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I‘m Still Standing

エルトン・ジョンの曲に『I’m Still Standing』という曲がある。

彼の半生を映画にした『Rocketman』では外部から精神的に痛めつけられて疲弊していくエルトン・ジョンが描かれている。徹底的に。家族からも恋人(だと思っていた相手)からも、彼は心の柔らかいところを取り出されては傷つけられる。それによって、酒に、薬物に、買い物に、セックスに溺れて抜け出せないでもがく日々が続く。苦しみながらも大勢の前で大仰なパフォーマンスをして“エルトン・ジョン”としての自分を維持しようとするが、生活は破綻し、依存症のための施設に入ることになる。しかし、最後にはこの曲の歌詞を作詞家である彼の生涯の友に渡されて、回復への道を歩むのであった。

僕はまだ立っている。

彼の私生活について考えようとすると僕の思想とはちょっとうまくいかないところがあるのだけど、映画でまとめられた彼の人生に対してはとても心を寄せてしまう。なぜかというと彼は依存症者であり、僕もまた依存症者であるからだ。2023年8月に診断がついた。何に依存していたかはこの場では明らかにしないが、とにかくこのことで唯一の家族であるパートナーにはとてもつらい思いをさせてしまった。

依存症というのは遠い世界の話だとずっと思っていたのに、いつの間にか目の前にあった。しかもその毒のある実がなっている木は小さい頃から自分で育ててきたものなのだという。これから書くことはあくまでも自分の理解と経験に基づいた話だということは断っておく。

僕は育てられていた家庭がうまくいっていなかった。人間と人間が常に怒りと恨みと諦めの狭間で苦しんでいるのを目の当たりにしながら育つというのは、改めて文字にして客観的に眺めてみても心身に悪そうだと思う。愛はもらっていたはずだ。海に遊びにいったときに僕の背中に日焼け止めを手際よく塗る手の感触、食べ放題のホテルの朝食でヨーグルトばかりを食べて呆れられたこと、祖母の家に遊びにいったときには必ず出てくるイクラ、あれば苺も。食べ物と愛は僕のなかで密接に繋がっているので愛を思い出そうとすると食べ物の話になってしまう。どうあれ、出来うる限りの形で小さい頃の自分は愛を受け取っていた。ただ、負の感情をいつも受け止めながら愛も受け止めたことで、確実に僕は歪んでいった。

親と言われる人たちのことは好きだった。好きだからたくさん笑ってほしかったので、僕はお笑い芸人になったりカウンセラーになったり友達になったり、そのときの人々の様子を眺めながらすばやく衣装を着脱した。自分が本当にやってほしいことを後回しにしていれば、愛をもらえると思っていたからである。今思えば、彼らは生活にも人生にも疲れ切っていた。子どもを二人抱えながら自分の仕事をやる生活というのは大変だっただろう。ずっと、僕が衣装を変えて過ごしていることは気づかれることはなかった。

パートナーと暮らすようになっても、衣装を変える癖は抜けなかった。彼女が笑ってくれればいいのだ、と感情を押し殺しては、別のところで噴出してしまい、結局傷つけてしまうことを繰り返すようになった。育てられた家庭ではなんとか蓋をできていた感情が、ふきこぼれてどうにもしようがなくなっていたのだ。依存対象に頼ることで、なんとか僕は形を保っていた。

小さい頃から空想が好きだった。誰もが穏やかに過ごすアジール。安息の地。主にそれらの世界は児童文学や民話や神話に存在する言葉から組み立てられていたので、僕は高校を卒業するまで勉強以外で純文学を読んだことがなかった。空想の世界は、鮮やかすぎる現実よりもやわらかく僕のことを受け止めてくれた。もちろん僕はその世界に夢中になっていった。しかし、それこそが依存症の種なのだという。自分を殺す毒を仕込んだ実をつけるものを自分で育てたのだ。その種はすくすくと地獄のような環境で育ち続けたが、致死量を食べる前に僕が音をあげて周りに助けを求めて、いまはいったん成長が止まった……ように見える。

先日、親と言われる人たちとの連絡先をひとまず切った。お世話になった母方の祖母の葬式にも、僕がここまで苦しむ原因になったことをやらかした父方の祖父母の葬式にも出ないつもりだ。この先、彼らの介護や葬式に参加するのかは分からないが、ひとまずこの先数年は没交渉でやっていきたいと思う。僕が死なないために。

2015年、やっと育てられた家を出ることができた。2018年、漫画の賞を取ってデビューした。2024年、いまも僕は漫画を描いている。

僕はまだ立っている。

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