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【幸せな人生とは】

私は出勤途中、突然激しい動悸で、脂汗をかいた。
息がとても苦しく、動悸が止まらない。もうだめなのか?
私は、何のために今までこんなに働いてきたんだろう。
もう終わりなのか…
寒いのに着ている服が重く感じられ、オーバーを脱ぎ捨てる。
ネクタイが苦しい…

道行く同僚たちは、出勤時間を気にして、私を見ても見ぬふりをした。
ついに私は、職場に入る前の壁際にもたれかかり、座り込んだ。
普通なら、視界に広がる空はとても青く美しいように思う。
でも、そんな余裕は全くなくなっていた。

息苦しさの中、何のために夜遅くまで働き、こんなに寒い中、早朝から出勤しているのだろう。
もし、今、ここで倒れたら、仕事はどうなるのか?
そう言えば、今日は契約の日だった。
その資料は私のパソコンのフォルダの中にある。
上司や同僚に迷惑をかけるなあ…
そうだ仕事のことよりも、この動悸の発作が止まらなければ、今日せわしなくまともな挨拶もせずに出勤してきたが、家族ともう会えないのだろうか。
私は幸せな満足のいく人生だったのだろうか。
でも、苦しいなあ、死の恐怖は以前からあったけど、苦しいのは嫌だなあと微かに思う。

目の前の視界がかすむ。
もう、終わりか…。
思えば、学生時代は受験競争、仕事に就いたら出世競争、結婚にしても家柄や容姿など誰かに自慢するような結婚式だったなあ。
そして、子どもができたら、親族や近所づきあいの中で、自分の子どもが少しでも良い学校に行っている自慢ばかりだった。
なんだか、ほんと、今死ぬのかと思ったら、むなしい人生だったなあ。
何のため生まれてきたのだろう…

そして、私の意識はほとんどなくなりつつあった。

あれから10年、私はたまたまあの時、その後に発作が止まり助かったのだ。
誰も助けてくれなかったのは、今でも寂しい気持ちにならないと言えば嘘になる。
きっと私に人徳がないのだろう。
ただ、私はその後の人生で、生きることの意味をよく考えるようになった。

そして、分かったことがある。
最後に死ぬときは、自分の心との対面しかないということが。
死んだ後に、あの世の別の世界があるのかなんて凡人の私にはわからない。
でも、確信したのだ。
死ぬような思いをした人間には、この世的な地位や資産、名声がいくらあっても全くの無意味だということを。
この世に生まれてから、人生を歩みはじめ、親の言うがままに受験勉強、良い会社に入るよう努力し、そして結婚して立派な家庭を作る。そして、会社では管理職として少しでも出世をする。その結果、収入も多くなり、大きな家に住め、家族に贅沢をさせあげることができる。

で、それらを目標にした私は幸せだったのか?
他人からの名声を得られると、勝手に思い込み、頑張ってきただけではないのかと。
それ以前に、そのような人生が幸せになる人生だと、周りから刷り込まれてきたのではないかと?
確かに、両親からそのような道を歩むように用意をされたかもしれない。
でも、その道が正しいと思い込み、親の期待でもあると歩み続けてきたのは、他でもない自分だ。
誰を責めてもいけない。
自分が決めたことなのだ。

しかし、あの死ぬような思いをしてから、人生も折り返して初老と言われる世代になった。
私の今の心境は、満足だ。
私の心は体が病気になっても、いつも空高くあるような清々しい気持ちだ。
なぜか?
自分にとって本当に必要か、必要でないか、心の声を聞いて、欲望を切り捨ててきたからです。

問1 必死で働いて出世をしたいか?
答え:成果を出し、部下のためになる存在になれるなら出世しても良いかもしれませんが、家族との時間を犠牲にしたり、同僚を蹴落としてまで出世する必要はありません。淡々と仕事をすればよいだけです。

問2 家庭が受験・受験と子どものためだと思い込み、子どもを必死になって勉強させることに意味はありますか?
答え:家庭が塾や学校の延長で、受験競争の雰囲気なんてたまったものではありません。たとえ子どもが世間的に良い学校に行ったとしても、その後の家族や子どもにとって優しい愛情のある人生を歩めるとはとても思えません。子ども自身が興味を持って、自ら勉強できる家庭環境が大切ですが、塾のような競争の家庭は地獄ではないでしょうか。

問3 自分の学歴にこだわって良いことがありますか?
答え:人生はいつでも学びです。大学などの学歴にこだわる人生は不毛です。他人の学歴などは自分にとってそれほど重要ではありません。また、その学歴を名声に媚びる人もいますが、そういう関係は空しいものです。

問4 ただ、お金を求める人生はどうですか?
答え:食べて行けるだけのお金と少しの余裕があれば十分です。人々のために働き、たまたまお金が集まったなら別ですが、お金を貯める人生が目的なら、何のための人生だったのでしょうか。

問5 物で満たされる人生はどうですか?
答え:大きな家に住んで高価なものを持っていても、それが幸せな人生をもたらすとは限りません。死んで何も持ち帰ることができないのですから、物質にこだわるのは愚かです。

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そして、私は考えました。
極限まで、無用な欲望や欲求をそぎ落とすのです。
そぎ落とし、そぎ落とし、残ったもの、それがあなたの人生の目的であり、達成すれば満足して死んでいけるでしょう。
ポジティブな最後を得られるのです。
人生の途中でいくらポジティブでも、死ぬときにネガティブな気持ちは辛くないでしょうか?
では、今からポジティブな人生を選択しましょう。

しかし、それはどのようなものでしょうか?
そう、それは…
夜空を見上げた時に月が輝いて美しいと思う心。
太陽に照らされて輝く花々を見た時に感動する心。
道端で弱っている犬や猫を見たら、何とかして助けたいと思う心。
しいては、困っている人がいたら助けてあげたいと思い、寄り添ってあげる心。
そこには、自分の利益など関係なく、ただ相手を思いやる心があります。
そして、死ぬときにたとえ苦しくても、心穏やかに満ち足りた愛の思いで行けるのです。

ポジティブは苦しみから熟成されるのです。
苦しみ、困難から何かを学ぶことができるのです。
だから、日々を感情的にならず淡々と努力することが大切です。

どんな状況からでも、あなたは思いのみで幸せになれます。
この世的なものに惑わされず、自分の心の声に耳を傾けてください。



※これは、ひでさんの5月広報コンテストで入選した作品です。今回のテーマは「ポジティブにいきましょう」です。

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★一日一愛運動
一日に一度は愛の行いをしましょう。みんなといっしょにあなたの優しい愛を形に表して社会を明るくしましょう。

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