見出し画像

あなたが笑えば、今日も私は幸せ

人の目は見たいものだけ見るけど、写真は同じ時間・同じ場所の様子をそのまま写し出す。
 
最近見ている韓国ドラマ「恋するイエカツ」で、ヒロインが言ったセリフだ。
 
あるがままが写ってしまうという事。なんだかドイツ写真の伝統を踏まえているようなセリフ。このように、芸術的な素養を感じさせるセリフやコンセプトが、ティーンの見るようなラブコメにまで内包されているのが、韓国ドラマの素晴らしさだろう。ちゃんと勉強した人が、制作に携わっているんだなあと思う。
 
とはいえ、先進国における女性の働きやすさランキングで韓国は最下位。日本は下から2番目。両方とも、ラブコメを見ていて、ジェンダー観が引っかかる…という描写があるのは否めない。
 
韓国のラブコメは、とにかくヒロインが手料理を振る舞いがちだ。
アメリカやイギリスのドラマで、ヒロインが手料理を振る舞っている描写を、最後に見たのはいつだろう。
韓ドラでは毎回と言って良いくらい、ヒロインもしくはお母さんが料理をつくる。とにかく沢山つくる。それをみんなで食べる。
温かいご飯を、みんなで囲んで食べる事を何よりも大切にしている、文化的な側面もあるからなのはわかるけど…。
それにしてもさ、好きな男一人のために、そんなに作らんでも…と引く位の作りっぷりだったりする。その弁当を作るために、あんた一体何時に起きたん?
と突っ込みたくなるくらい、さあ!好きな男には手料理を!という圧。
 
結局ケアできる女がモテんのか?と腹立つ場合もあるけれど、「恋するイエカツ」では、そんなよくある“女手料理振る舞いがち問題”を、ほほえましく見ることができた。むしろ、しみじみ、「こんなに喜んでくれる相手なら、料理も作りがいがあるなあ…。」と思ってしまった。
 
家は買うものだと考える不動産投資家ジャソンと、家は暮らす所だと考える編集者ヨンウォンの恋愛模様を描いたラブコメ。
住宅を売るための記事を書くために、二人は様々な住宅を見て回るのだが、まさに、家は住む人の全てを表しているなあというエピソードの数々に、うん、うん、と相づちが止まらなかった。まるで写真のように、心の中の真実を如実に表わす。
 
住む場所がすぐになくなりがちなヨンウォンを、自宅に住まわせる事になったジャソン。ジャソンは住み心地など考えたこともなく、ベッドしか置いていない部屋にヨンウォンはドン引き。それでも、ヨンウォンに惹かれていくにつれ、彼女とちゃんとした家に住みたいという意識が芽生えるジャソン。
 
お休みの日にヨンウォンを家具屋に連れていき、「あなたも住む家なのだから、あなたの居心地が良いように、好きな家具を選びなよ。」と、太っ腹さを見せつける。いや、太っ腹ではないな。好きな人にくつろいでもらうために、その人が心地よく暮らせるように気を配るのって、愛があれば当たり前の事。
 
ちょうど引っ越しの最中に見ていたこともあり、理想の家について、住み心地について、このドラマから学んだことは多い。ゲラゲラ笑えるラブコメの全てのストーリーの中から、「家は人生を入れる器」という、一貫したメッセージを受け取った。どんなに広くても、どんなに地価がバク上がりしても、その家の中に愛がなければ、あたたかい家庭にはならない。
 
貧困の中で育ち、どん底から大金持ちへと上り詰めたジャソン。家庭的なあたたかさを知らぬまま、手料理など食べたことも無かった彼に、ヨンウォンはお世話になっとるからと手料理をふるまう。「家庭料理っていいですね。」と、しみじみとつぶやく彼に、「でしょ。作るのはめんどうだけど、買うより二倍も三倍も美味しい。」と返すヨンウォン。するとジャソンは、「二倍も三倍もではなく、200倍も、300倍も美味しい。」と、告げる。

私はこの食事シーンが大好きすぎて、何度も繰り返し見てしまった。めんどくさい手料理を作って、それを200倍も300倍もおいしいってデレデレしながら食べてくれるのなら、作りがいがあるってものだ。ヒロイン手料理振る舞いがち問題も、このくらいの配慮と人物像に合わせた流れがあるなら、気持ちよく、むしろ羨ましく見ることが出来る。ジャソン役の俳優さんの、演技もすばらしいの。目のシワ、口角の上がり具合、全てが「あなたの事が大好きだよ。」と、物語っている。良い。良いです。
 
私は料理を作ることが本当に嫌いで、台湾みたいに手軽な感じで屋台があればいいのにな…と常日頃から思っている。
だけど、手際和は悪かろうと、テキトーになろうと、作れるよ。生活をしているのだから。
そして、「料理がうまくなりたい。」という向上心は一切ないので、料理上手な人を羨ましく思うことはない。女が集まって、「今日の夕飯何にする~?」という話の流れになるのも嫌い。話すことないからといって、わざわざ料理をダシにして話さんでも良い。話すことないなら、黙っとれば良いんじゃ。
 
女=家事・料理だという決めつけを、一番手放さないといけないのは、他の誰でもない女自身だ。キャラ弁を作れるのと同じくらい、その子が喜ぶ大きさのおにぎりを作るのだって、めちゃくちゃすごい。ていうか、弁当作るのも苦痛なので、おにぎり一個持たせるだけでOKみたいに、はよならんかな。アメリカみたいに、サンドイッチとリンゴ一個みたいな感じで、良くない?
 
特別な日に思い出に残るような料理を…という気持ちと、いやいや、特別な日だけでなく、料理は毎日せりゃならんのじゃ…という気持ちが、いつだってせめぎあう。毎日やって当たり前だと思われることがダルいんじゃ。たいして褒められる事はないのだから。
 
だから、誰かの作ったご飯を全く食べたことがなかった人に、感謝を込めて、めんどくさいんだよという事も伝えつつも、手料理をふるまうという展開が、微笑ましかったのだ。それを、顔をくしゃくしゃにしながら幸せそうに食べてくれるなんて、最高じゃん。あったかいご飯の特別さが、ちゃーんとわかる人にこそ、手料理を食べる権利がある。
 
このドラマ、男性陣の演技力が見事で、コミカルをコミカルなまま演じきっていて最高でした。背骨、眉間、肩のあがり具合、身体の隅々までキッチリ使って喜怒哀楽を演じ分けていて、すごいなあと思った。私がご飯を子どもにだけ作るのは、美味しいものを食べたら身体の隅々まで使って「美味しい!!!!」と言ってくれるからだ。そんな、子どもと同じ筋肉の使い方で、美味しそうにご飯を食べていたジャソン氏。良い。良いです。
 
どんなに狭くても、持ち家じゃなくても、散らかっていても、そこに愛があるなら、ご飯を感謝して食べることが出来るなら、良い家だ。良い家庭だ。
あなたとここで、お互いが心地よく暮らしていきたいという、幸せになることをあきらめていない向上心がある。一緒に住むあなたが、楽しく、安心して暮らせますように。そんな当たり前の愛情がまぶしくて、ひたすら憧れる、ポップで良いドラマでした。
 
家も人も、出会うには運が全てだ。出会ってしまえば、ひと目で運命の家だと、運命の人だとわかる。運命だと確信していても、すれ違ってしまうことも。
 
だから、ある時一瞬だけでも、一緒にいられるってすごい事だ。
 
このドラマの2人のように、あたたかく思いあえる運命の人と、出会える事を願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?