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#4 僧職系登山男子と行く八ヶ岳縦走 阿弥陀岳・山に阿弥陀如来が祀られるたった一つの理由

僧職系登山男子と行く八ヶ岳縦走 第3回。
いよいよ八ヶ岳縦走も最後となりました。
さぁ、ご一緒にまいりましょう。

今回のルート


八ヶ岳最高峰である赤岳に登頂しました。次は阿弥陀岳に登頂し、そのまま尾根(御小屋尾根)を下山します。
辛いのは阿弥陀岳直前の急登。あとはひたすら赤岳登山の玄関口、美濃戸口を目指して下山します。

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赤岳~阿弥陀岳


絶景の赤岳山頂を後にし、次の阿弥陀岳(途中にある中岳)との分岐を目指して下山します。分岐までは岩場の急坂です。気をつけてゆっくりと下山します。分岐まで来ると岩場のきついゾーンが終了。

去年の厳冬期も赤岳登頂を目指したのですが、悪天候のあまり、この分岐で撤退。もうちょっとだったのにな・・・という思いがよぎります。

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夏と冬では、見える景色が全く変わりますよね。

最後の難関が阿弥陀岳直前の急登。
かなりの急登なのですが、距離が短いのが救い。キレット~赤岳からの下山で体力を使ってきており、ゆっくりでないと登れません。学生時代、この急登をバリバリ登っていたのですが、それも今は昔。バテバテです。

そんなこんなで阿弥陀岳山頂に到着しました。

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山に阿弥陀如来が祀られるたった一つの理由。

阿弥陀岳には、その名のとおり阿弥陀如来が祀られています。
八ヶ岳のこの場所になぜ阿弥陀如来が祀られるのか、資料や文献が無くてはっきりしません。
しかし、山に阿弥陀如来が祀られるのには共通する理由があります。

それは、山は死者の魂が赴くところ、と信じられてきたからです。

弥陀ヶ原や浄土山など、阿弥陀如来に関する地名をいろんな山でご覧になると思いますが、あらゆる山に阿弥陀如来が祀られています。

阿弥陀如来は私たちの臨終の際に現れ、極楽浄土へと導いてくれる仏さま。

例えば、富山県の立山の神さまは立山権現ですが、阿弥陀如来が姿を変えたもの。和歌山県の熊野にある本宮大社も熊野権現(主神・家津美御子神(ケツミコノカミ))でありますが、阿弥陀如来が姿を変えたものとされます。そこが、死後の世界として信じられてきたからです。

では、「死後の世界」であるから禁じられてきたかというと、そうとも言えないところがあります。
例えば熊野は「蟻の熊野詣」として有名ですよね。
なぜ、蟻に例えられるほどたくさんの方が死後の世界に赴いたのでしょうか。
それは、亡くなったあとにしなければならないことを先に済ませたいためでした。

現代でも、お葬式を終えた後に四十九日の法要が行われています。
私たちは死後、四十九日間をかけて私たちの世界である「この世」から、仏の世界である「あの世」に向けて旅をするとされています。
真っ暗で冷たい黄泉の旅路を、たった一人で四十九日間もの長い間旅をする。恐ろしく、いやーなことだと思いませんか?
少なくとも、蟻の熊野詣の時代の人たちはそう考えていました。

そこで「どうせ旅をしなければならないなら、明るくて楽に旅ができる間に済ませてしまって、亡くなったらその瞬間に極楽に行けるようにしよう!」そう考えて、死後の世界である熊野に旅立ったのです。

一度死んで、もう一度この世に戻ってくる場所。
熊野が「よみがえりの聖地」と呼ばれる理由です。

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この「山は死者の魂が行く場所」という信仰は宗教や宗派を超えて、今も息づいています。

私が修行していた高野山は、信仰的には45億6千万年後という気が遠くなるような未来に降りてくる弥勒菩薩の浄土とされます。
しかし、その根底には死者の魂が赴く場所という信仰があり、はるか昔から現代に至るまでたくさんの方の納骨を受け入れてきた場所です。

この納骨信仰とは、宗教や宗派を超えるものです。
高野山は真言宗の本山ですが、様々な宗派の方が納骨されますし、
クリスチャンの方の納骨のためにお経を上げたことがあります。
(生前のお名前と戒名をお聞きするのが決まりでしたが、十字架の書かれている骨壷を前に「ご戒名は?」と聞いてしまい、先輩から思いっきり怒られた苦い思い出があります・・・)

この死者の魂が集まる山というのは高野山だけではなくて、青森の恐山や神奈川の大山など全国各地に存在しています。

今は昔と違い、登山道も整備されていますし、
登山口まで車やバスで行くことができます。
山が死後の世界と信じられていた時代と比べ、近くなりました。
しかしそこが、非日常の世界であることは現代も変わりません。

この世のものとは思えないほどの絶景の数々。
その反面に存在している、滑落や遭難など死の危険。
現代であっても山がこの世ではなく、あの世に近いものなのかもしれません。
その世界に旅をして、
魂を洗い、
新しい命を得て、日常に戻る。
山が昔と変わらない場所である以上、
現代の私たちもまた、同じ感覚を感じ取っている。
八ヶ岳の阿弥陀さまにそんなことを考えさせられます。

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阿弥陀岳からの下山

南八ヶ岳の山々に別れを告げ、下山します。
山頂の写真を撮り終えると、ガスがどんどん湧いてきました。ザックを背負い、歩き始めるとすでに辺りは真っ白。
尾根伝いに下山するルートなのですが、疲れもあり、違う尾根に迷い込んでしまいました。
気がついたのは、真っ白いガスの向こうから聞こえる人の声。
慌てて地図を確認すると、阿弥陀中央稜に降りる尾根。下る尾根を間違えているようです。

道を間違えたときの、体中の血の気が一気に引く感覚。

落ち着けと自分に言い聞かせ、道を間違えたときの鉄則、分かる場所まで登り返しました。
おかげで事なきを得ましたが、それからの下山は慎重に、慎重に下りました。
久しぶりのテント泊縦走で、美濃戸口に到着することにはすっかりヘトヘトでした。
本来であれば、夏沢峠まで南八ヶ岳縦走の予定。
しかし、ルートを変更したおかげで阿弥陀さまにもお参りができ、今回のこのnoteも書けました。これも全て、阿弥陀さまのお導きかも。

さて次回は、

僧職系登山男子と行く南八ヶ岳縦走、無事に下山となりました。
いかがだったでしょうか。

次回は長野県長野市にある「飯縄山」です。
皆さんよく行くであろう「高尾山」とご縁の深い山。
高尾山の天狗さま、
薬王院ご本尊「飯縄大権現」発祥の地です。
僧職系登山男子と行く厳冬期雪山登山、神さま・仏さまにお参りしながら登ります。
是非ご一緒ください。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
次の山でお会いしましょう。

合掌

小雪童

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