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余命1ヶ月でもお金を使わない理由 - 本当に大切なものは何か?

資本主義社会では、お金があれば何でも手に入るように思える。
だからこそ、みんな必死になって貯金したり投資したりして、資産を増やそうとしているのだろう。

でも、もし突然、自分の余命が1ヶ月だと知ってしまったら何にお金を使うだろうか。

高級レストランでの食事? それとも、豪華クルーズ船での世界一周旅行? 

たしかに、世の中にはお金があれば買ってみたいものは沢山ある。
余命いくばくと知ったら、いままで貯めてきたお金を使い切らないともったいないと感じるかもしれない。

しかし私ならきっと、残された時間を豪遊・散財のために使うのではなく、ただただ家族と過ごすために使うと思う。

家族との何気ない会話や、共に過ごす時間以上に、私にとって大事なものはないからだ。

そして家族と過ごすためには、ほとんどお金はかからない。…私の幸せは資本主義の経済活動とは別のところにあるということだ。

だとしたら、どうして余命何十年もあるリアルな私は、家族との時間が十分にとれないほどの長時間労働に明け暮れる日々を送っているのだろう?

余命が残りわずかになるまで待つまでもなく、自分の生きたいように生きたら良いではないか。

1日も早く、長時間労働から抜け出して、週3勤務くらいの労働に変わりたい。
どんなに余命が長くても、子供たちが巣立っていったら、一緒に過ごせる機会もガクッと減ってしまうのだから。

ああ、でも週3勤務の給料では生活費はカバーできないから、もう少し資産を貯めておかなくてはいけない…

お金は目的ではないけど、手段としてはとても大事なのだ。たかがお金、されどお金!

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