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鵤木千加子『バトミントンの歴史   スポーツの国際化・グロバール化の軌跡』大修館書店

バトミントンは、最近の日本人選手の活躍により、知名度がアップしているものの、いまだにはねつきと同じか、テニスと似たスポーツとの程度の認識がない人もいると思われる。バトミントンの歴史を知るためには、本書は最適である。

バトミントンの起源を「インドのプーナで行われていたゲームをイギリスの将校が持ち帰り、イギリスで盛んになった」とするものが多かったが、最近は「諸説あり明確には不明」と書かれることが多くなった。

シャトルコックは、他の球技のボールに相当するものとされ、バトミントンは球技とされる。シャトルコックを使ったゲームは、アジア、特に中国に見られる。

中国では、紀元前2500年に兵士の訓練としてつくられたフットボールの一種である蹴鞠に起源をもち、「ジェンズ」と呼ばれる足でシャトルコックを蹴るフットボール形式のゲームが行われた。

シャトルコックゲームは、中国からベトナムやタイ等のアジア諸国に伝えられた。日本の羽根つき遊びも、その1つである。

また、アメリカ大陸でも、紀元前から何世紀にもわたって多様な形のシャトルコックゲームが存在した。北米大陸の先住民族は、とうもろこしの皮と羽根で、あるいは木の枝の幹に羽根を差し込んでつくらえたシャトルコックを使っていた。南米大陸では、インカによる征服以前の北ペルーで描かれた壺に、シャトルコックゲームが行われた痕跡がある。

「バトミントン」の名前が最初にシャトルコックゲームに登場した出来事は、1860年にイギリスの玩具商アイザック・スプラットが、「バトミントン・バトルドア」という解説書付きの遊び道具を発売したことであると思われる。

バトミントンという名称は、イギリスの南西部にある地名である。そこにあるバトミントン・ハウスには、現在もボーフォト公爵であるサマーセット家が住んでいる。ボーフォートⅧ世(1824ー1899)のとき、大パトロンとしてスポーツの発展に尽くし『バトミントン・ライブラリー』30巻、『バトミントン・マガジン』88巻を編纂している。

バトミントンがルールをもったスポーツになったのは、、1870年代半ば頃であると考えられている。1875年に最初のクラブがイングランドのケント州フォルクストンにつくられ、ケント、デポンシャー、ハンプシャー、サセックス、サマーセットシャー、サリー、ロンドン等のインゲランド南部を中心にクラブの設立が広まったとされている。

1893年9月13日、サウスシーのダイバー邸で開催された会議にイングランド南西部の9クラブが参加し、最初の統括組織となるバトミントン協会(The Badminton Association)が設立された。ここで注目されるのは、この団体はバトミントン協会で、イングランド・バトミントン協会とされていないことである。設立された年のバトミントン協会への加盟は、14のクラブであった。

全英選手権大会は、1899年に第1回大会が開催され、2度の世界大戦による中断を経て、2022年に112回目を迎えた。1977年にIBF(国際バトミントン連盟)主催の個人選手権大会が創設されるまで、実質上の世界選手権とみなされていた。

バトミントン協会の中での運営に限界を感じると言う者も出始め、IBF(国際バトミントン連盟)が、1934年7月5日に設立された。それ以前にナショナル組織等が設立されていた国・地域は10であった。

『バトミントンガゼット』誌に初めて掲載された日本に関する記事は、1934年、横浜カントリー・アンド・アスレティッククラブと神戸リガッタ・アンド・アスレティッククラブの対抗戦であるインターポートマッチであるが、これは外国人居留地に住む外国人の活動である。

当時の日本では、YMCAやバトミントン用具の製造販売会社のナルトスポーツによって、日本人によるバトミントンの活動が行われていた。シャトルとラケットが日本で生産され、詳しい情報はないが横浜と神戸以外においても活動があると見られる。

1930年代、イングランドの競技力の低下は明らかであった。デンマークの躍進があったほか、アメリカ合衆国を中心にしたプロの活躍が盛んとなった。

第二次世界大戦後、デンマークは競技力の高さを維持していたが、アメリカ大陸での飛躍は影をひそめた。一方、インドなど、アジアの強さが際立ってきた。

バトミントンがオリンピックの正式競技種目となったのは、1992年のバルセロナ大会である。1972年のミュンヘン大会でデモンストレーション競技となった。しかし、中国のIBF加盟問題などでWBF(世界バトミントン連盟)が設立され、2つの国際組織に分裂した。1981年5月26日、両組織の代表が東京で統一合意文書にサインするまで続いた。

1980年にサラマンチがIOC会長に選出されると、テニスと卓球が正式種目となったが、バトミントンは採用される強みを印象づけることに不足していた。

1982年のローマのIOC総会ではロビー活動を行い、1983年のコペンハーゲンの世界選手権大会へのサラマンチの訪問を実現させた。1985年、東ベルリンで開催されたIOC総会で正式種目となることが決定された。

本書では、最近30年についての記述はほとんどないが、ルールの変更や、競技技術の変遷なども書かれている。バトミントンについて過去からの歴史にもとづく理解ができると思われる。




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