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オベリスク


令和を迎えて最初の登山は山梨の「鳳凰山」だった。巨岩・オベリスクで有名な山にも関わらず、惹かれる記がない。深田久弥さんも『日本百名山』もガイドブック的に案内しているだけ。

「それなら自分の眼で確かめるのみ」と大型連休のハイライトに、勇んで西へ向かった。

いつも思うが、どの山を登るか選んでいるのは自分自身なのに、いざ登り始めると、何かに導かれている錯覚に陥る。今回もそんな山行だった。

決行日は10連休の真ん中の5月2日。韮崎駅の始発バスで登山口に向かうため、高尾駅で前泊。アジールエッセというネットカフェを利用した。口コミでは「カラオケがうるさい」など低評価の店だが、なかなかどうして悪くない。

4時間分の料金1600円を支払い、5時14分発の大月へ向かう始発に乗る。ここで失態を犯した。大月で寝過ごし、始発のバスに間に合わなかった。次のバスまで2時間近くあり、とても待っていられない。

仕方なしにタクシーを拾い、御座石鉱泉の登山口に向かう。舗装されていないデコボコ道を走っているとネパールの悪路を思い出した。所々に「熊注意」の看板があり、車内のNHKラジオからはORANGE RANGEの『花』が流れている。

8時30分、御座石鉱泉に到着。自家用車も何台か停まっており、人気の山であることがうかがえる。シューズを冬用の登山靴に履き替え、いよいよスタート。御座石鉱泉の女将さんに「帰りにお世話になります」と声をかけ登っていく。

本来なら、青木鉱泉の「ドンドコ沢」を進みたかったが、この御座石コースで良かった。まるで1本の糸に導かれているように、迷わず進む。方向音痴のボクではありえないスムーズさだ。

途中、燕頭山の手前の雪渓でチェーンスパイクを装着。そこからグングン歩を進め、鳳凰小屋に到着したのは11時50分。通常のコースタイム5時間30分のところ、3時間20分。下りのコースタイムが3時間30分だから、やはり相当なペースだ。

受付で1泊2食、トイレ代の8,200円を支払う。鳥取出身のアオトさんは物腰が柔らかく、好感がもてた。今日は小屋でゆっくりし、明日に備えて足を残し、主人と会話をする予定だったが、やはり鳳凰山に登りたい。30分ほど昼寝し、明日の下見もかねて13時に地蔵岳へ向かった。

トレースがあるので登りやすく、樹林帯を抜けると左手に観音岳が見える。美しい山容で気品に溢れている。「おそらく、ここが本当の鳳凰山なんだな」という気がしてきた。

そして前方に、なにやら巨岩が見えてくる。オベリスクだ。シルエットだけでも、存在感が並ではない。

この鳳凰山の象徴と対峙する前に、地蔵岳に登頂。山頂の「賽の河原」にいくつもの地蔵が並んでおり、異様な雰囲気を放っている。少し背筋が凍るほどだ。

この地蔵岳は男性のシンボルの形をしたオベリスクになぞらえてか、「子授け地蔵」の伝説がある。子宝を願う夫婦が地蔵1体を持ち帰り、子供が生まれたら1体を加えて返す。

何百年も前の江戸の頃より、鳳凰山と人がつながっている。その歴史の糸を、令和を生きる自分たちが次に繋いでいく。登山の醍醐味ここにあり。

お地蔵様に手を合わせると再びオベリスクと対面。新宿の摩天楼に囲まれ暮らしているが、自然が生み出した造形物は迫力というより、圧力が違う。そこに、神様の呼吸が宿っている。

当初は見るだけのつもりだったが、やはり実物と対峙すると登魂がうずかないわけがない。ザックと一眼レフを置いて登攀を開始。ヘルメットもハーネスもない逆フルメタルジャケットのフリーソロ。高さがない分、登りやすい。

そして、あと2、3岩というところまで来る。ピークは目の前だ。しかし、ここで引き返す。頂上には立てるが、下りるのが危険。今の自分のレベルでは困難をこえて危険の領域とジャッジした。

骨折をしたら元も子もない。鳳凰小屋のアオトさんによると、オベリスクは登ることはできるが、下りるときにロープがないと危険だという。臆病な判断は功を奏した。

それでも後悔はない。挑戦することが何よりも尊い。登頂できるかどうかは二の次である。もちろん、これには負け惜しみも含まれるが、本当にそう思う。登攀は終わり。本番は明日の登山だ。オベリスクの直下からは雄大な富士山が目に飛び込んできた。


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