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菅さんの弔辞で涙溢れる:安倍総理の国葬儀の日に思ったこと

長蛇の列に整然と並ぶ献花に訪問者の姿

メディアが報道し続けた反対派の醜い姿にもかかわらず、静かに整然と長蛇の列に並ぶ日本人の姿を、自身も献花に訪れている人達が写し、ツイッターですぐにシェアして下さったおかげで、実際にその空間いることができず歯がゆい思いをしていた私には、せめて皆さんと同じ時間を共有できている気分になり嬉しかった。

この場を借りてお礼申し上げたい。

あれだけ国葬反対を煽っていたメディア報道なんてものともしない、長蛇の列を粛々と並ぶサイレントマジョリティの日本人の姿。

その一人一人が、昭恵夫人が表現されておられた安倍さんが蒔いた種なんだろう。

これからの日本が行く末が不安でしょうがなかった私たちに、安倍総理は死して尚、

『この人達がいる限り、日本はまだ大丈夫!!』

と勇気をくれる光景を私達に見せてくれていた気がした。

【コンナヒトタチ】に負ける訳にはいかない

平日のあの時間にあの長時間の列に並ぶことができるということは、お仕事をお休みされてきた方も多かったのだろう。声だけうるさい反対派の高齢集団のみに比べ、列に黙々とならぶ年齢層は若者から(小さいお子さんも親に連れられて並んでいたのが見えた)ご高齢まで本当に幅広く、特に20代から40代の姿が多かったように見えた。

綺麗にどこまでも真っ直ぐ伸びた列や、クネクネと曲がりながらビルの間を縫い続くける列。

フォロワーの皆さんがシェアして下さる色々な角度や場所の写真では、どの場所もどの列も皆、整然と美しい姿だった。その列を見ていると、正に死人に鞭を撃ち続けるメディアなんて糞食らえという感じで、ただ静かに故人の死を悼みたいサイレントマジョリティが集まり強い龍になる姿に見えた。

『こんな人たちに負けるわけにはいかない❗️❗️』

安倍さんが選挙演説で使用した言葉。暴言を吐き続ける野次馬に対してつい出た言葉だったのだろうか。

この言葉もメディアには大バッシングされていたが、正にそうだ。

私たちは負ける訳にいかない。

辛くても諦めず歩み続けないといけない。

2022年のフォロワー様への年始の挨拶で『今年は世界も日本も大荒れの一年になるので心の準備を!』的な事を言った覚えがある。 宇露情勢の悪化、台湾緊迫、北やチャイナの攻撃の増加などはある程度、予想していたからの言葉だったのだが、参院選挙終盤での安倍総理のあんな形での暗●は、本当に寝耳に水で衝撃が走って頭が呆然としたのを今でも覚えている。事態は予想していたよりずっと深刻だった様だ。

国葬儀の様子をライブで見る

ここ数日は私用でゴタゴタがあり、精神的にも肉体的にも疲労困憊していたのだが、どうしてもライブで見たくて深夜から朝方にかけて中継を見た。

4300名もの海外要人の数も驚異的だったが、そんな事よりも私は祭壇に飾られた安倍さんの暖かな笑みに釘付けになった。

本当に良いお顔をされているな、、と。

あれだけのバッシングと苦労を四方八方から受けていたのに。

菅さんの弔辞に涙

関係者の弔辞が始まった。

他の方々のものは何となく聞いていたのだが、菅さんが【友人代表】として弔辞され始めた時、何だろうか。。この気持ちをどう表現したら良いのだろう。話される言葉に感動というよりは、とつとつと静かに発せられるその言葉に込められた菅さんの悲しさや怒りに震える思いや、誰にもわからぬ二人だけに流れていた信頼の時間の暖かさなどがこちらに伝わってきたという感じで、私の目からは大粒の涙が溢れ出し、気づかぬうちに両頬をつたってポトポトと膝に落ちていた。

正に自然に心が震え出た予想外の涙というものだった。

7月8日から1ヶ月以上経ってから、私は『もう泣かない!』と決めていたのに【友人代表】としての菅さんの暖かく、心がこもった、嘘偽りのない思いがこめられたスピーチに遂に涙腺崩壊してしまったのだ。

昭恵夫人も菅さんの弔辞には思わず涙が出てしまった様で、涙を拭っておられてその様子がまた辛かった。

その他の場面でも時折、映る昭恵夫人の顔がアップにされているのを見るのが辛かった。気丈にされているが、7月8日からどんな思いで毎日を過ごされて来られたのかと察するだけで心が痛い。
こんな可愛らしい女性に、死後直後から今までずっと暴言を吐き続けていた人達がいるなんて本当に信じられないし、許せない。

菅さんの弔辞全文

菅さんの弔辞に心が震えたので文章として残しておきたいと思ったので以下に書き起こしを掲載しておきます。自分でもたまに読み返しては、勇気をもらったり、怒りや悲しみを共有したり、心の糧にしたいなと思う。

以下、菅元総理の【友人代表 】としてのお別れの挨拶です。

7月の8日でした。
信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめて欲しい。あなたにお目にかかりたい。同じ空間で、同じ空気を共にしたい。
その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの暖かな微笑みに最後の一瞬、接することができました。

あの運命の日から80日が経ってしまいました。あれからも、朝は来て、日は暮れていきます。
やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は歩みを進めます。
あなたという人がいないのに時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。 天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、命を失ってはならない人から、生命を召し上げてしまったのか。口惜しくてなりません。哀しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。

しかし、安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。
ここ武道館の周りには、花を捧げよう、国葬儀に立ち会おうと沢山の人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが少なくないようです。
明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕いあなたを見送りに来ています。

総理、あなたは今日よりも明日の方が良くなる日本を創りたい
若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして、「日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。」これがあなたの口癖でした。次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。
今、あなたを惜しむ若い人達がこんなにも沢山いるということは、歩みを共にした者としてこれ以上に嬉しいことはありません。
報われた思いであります。

平成12年、日本政府は北朝鮮に米を送ろうとしておりました。
私は当選まだ2回の議員でしたが「草の根の国民に届くのなら良いが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちまけましたところ、これが新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」とそういうお話でした。
信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉はその後の私自身の政治活動の糧となりました。
そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感しました。
この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座を退きました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬を随分と迷っておられました。
最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。 3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。

総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。
今でも、ふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざと蘇ってまいります。

TPP交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうが良いという立場でした。
総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。一歩後退すると勢いを失う。
前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。
日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーを頂いたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。
どの一つを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。
あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝を捧げるものです。

国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。(ここで菅さんも涙でつまる)

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月。私は本当に幸せでした。
私だけではなく、全てのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。
安倍総理、あなたは我が日本国にとっての真のリーダーでした。

衆議院第一議員会館1212号室のあなたの机には、読みかけの本が一冊ありました。
岡義武 著「山縣有朋」です。
ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。そして、そのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山縣有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。総理、いま、この歌くらい私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

深い哀しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。
令和4年9月27日 前・内閣総理大臣 菅義偉


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