仕事を辞める前の僕といったら、お金の価値を無視して とにかく「自由な時間」を捻出することに躍起になっていた。 特に「ご飯の時間」を僕は「ご飯を食べなければならない不自由な時間」と捉え、近くにスーパーがあるにも関わらず、ネットスーパー・ウーバーイーツの利用、インスタント食品の多用等、とにかく手間をかけずに、そして手間をかけないかわりに惜しみなくお金を使用した。 当時は外食すら時間の無駄だと思っていたから、余計にひきこもりは加速し、それはほとんど意地だった。 仕事をしている自分が
ヤマトは仕事帰りに「お土産」と言いながら、何かを買ってくることがある。 お土産、と言いつつもそれは旅先のどこか遠い場所の珍しいものではなく、ありふれた、近所のコンビニで買ってきた肉まんだったりする。 貯金が少ししかない上に、仕事を辞めたばかりの僕は、極力コンビニで買い物をしない。だから、最近のコンビニの品揃えはほとんどヤマトのお土産で知るところとなる。 ある日、ヤマトは「タコハイ」なる物を買ってきた。 元々、家でお酒を飲む習慣のなかった僕は初めて見るパッケージのお酒だな、と
人生がはじまった。 正確には再びはじまった、という感覚かもしれない。 僕は33歳で、人生はとっくのとうに始まっていたのだけれど、 その実、大学を卒業してから会社を退職するまでの10年間は「人生をやっている」という感覚がなかった。 僕は会社員をやっている平日を「人生の捨て回」とみなして、ほとんど思考や感情を停止して過ごしていた。 そして、それに対して疑問を抱かずに10年間を過ごし、文字通り「人生を無駄にした」と思う。 特段、やりたいことや、どうしても為したいことがある訳ではない