに話しかけた。
「由美がおかしいんや」
千足谷の遊びから帰ったので、婆さんが由美の水着を脱がして洗濯機に入れようとした。由美は婆さんに抱き着いてきて、号泣した。
「なんぞ、あったん?」
婆さんが訊いても、由美はただ泣くだけだった。
翌朝、権蔵爺さんは由美を呼んだ。
「言うてみ。何があったんや」
やはり、由美は泣くだけだった。
爺さんは由美を叱った。
「誰にも言うなって、言われとる」
由美はやっと、それだけ答えた。
爺さんには事情が呑み込めてきた。
「なんぞ、されたんか? やったのは洋一か?」
由美は固く口を閉ざしたままだった。
権蔵爺さんは富江を、家の外に呼び出した。
「手癖が悪いだけじゃないんやな。なんぼ口止めしたって、ワシには分かるんや」
富江は棒を飲んだようになった。
富江は洋一を問いただした。洋一は取り合わなかった。それがますます疑惑を深めた。
富江は和子にそれとなく訊いてみた。
「ウチ、何も知らん。由美ちゃん、ちょっとの間、おらんようになって。みんなで探したけんどな」
「その時、洋一は何しとった?」
富江は最悪の場合も覚悟した。
「隆君やと一緒になって探し回っとったよ」
洋一は仕方なく、マムシのことを富江に話した。
富江は権蔵夫婦に会った。
「由美ちゃん、バスガイドさんみたいになるところやったんやって。洋一と隆は命の恩人やなあ。礼のひとつも言うてほしいわ」
富江には言いたいことは、いくらでもあった。
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