色を失った瞳

色を失った瞳 Vol.5

 夏休みに入った。聡士は学校の補修に夢進での夏期講習、と一日中勉強漬けの毎日になった。夜十時頃、やっと帰ってきたかと思うとソファでぐっすり眠ってしまう。そんな日々だった。しかし、そんなハードな量をこなす甲斐あってか、聡士の成績は上昇を始めた。偏差値という目に見える数字で、上がる一方であったので私はすっかり感心していた。しかし、あっくんはそうではなかった。

「聡士のやつ、飛ばしすぎじゃないか?」

「飛ばしすぎ?」

「勉強嫌いな聡士が急に勉強してるってことは、自分を騙してるってことだろ?勉強嫌いなんてそう簡単に克服できるもんじゃないし、相当無理してるはずだよ、あいつ」

「そうだけど、あの子はそうしたくてしてるんだから、私たちが止める権利ないじゃない」

「いや、分かってるよ。そんな事」

聡士はソファでピクリとも動かず寝ている。

「…勉強の才能なんて平等だとか言うやつが沢山いるだろ、予備校には。でも、それはやって出来たやつだから言えるんだよ。やってもやっても出来ないやつがいないわけがないのに。それで、やってもできなかったやつがもう勉強は無理なんだと思って諦めようとすると、君はまだまだ出来るっていうだろ、できねーっつの。出来ないやついちゃ悪いのかよ。勉強できれば偉いのかよ。やってもやっても出来ないやつのことはどうして肯定しないんだよ。どうして努力してないような言われをされるんだよ」

あっくんは静かに、しかし力強い口調でそう言った。

「聡士が出来ないとは言わないけど、そんな間違ったやつらに出来る出来るまだまだ出来るって、操り人形のように従ってんなら…聡士はいつか苦しくなる」

「…なんで今更?四月の時点で聡士の事信じろって言ってたの、あっくんだよね?ちゃんと最後まで聡士のこと信じてよ。親なら」

どうして、私はあっくんの話をもっと冷静に聞けなかったんだろう。偏差値が上がってたから?聡士の気持ちを尊重しすぎて?どちらにせよ、あっくんの目にはこの時すでに最悪のシナリオもちゃんと見えていた。

「…うん、そうだね。ごめん」

信じよう信じよう、とあっくんはそそくさと浴室に消えた。聡士は寝たっきりまだ動かない。呑気な私は模試のグラフの上がった線を指でなぞって嬉しくなった。



 その数日後、聡士は風邪で寝込んでしまった。めったに風邪なんかひかない丈夫な子だったから、私は朝からあたふたとしていた。聡士は呼吸を荒げながらも英単語を離さない。おでこを触ると、発熱もあるようだ。

「今日は寝なさい」

と単語帳をとろうとすると

「無理!やだ!だめ!」

とベットの上でじたばたと暴れた。今までの聡士なら、必死に守ろうとするものは英単語じゃなくて漫画だったろうな、と思った。聡士の部屋には憑りつかれたように壁一面に英語の文法要項、関ケ原の戦いの相関図、古語単語などが貼ってある。確かに聡士のやり方を見ていると、ひたすらに自分を騙しているようだった。漫画を捨て、携帯は鍵のかかった引き出しにしまい、英単語の冊子を枕元に常に置く。逃げられない環境を作り、そこに身を投じていた。しかしそれがずっとプラスに働くとは限らない。

「横になっとくから。俺やばいの。まだ千もまともに入ってない。一日も休む暇ないんだって」

熱で潤んだ瞳が痛いたしかった。

「…わかった。何か欲しいものある?」

「甘いもの買ってきて。頭の糖が最近すごい勢いでなくなっている気がするんだ。新しい知識入れれば入れるほどに」

「うん、ケーキかなんか買ってくるよ」

「ありがと」

「欠席連絡、いるよね?」

「塾はいらない。なんか、そこは放任」

「そうなの」

「頑張るやつは応援するけど、頑張らないやつは見捨ててる。だから、俺早く頭に入れなきゃ…くっそー頭痛っ」

「風邪なんだから当たり前でしょ。少しは寝なさい。ずっと覚えててられるもんでもないでしょう」

「うーん…」

聡士が諦めて布団をかぶる。私は一安心して部屋の明かりを消した。

そこにインターホンが鳴った。モニターを見てみると女の子が立っていた。

「はい」

「あの…森野君大丈夫ですか?」

「…」

「私、同級生の三浦って言います」

…彼女か?と感付いたが、たった今寝た聡士に確かめに行けるわけもなかった。

「ちょっと待ってね」

と私はモニターを切った。

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