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じぷた 小のための小

私は身長が低い。子どもと間違われる位、本当に低い。

小さいっていうのは、隠しようがないし。どうしようもない。
おまけに童顔なので、見くびられたり馬鹿にされたりもする。

こういう背格好で、こういう顔に生まれてしまったから、年を取るごとにしんどさが増す。めちゃくちゃ若く勘違いされ、「いや、私そんなに若くないですー。」と言った時の、相手の表情。若い女だと思ったから優しくしてやったのに、というオジサマのショックの受けよう。いや、知らんがな。

そういう時、私はどうやって返したら良いのかわからない。何年経っても。何故か自分が悪いことをしてしまった気分になる。

どうやって返したら良いのかわからないけど、「じぷた」を読めば、自分の存在意義を思い出す事ができる。小さいからこそ出来る事が、絶対にある。

しょうぼうじどうしゃ じぷた
渡辺茂男さく 山本忠敬え
1963年に出版された絵本だ。

ある町の消防署には、
はしごしゃののっぽくんと、
こうあつしゃのぱんぷくんと、
きゅうきゅうしゃのいちもくさんがいた。

のっぽくんはするする伸びるはしごを持っている。どんなに高いビルが火事になっても心配ない。はしごを伸ばして上から消火できるし、窓から人を助けてやることもできる。

ぱんぷくんは鼻息強く、力いっぱい水をはき出せば、どんなにあつい火でもじゅんと消すことができる。

きゅうきゅうしゃのいちもくさんは、怪我人が出たらぴーぽーぴーぽーとサイレンを鳴らす。いちもくさんに駆けつけて、怪我人を病院にはこんであげることができる。

大きな火事があれば、この3台が揃って飛び出し大活躍。消防署の花形スターだ。

この消防署のすみっこには、ふるいジープを改良した、ちびっこしょうぼうしゃのじぷたがいた。
じぷたには小さなポンプ、ぷーぷーとなるサイレンがついていた。
だけど、だあれもじぷたのことなんかきにかけない。

じぷたはのっぽくんを見上げ、「あんなはしごがほしいなあ」と思う。ぱんぷくんをみて、「ちからのつよいポンプがほしいなあ」と。いちもくさんをみて、「かっこうがいいなあ」と思う。

そして、なんだか、じぶんがとってもちっぽけで、みにくくおもわれて、かなしくなってしまう。

じぷたの悲しそうな顔。

ああじぷた。あなたは私です。
なんにもできないし、なんにも持っていない。誰からも必要とされていない。と、感じてしまう時。他の人のはあんなに素敵なのに、、、と、自己肯定感がゼロになる瞬間。誰しもある。小さくなくても、大きい人でも、絶対にある。

「大変です。山小屋が火事です!」という知らせが、消防署に届いた。

のっぽくんのはしごじゃ届かない。

ぱんぷくんでは道が狭くて行かれない。

怪我人はいないので、いちもくさんはまだ、行かなくてよい。

署長さんはじぷたを見て言う。「よし、じぷただ。たのむぞ!」
じぷたはサイレンをならしてとびだす。
狭くて険しい山道でも、ジープのじぷたなら、平気。じぷたのおかげで、たちまち火事は消えました。

この活躍は新聞に載り、たちまちじぷたは有名になった。隣町の消防署でも、じぷた2号を備えることになった。

子どもたちはじぷたを指さし、こう言う。「やあ、じぷたがいるぞ!ちびっこでも、すごくせいのうがいいんだぞ!」

じぷたが必要な時って、多分年に一回あるかないかじゃないかなと思う。

あるかないかという時のための備えがあるっていうのが、豊かさだと思う。私は豊かなのが大好き。

少数派を見捨てない事、その小さなニーズにちゃんと寄り添う事。
大は小を兼ねるのではなく、小のための小を、ちゃんと準備しておくこと。

私は小さな大人なので、どうしても小さなものに目が向きやすい。私はたいして何にも出来ない、とるにたらない人間なのだけど、小のための小には、きっとなれると信じている。というか、そこにしか、なれない。

自分の存在意義を忘れないこと。忘れず、コツコツ準備して、自分の出番をじっと待つ。じぷたのように。消防署の片隅で。きっといつか、必ず来ると信じている。

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