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大菩薩峠


山頂と同じくらい「峠」が好きだ。言葉の響きも「山」に「上」「下」と書く字面もカッコいい。山地図に「〇〇峠」を見ると、どんな道だろう?とワクワクしてしまう。

「この峠を越えたとき、違う自分に生まれ変われる」。そんな期待と高揚感を届けてくれる力が峠にはある。

新宿の西口ガード下を起点に、山梨の甲府市を終点とする青梅街道。江戸時代、その途中で最大の難所と呼ばれたのが「大菩薩峠」。
先人たちは地下足袋で険峻な山道を越え、冬には凍死者が出るほどの強風に耐え「青梅往還」を果たした。この四文字熟語には単なる地名以上の浪漫が生きている。その歴史を少しでも背負いたくて、いざ大菩薩峠へ。

令和三年の登山は1月3日の「本社ヶ丸」から始まり、徹底的に中央沿線の山に通った。人が少なく、手付かずの登山道が残る。標高は低いが急登が多い。空が遠く野外の道場のような存在だ。「本社ヶ丸」や「笹子雁ヶ腹摺山」など変わった山名は我が子の名前を懸命に考えたようで愛を感じる。

暖冬の新宿は暑いのに、高尾駅に近づくと寒さで目を覚ます。あゝ俺は山に向かっている。京王線の始発列車で笑みがこぼれる瞬間だ。

前々日までルートを悩んだが、大月駅からタクシーを拾って大峠を迂回することにした。一度「雁ヶ腹摺山」を登って下り、そこから登山をスタートさせる。5つの山を縦走する1day 5 summitになるが、体力バカの自分にはふさわしい。

しかし、いざ大月でタクシーに乗ろうとすると、冬期は道路が閉鎖中。仕方なしに隣駅の甲斐大和駅でタクシーをつかまえるも、またもや道路は封鎖。山小屋を予約しているから時間もない。

結局、塩山駅からバスに乗るしかないが、冬は本数が少なく1時間待ち。たまらず塩山タクシーを拾って大菩薩峠の登山口に向かった。バスなら300円、その10倍の値段はするが運転手さんと話す楽しみがある。

ゆうに70歳は超えるおじいちゃん。「最近、登山者は少ないですか?」「コロナでめっきりだよ」。

道中「あれが金峰山だよ、あれが乾徳山だよ」と教えてくれる。「登りました」と返すと、「この辺の山はぜんぶ登ってるね」と微笑んでくれた。登山はせず、山の沢釣りが趣味らしい。

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30分で登山口に着き、3,080円を払う。クレジットカードが使えないのにPayPayはOKなのが不思議だ。

「帰りにバスを逃してタクシーを使うなら電話して。私は岩波と言います」とレシートに名前を書いてくれた。小さな出会いが計画の狂いを吹き飛ばしてくれる。

8時45分スタート。すでに標高1580mもある上日川峠は急登がなく穏やか。しかも右手には南アルプスの大パノラマという贅沢な山道。厳しい道場のような中央沿線の山々がウソのようだ。

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2時間ほど歩くと「勝縁荘(しょうえんそう)」が出現。ここで中里介山は29年に及ぶ未完の大作『大菩薩峠』を執筆した。

幸田露伴の『雁坂越』と並び、峠を舞台にした書籍の双璧だ。人間と同じく小説が誕生した場所は特別であり、生まれ故郷は大切にしたい。現在は中に入れないが、山荘に会えただけでも大満足。ここからアイスバーンが現れ、チェーンスパイクを履く。

大菩薩峠はすぐそこ。30分ほど登ると今日の宿泊所「介山荘」に到着。ついに大菩薩峠と対面した。

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一目惚れ。歴史もへったくれもない。ただ眼前に広がる迫力、稜線の美しさに圧倒される。早く登りたくてウズウズして仕方ないが明日の楽しみに残しておく。

介山荘の2代目のご主人・益田さんが部屋の準備をしている途中だったので、荷物を預かってもらって『牛奥ノ雁ヶ腹摺山 』に向かった。

「 うしおくのがんがはらすりやま」、14文字と日本で一番長い名前を持つ。丑年の今年は験担ぎのツアーも組まれていたが、コロナのせいで全部キャンセルになったらしい。だったら弔い登山をやろうじゃないか。

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足場の悪い樹林帯を抜けると、小金沢連嶺が眼前に広がる。この石丸峠を歩くのかと思うと武者震いがとまらない。右手には大菩薩湖と南アルプス、そして富士山。

しかも風がない。机龍之介の「音無の構え」のごとく静かだ。中里介山が今日の登山を演出しているのか。無風の中に風がある。自分という風。独りで山を駆けるとき、己が風となることができる。これが単独行だ。

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山頂には誰もおらず、富士山と1on1。なんて贅沢な初日。1990mの標高も清々しい。帰りは凍結したアイスバーンを恐る恐る慎重に下り、ルートを外れて道に迷いながらも3時間で介山荘に戻った。

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介山荘で買った200円のアイスキャンディーで乾杯。疲れて夕食まで泥のように眠る。

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目を覚ますと空に夕暮れの満月が燃えていた。アメリカでは2月の満月を「Snow Moon」と呼ぶらしい。冬の大菩薩にふさわしい。いよいよ明日は峠を越える。

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Day2は5時半に起床。雲ひとつない快晴。気温はマイナス2℃。風がないから暑いくらいだ。神様がくれた穏やかな休日。それにしても甲斐の山の稜線を歩くたびに思う。江戸時代に登山の文化があれば、葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『富士三十六景』は別のものになっていただろう。

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純白の雪をまとった富士山と大菩薩湖。眼下に甲州の町を従え、南アルプスを遠望。日本最高峰の富士山(標高3776米)、2位・北岳(標高3193米)、3位の間ノ岳(標高3190米)の三役が揃い踏み。さらには鳳凰三山や南アルプスの王者・甲斐駒ケ岳の雄姿も威風堂々。

峠の眼の前では野生の鹿が楽しそうに何頭も飛び跳ねている。一気に好きな峠ランキング1位に躍り出た。

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山荘から30分ちょっとで2057mの大菩薩嶺に到達。景観はなく、ただ静かな頂上が迎えてくれる。

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ここでチェーンスパイクから軽アイゼンにシフトチェンジ。アイスバーンの急登が続くので、チェーンスパイクの刃では歯が立たない。コーラとチョコでエネルギーチャージも忘れずに。

下り道は大菩薩ブルーの空に小鳥のさえずり、清流のせせらぎ。新宿の喧騒で生きる自分にとって、最高の贅沢と自由だ。

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山は束の間の非日常を与え、すぐに日常に押し戻す。早く帰って仕事したい気持ちと、もっと大菩薩を堪能したい想いが交差する。こんなに後ろ髪が引かれることは珍しい。名残惜しさは温泉に溶かしてしまえ。

退屈を切り裂くために、今日も全速力で山を駆け下りる。丸川峠に静寂のファンファーレが鳴り響いた。


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