「人は、死ぬ」


「人は、死ぬ」
好きな言葉です。司馬遼太郎が「竜馬がゆく」の最終章の冒頭に書いた一文で、当たり前のようでいて、突き放したようでいて、諦めたような、慈しむような、複雑な感情をないまぜにしてポンと目の前に置かれたような気分になり、はてどうしたものか、と戸惑うようでもある。

「人は、死ぬ」
人に限らず動物も植物も、あるいは無生物でさえ死ぬ。形あるものはいつか壊れる、という意味でね。

それだからいいんだ、とも言えます。物事には終りがあるかたいいんだ。
永遠に続くとしたら、どうします?

休日はたまにあるから休日であり楽しみであり、あっという間に終わってつまらない、なんて言えるのであって、人生ずっと休日だったらどうしましょ?(もうすぐそうなるのだが)
お祭りは一年のうちの特別な日だからお祭りなのであって、毎日がお祭りだったらどうします?
お神輿が壊れちゃうですよ!

そもそも死ぬこと老いることもなく、永遠に生き続けるのもけっこう地獄でしょう。
だから物語では、永遠の命を求めるのは悪役と決まっている。
フリーザとか鬼舞辻無惨とかディオ・ブランドーとかカーズとか(ジョジョからふたりも選ぶことないか)。

そういえば竹取物語で、不老不死の薬をもらった帝は、それを惜しげもなく焼き捨てていましたね。

藤子・F・不二雄先生の「モジャ公」にもありました。

誰も死なない星の美女パイポが、
「終わりがないっておそろしいことよ。昨日と変わらない今日が何億年も続くなんてたえられない」
と嘆くシーン。子どもにわかるのかな。大人でもわからないかも。

やっぱりF先生は天才です。
少年マンガに、こんなことをサラリとを織り込んでしまうんですから。

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