色を失った瞳

色を失った瞳 Vol.3

 五月。聡士は夢進ゼミナールに通いだした。夢進では完全担任制で、自分が受験に必要な科目の先生の中から、自分に合う先生を一か月の間に見つけ、登録する。聡士が入った頃には人気の先生はすでに埋まっていたので、各教科空きのある先生は四人以内。一か月のうちにすべての先生の授業が体験できた。聡士は最初から私立大学文系志望であったので、英語と国語、日本史の三教科だ。最初の一周目。一教科四時間の授業に聡士は帰ってきてそのまま玄関に倒れこんだ。少しヘビーだが、逆転合格のためには必要だという。

「俺こんな長くぶっ通しで集中したことないよー」

「あら、集中できたの」

「なんだよそれ」

「だって、杉谷君の時は全然集中してなかったから」

杉谷君。去年まで聡士の家庭教師をしてくれていた医大生だ。

「すぎっちは優しいから。今日の英語の先生、鬼なんだよ。『こんな問題間違える余地もない』が口癖だしさ。教室の雰囲気もピリピリしてるし、自然と背筋伸びるんだよ」

「おっ、じゃあ、よかったね!」

「まあね…」

聡士の顔はぐったりしていた。学校で五十分授業を六限までこなした後、四時間だから確かに体にこたえるだろうなと思った。

「ちょっと寝る?」

「いや…明日学校で単語テストだし、それやんなきゃ」

「え?」

聡士が二階に上がっていった。驚いた…。意識が変わっている。前までは単語テストの勉強なんてした試しがなかった。先にテストを行ったクラスに出所を聞いてそこだけ休み時間に死ぬ気で覚えれば平均は取れると、昔得意げに言っていたし、もちろん単語テストの点数はいつもよくなかった。だから驚いた。

「母さん、なんか食うもんない?」

二階から聡士が顔を出して言った。

「おにぎりで良い?」

「うん。頼むー」

バタン、とドアを閉める音がした。予備校って凄いんだな…と不覚にも思ってしまった。




部屋に入ると、聡士は本当に机に向かって英単語を覚えていた。机におにぎりを置くと、

「ねぇ、母さん」

と聡士が腕をポンポンと叩いた。

「うん?」

「英単語ってな、語源で覚えると面白いんだよ。接頭語とか接尾語とかになれると…例えばこの、conspire。共にがconで、息をするがspire。共に息をする、で陰謀を企てるって意味なんだ」

「へぇ~わかりやすい」

「だよね!宮部先生、怖いけど目から鱗が落ちるくらい分かりやすかったんだ。俺、あんなに説明分かりやすい教師、初めて会ったかも」

聡士が目をキラキラさせて今日の授業でとったと思われる板書を見ていた。

「…なんか、あそこなら頑張れる気がしたんだよな」

「そっか」

頭をクレーマーの女の言葉がよぎった。夢進に言われるがままやったのに。

「夢進、聡士に合ってると思うのね?」

「うん。少人数で受けやすいし、合ってると思った」

ふぅっと息をつく。

疑ってはいけない。

聡士の気持ちを尊重しよう。

「本当、よかったね」

「うん」

丸まった背中を見ながら私は腹を決め、部屋を出た。



五月後半。三周目の授業を終えた聡士が暗い面持ちで帰ってきた。

「難しい戦いになるって。面談で言われた」

「坂下さん?」

「うん。高2の時のプレセンター模試を見せたんだ。そしたら、困った顔されちゃって」

当たり前なんだけど、分かってたんだけど。聡士はリビングのソファに腰をおろした。肩がしゅんと下がっていた。

「そりゃあな。俺、英語の偏差値五十ないもんな」

「それは…低いの?」

「え?知らないの?」

「ほら、私もお父さんも、高校受験が最後だから…」

「あぁ…」

この家、大学受験俺だけか。聡士はますます下を向いた。

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