山好きのための仏さまの話#3 剣や槍を手にする超カッコイイ仏さま「明王・天」
山好きのための仏さまの話。
今回は「明王」と「天」についてお話いたします。
明王とは ーお母さんと不動明王ー
まずは明王。
如来が姿を変えた存在です。
例えば私たちに大きな困難があって、それを打ち砕いて救いたいとするとき、如来の優しいお姿ではその困難に立ち向かえません。
困難を打ち砕くためにより強い姿、形が必要でしょう。そこで如来があえて剣などの武器を手に取り、怒りの表情をして現れた存在です。
不動明王や愛染明王など、強く恐ろしい姿で表されるのが特徴です。
といっても、鬼のように恐ろしい存在・・・というわけではありません。
不動明王は慈悲の仏さま。
それを説く、こんなたとえ話があります。
あるとき、お母さんと子どもが旅に出ます。
船に乗って大海原に漕ぎ出すのですが、そこに大きな嵐がやってきました。波は高く、風は強いのですが、小さな小さな船。
お母さんは子どもが海に落ちないようにと必死に抱きかかえます。
しかし、いつまでも続く暴風雨。
ふとした気の緩みにお母さんは子どもの手を離してしまいます。暗い海へと真っ逆さまに落ちていってしまう子ども・・・。
さて。
このとき、お母さんはどんな顔をするでしょうか。
恐らく、なんとかして子どもを助けたいと必死の形相で海に身を投げ出すのではないでしょうか。
このときのお姿が不動明王であると言われています。
つまり、困っている私たちを何とかして助けたいと、
必死の形相で手を差し伸べている姿。
そう思ってみると、怖い姿のお不動さまもどこか温かいお母さんの姿に見えてきます。
恐ろしい姿も優しい慈悲の表れなんです。
天とは ー実はヨーロッパとも繋がっていますー
次に天。
バラモン教など他の宗教の神さまが仏教に取り入れられ、仏教を守護する存在となったものです。毘沙門天(びしゃもんてん)や帝釈天(たいしゃくてん)、弁財天や大黒天など個性豊かなところが特徴ですね。
サンスクリット語でdeva、同じインド・ヨーロッパ語族のラテン語ではdeus。前者(サンスクリット語)は中国で「天」と訳され日本に入ってきましたが、後者(ラテン語)は「神」と訳されました。元は同じ単語です。(中国語ではカトリックのことを「天主教」と言いますので、キリスト教の神さまも「天」と言うことができるかもしれませんね。)
山で出会う仏さまとしては、甲斐駒ヶ岳などの「摩利支天(まりしてん)」さまがいらっしゃるでしょうか。
陽炎や蜃気楼が神格化された仏さまで、護身の仏として信仰されました。中世以降、武士の間では戦勝の守り本尊としても信仰されました。
弁天さま(弁財天)も元々はサラスヴァティというインドの川の女神さま。仏教に取り入れられて日本に入ってきましたが、江ノ島や天河弁財天、神社としてお祀りされているところが多いですよね。日本の神さまと思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
川の神さまなので、水に関係するところに祀られています。
私のお寺の弁天さまも、やはり川のほとりにお祀りされています。
4種類の仏さま。
仏さまに会ったときには、思い出してみてください。
如来・菩薩・明王・天。
この4つが大きく分けた仏さまの四種類。
この4種類が分かると、どんな仏さまか何となくわかってくると思います。
もちろん、これ以外にもお祀りされている仏さまがいらっしゃいます。
例えば、山の中ではよく目にするであろう「権現」さまなど。
次回はこの4種類以外の仏さまについてお話したいと思います。
次回も是非、ご覧ください。
合掌
小雪童