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彼女と彼女の猫をさがしに

新宿を愛する新海誠は、新宿生まれの夏目漱石と似ている。夏目漱石のデビュー作が『吾輩は猫である』、新海誠の処女作が『彼女と彼女の猫』

「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」

吾輩は猫であるの一節は、ありふれた日常を描くことで彼女とチョビの深淵を見せた新海誠と重なる。

令和四年7月2日(土)、北新宿のアパートを出て埼玉の武蔵浦和に向かった。製作当時、日本ファルコムの社員だった新海誠が住んでいた街であり、同作の舞台。今年は梅雨がなく、雨は一滴も降らないのに、マスクの中は水浸しだ。

炎天下の正午過ぎに武蔵浦和駅に到着。『彼女と彼女の猫』は春から始まり、天門の音楽が風のように日常を温かく揺らす。やがて季節は夏へ。

埼京線の高架下。誰もいないガランとした空き地と鉄柵に高架橋、爽やかさと寂寥感。新海誠が描く風景には、複数の真実が鼓動する。真実はいつもグラデーションであると教えてくれる。

高架橋に沿いながら南へ歩き出す。日陰を選んでも猛暑は容赦なく肌を焼き、ペットボトルのドリンクを一瞬でお湯に変える。たまらず途中の向谷橋公園で給水。

上京して9年になるが、ここまでの暑さは経験したことがない。ただのロケ地巡りが大冒険に。

さらに追い討ちをかけるように、25年近く前の武蔵浦和とは様変わりし、特定の場所が見つからない。ここに監督を呼んでガイドしてもらいたいと思った。

だが、それが叶ったとしても、やはり拒否する。新海誠は常に未来に向かうべき存在。過去の作品を現在へ、未来へ連れていくのは観客の仕事だ。

「武蔵野うどん澤村」の近くの高架橋で、ようやく映画と同じ「22」が書かれた場所を見つけた。同じ場所かは分からない。それでもいい。新海誠の作品は、移動がテーマ。新宿から此処にきて、自分の足で巡ることに意味がある。想像力によって追体験ができる。

『彼女と彼女の猫』の風景は何気ない日常と空虚感を伝えている。その空洞を彼女とチョビが互いに埋め合う物語。

別所あじさい公園に向かう途中の、陰日向に咲く紫陽花の群れ。

新海誠は自主制作のはじまりをモノクロームにした。それは影の色であり、影は主人をいつも見守る。

チョビも彼女を見守る。お互い話すことはできない。それでもチョビは彼女に眼差しを向ける。ひとは魔法の言葉をかけてもらわなくても、誰かのまなざしによって前に進める。

誰もが生まれ落ちてきた、この世界のことが好きだ。街の風景は大きく変わっても、チョビの温もりは今日も生きている。

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