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谷間と呼ばれるアラフォー世代のオリエンテーリングとの向き合い方

はじめに

こちらの文章は「オリエンテーリング Advent Calendar 2021(裏版)」(21日目)の記事として寄稿したものです。主にオリエンテーリングのことをご存知の方向けの内容になっていますので、予めご了解ください。
オリエンテーリング Advent Calendar 2021(本家)
オリエンテーリング Advent Calendar 2021(裏版)

なお、noteを使うこと自体が実は初めてでして、拙い文章と相まって読みにくい面もあろうかと思いますが、ぜひお付き合いいただければ幸いです。

目次

① 自己紹介
② オリエンテーリングとの関わり
③ 加齢に伴う悩みと打開策
④ ナビゲーションスポーツへの回帰
⑤ 今後の展望

① 自己紹介

  • ポイント
    「オリエンテーリング歴25年!の元オリエンティア」
    「体力・走力低下による挫折を学生のうちに経験」

はじめまして!の方が多いと思いますが、yamato と申します。(Twitterアカウントはこちら

1996年に入学してオリエンテーリングに出会い、OC(22期)の一員として活動していました。1996年入学と言っても実感が湧かないと思いますが、トレランで活躍してきた円井(東工)や学連等で長らくオリエンテーリングと関わってきた西脇(東京)あたりがいまもよく知られている感じなのでしょうか?

現役時代はとにかくあちこちに顔を出していたことに加え、その流れで大学の渉外担当や関東&日本学連の幹事を務めていた※こともあり、同世代にはそれなりに知られていた...はずなのですが、一方で残したオリエンテーリングの成績としては正直パッとせず、選手権クラス決勝に出走できたのはインカレショート(当時)も同クラシック(当時)ともに各1回ずつ。しかも、前者は3年次(ICS1998「椛の湖」)、後者は2年次(IC1997「プラトーさとみ」)と、大学からオリエンテーリングを始めた中では珍しく?早熟なオリエンティアでした。

※1998年?の関東学連主催の指導員講習会(実技)では、千葉の山川さんのお宅に伺って近くの公園でご指導をいただいたこともありました。当時小さかったお子さんもすっかり大きくなられて、本当に驚きです。

なお、実際は当時右膝に爆弾を抱えており、特に上級生になってからまともなトレーニングが出来なかったことが大きな要因ではありました。良い頃のイメージを持ちつつ体力・走力を落としたことで「タイムを稼ぐためにリスクを背負ってナビゲーションする」レースが増えてしまい、結果的にちぐはぐになった印象です。

<参考> ICS1998「椛の湖」
 コース図は下記の画像をご覧ください
 成績速報はこちら

決勝では、2分後スタートの源後さん(当時京都4)に4番コントロールで追い付かれ、4分後スタートの篠原(当時筑波3)に8番コントロールで追い付かれたものの、全体14位でのフィニッシュ。大学時代の成績としては唯一誇れる成績です。

女子選手権は同じOC同期の酒井(当時日本女子3)が優勝し、岐阜からの帰りに途中まで車で送っていったのですが、優勝カップ等大きな荷物を抱えて帰っていったのをいまだに思い出します。

ICS1998「椛の湖」決勝(A-Final)
ICS1998「椛の湖」予選

ということで、当時の言葉でいうところの「タコオリエンティア」な感じだったのですが、競技とともに力を入れていたのがホームページの作成でした。当時はスマホなんてあるわけがないし、ガラケーを使ってもi-mode等で簡単なWebサイトが見られる程度。Windows95やWindows98が全盛の頃で、検索エンジンの精度はイマイチだし、そもそも十分なWebコンテンツが無い時代です。いまも定期的に更新されている「Orienteering.com」や「森を走ろう」はこの頃から既に運用されていましたが、大学サークルのホームページの走りとして「OCホームページ」を立ち上げ、サークル内外の交流の活性化を目指していました。

<参考> OCホームページ
2018年2月28日のホームページ開設20周年を記念して、私が運用していた当時のコンテンツをそのまま復活させました。リンク切れもあってコンテンツは当時より縮小してはいますが、過去の成績表等、当時の貴重なデータをアップしています。

2001年当時のOCホームページを再現

なお、現在はとある通信会社で企画・開発系のお仕事をしています。私自身は直接の面識がまだないのですが、新田見さん(お父さんのほう)もいらした会社です。

② オリエンテーリングとの関わり

  • ポイント
    「周囲とともに自身も次第にオリエンテーリングと疎遠に」
    「住環境や人との繋がりは大切」

大学卒業後は院進しまして、1年間OCのオフィシャルを務めました。オフィシャル当時の新入生の1人に今もバリバリ活躍中の寺垣内くんがいまして、その後の彼の活躍ぶりはとても嬉しく思っています。また、1年の最後を締め括るIC2000(愛知)では結果的に最後の優勝となった母校の団体戦優勝(2連覇)に立ち会うことができました。

その後はOCとは少し距離を置いて、インカレの運営を計3回担当しました。いずれも実況担当だったのですが、昨今のインカレのライブ中継を見ると隔世の感がありますね。当時のインカレ(ICS2003(矢板))運営メンバーとはいまだに飲み会が続いており、サークル外との繋がりを持てたことがオリエンテーリングとの関わりを細々とでも継続できた1つの要因かな?と考えています。

あと、当時は神奈川県民だったこともあり、卒業してからは地域クラブの「横浜OLクラブ」に一時期所属していました。クラブカップにも出走しましたが、その後神奈川県から県外に転居したことを契機に次第に疎遠となってしまい以降は地域クラブに所属していません。活動にあまり参加しないまま地域クラブに所属し続けることがやや後ろめたい気がしたのも正直ありました。

こうしてオリエンテーリングと少しずつ距離が生まれるようになったのですが、昨今の若い方と一緒で、オリエンテーリングに代わり登山やマラソンにハマるようになりました。また、私の場合はOCの同期が地方を含めて早々に離散したことも大きかったと思います。登山を始めるきっかけは前述のOC同期の酒井に触発されたからなのですが、登山用品を買い求めたスポーツ用品店の品揃えが(登山用品問わず)豊富だったことや近くにランニングに適した場所=旧江戸川沿いがあったことから、登山に加えてマラソンにも手を出し始めた次第です。今あらためて振り返ると、当時はそこまで深くは考えなかった若かりし頃の住環境がその後に与える影響はとても大きいよな、と強く実感します。ちょうど当時はブログが流行り始めた頃で「山ブログ」を書きながら&読みながら「次はどの山に行こう?」なんて日々考えていたことを思い出します。

ただ、オリエンテーリングに代わる趣味に没頭したアクティブな日々も、結婚や子どもの出生というイベントを経て一気に尻すぼみしていきます。また、ちょうどこのくらいの時期にお仕事が軌道に乗り楽しくなってきたこともあり、徐々に運動すらしなくなっていきました。こうして、オリエンテーリングとの関わりは唯一出身サークルが主催する「OC大会」に出走する程度までに疎遠になりました。

③ 加齢に伴う悩みと打開策

  • ポイント
    「経済力は高まっても自由に使える時間は確実に減っていく」
    「思いきって始めた通勤ランが再起のきっかけに」

元々細身の体形だったのでダイエットとは無縁の生活をしていたのですが、全く運動をしない怠惰な生活を続けるとさすがに体重は増えます。大学1年で48.5kgまで減った体重が気が付けば60kg目前!?になったことでさすがに危機感を覚えまして、2011年夏(当時33歳)に一念発起してランニングを再開することにしました。ただ、小さい子どもはいるし、お仕事も決してそこまで暇ではない状況で「どうすれば走る時間を作れるか?」が最初でかつ最大の課題でした。

当時はJR田町駅近くで勤務していたのですが、田町駅南口には(当時は改装前の)港区スポーツセンターがあり、トレッドミルも数台設置されていました。そこで考えたのが「お昼ご飯の時間を削るだけ削って、削った時間をトレッドミルでのランニングに充てよう!」でした。1時間のお昼休みのうち正味30分を充てることでkm5分ペースなら6km相当、もっと頑張れば6.5km~7kmくらい走ることができます。トレッドミル=全天候型なので、平日の営業日のみ毎日走るだけで月間走行距離100kmを達成できるという優れモノでした。なお、走り始めの頃は正直かなり厳しかったですが、それでも地味に続ければ少しずつ走れるようにはなるもので、ランニング開始1年で10kmを42分程度で走れるようになりました。あと、気になる体重はランニング再開後3ヶ月で約6kg減りました。

ただ、これも「職場近くにスポーツセンターがある」「お昼休みに単独行動をしても職場でそれほど怪しまれない」環境がたまたまあったからこそで、異動により勤務地が変わったことで再考を余儀なくされます。そこで新たに採用したのが「通勤ラン」案でした。通勤ランといっても自宅から職場まで通しで走るのではなく、「電車に乗り続けるよりも途中走るほうがショートカットになるもしくは同等の時間になる区間を通勤ランしよう!」と考えるようにしました。最終的にはどうしても着替えの時間が発生するため通常=電車&徒歩の通勤より多少のロスは発生しますが、それでも日常の生活リズムに大きな影響を与えるほどではありません。職場環境にも依存しますが、ピーク時の2016~2018年頃は年間3000km近くをコンスタントに走れるようになりました。

通勤ランを続けていると、次第に走ることへの抵抗が無くなってきます。一般の方が「自転車に乗って移動しよう」と思う距離を普通に「走って移動しよう」と思うようになる感じですね。体力や走力が付いて楽になっているのはもちろんですが、こうした気持ちの変化が長く走り続けるためにはとても大切だと感じています。

こうして走り続けることで2018年秋(当時40歳)のつくばマラソンではフルマラソンの自己ベストとなる3時間9分台で走ることが出来ました。ただ、さすがに40歳を超えると疲労が抜けにくくなってきますし、2016年に発症した慢性的な腰痛(医者はなかなかヘルニアだと言ってくれないけど、ほぼヘルニア)が時に急に襲ってくるので、以降は走破タイムの維持が厳しい状況が続いています。

そして、昨今は周囲環境の変化に伴いリモートワークが1年9ヶ月ほど続いており通勤ランという手段が取れなくなったため、以前の「お昼休みに走る」を実践しています。が、お昼休みがお仕事で潰れることもありますし、地元で毎日同じルートを走ることによる飽きも正直出てきます。共働きでかつフルタイムで働いていますのでお昼休みを逃すとそのリカバリは非常に難しく、より時間の使い方が重要になっていると日々感じています。

<参考> トレーニング記録と大会成績
ランニングを再開した2011年からトレーニング記録を残しています。記録を残すことで経年の積み重ねが実感できますので、ぜひお試しを。

④ ナビゲーションスポーツへの回帰

  • ポイント
    「山野に行かずともオリエンテーリングやロゲイニングが楽しめる!」
    「Navitabi、素敵!」
    「なんだかんだオリエンテーリングは楽しい」

2011年にランニングを再開して10年が経ちますが、マラソンについては正直圧倒的な走力を持つ方がとても多く、なかなか各大会での入賞等の具体的な目標が立てにくいのが現状です。また、昨今はなかなか自己記録が伸びなくなっている状況に加えて、コロナ禍でありとあらゆるマラソン大会が中止or縮小開催となってしまい、マラソンだけではモチベーションの維持が難しいのも事実です。そんな状況下でマラソンとあわせて陰ながら?いつも気にしてきたのがオリエンテーリングやロゲイニングといったナビゲーションスポーツでした。学生時代には全く縁の無かった主要大会での入賞(M21ASで最高位4位)も、ある程度走れるようになってからは参加回数こそ少なくても何回か優勝や入賞することができるようになり、スポーツそのものの楽しさに加えて、その結果が伴うようになって更に楽しくなってきました。

一方で、特に山野で開催されるオリエンテーリングについては移動時間等でかなりの時間を費やすことになり、家族を抱える状況では負担に感じてしまうのも事実です。私のように山とは無縁の千葉県に住んでいると流行りの矢板や日光がとても遠くに思えてしまい、山武での開催に憧れ(懐かしさ?)を覚えたりしてしまいます。ただ、山野へのこだわりさえ持たなければ、実はオリエンテーリングやロゲイニングをする機会は十分に用意されていると感じています。私が特に「推し」ポイントとして感じているのは以下の3点です。

・大会への当日申込&参加OK
・公園や街中でのオリエンテーリング&ロゲイニング開催
・Navitabiアプリを用いた「いつでもどこでも」オリエンテーリング(ロゲイニング)

1点目と2点目については、特に小さい子どもを抱える家族にとっては最高の推しポイントだと思います。子どもをその辺で遊ばせる感覚でオリエンテーリングに連れていきたいが、当日の体調や天気によっては見合わせる可能性が十分にあるといった状況は結構ありますので、正直本当に助かっていました。私のように一旦オリエンテーリングから離れた人を家族での参加をきっかけに呼び戻すことができるという側面でも大きい意味を持っています。オリエンテーリングを終えた後に公園で自由に子どもを遊ばせることができるなんて最高ですよね。

私自身、第2子が生まれた後にオリエンテーリングと再び疎遠となり、個人としては2016年の千葉県稲毛海浜公園でのオリエンテーリングが実に4年ぶりになったのですが、子どもたちと一緒に1度回った後に前述の寺垣内くんが2人の子どもの面倒を見てくれまして、そのおかげで私自身が1人で走ってこられたという経験があります。この機会を逃していたらオリエンテーリングとのその後の関わり方も変わっていたのかな?と思うと、寺垣内くんやオリエンティアのみなさんの優しさには感謝の言葉しかありません。(なお、子どもたちはその後に稲毛の海岸で水浸しになるまで遊んでくれまして、オリエンテーリングを含めとても満足な1日だったようです。)

そして、3点目については、界隈の方はよくご存じのNavitabiアプリの登場。横浜本牧山頂公園でのオリエンテーリングの際に遠山さん(東京OB)からその構想に関するお話を聞いた際はとてもワクワクしたものですが、コロナ禍によってイベント開催が軒並み自粛となっても有志によりNavitabi上でコースが次々に準備されて実際にオリエンテーリングやロゲイニングの歩みを止めなかったことで、爆発的なヒットに繋がりました。

コースさえ準備しておけば、天気や集合時間を気にしなくても好きな日時に自分のペースでオリエンテーリングやロゲイニングを好きなだけ楽しめる。しかも自分以外の多くの方が素敵なコースを準備してくれているので、自分の思いもよらないコースや場所と巡り合うことができる。そして、単にオリエンテーリングやロゲイニングの機会を享受するだけでなく、ナビゲーションスキルの維持・向上にも繋げることができる。と、本当に良いこと尽くしです(笑)。なお、「ベスト オブ Navitabi アワード」的なモノがあるといいな~と思っている今日この頃です。

ということで長々となりましたが、山野で開催されるオリエンテーリングとはいまだ縁遠くてもオリエンテーリングやロゲイニングを細々と続けられていることについて関係者のみなさんには本当に感謝していますし、その恩恵を受けて今もマイペースでかつ楽しく取り組ませてもらっています。

<参考> Navitabiで公開中のコース一覧
 東西線まちさんぽ①南行徳〜浦安
 東西線まちさんぽ②行徳神社めぐり
 東西線まちさんぽ③西葛西〜葛西臨海公園

⑤ 今後の展望

  • ポイント
    「やりたいことがいろいろあるなかで、常に取捨選択が必要」
    「いつか来るチャンスに向け大事なことは基礎体力や走力の維持」

ということで長々とこの25年ほどの歴史を振り返ってみましたが、最後に「今後どうしていきたいのか?」について簡単に触れたいと思います。

まだ子どもが1人前に成長していないこともあり、自分の時間を自由に作ることはもうしばらくは難しいと感じています。ですが、いつかやって来るその日まで基礎体力や走力をできるだけ維持しておけば、どんなスポーツをするにしても良い方向に働くと信じています。学生時代に体力や走力の低下で苦しんだことも1つの教訓になっていると思うのですが、この1年で参加したロゲイニングイベントにおいて上位に顔を出すことが出来ているのも1つの目に見える成果で、12/4開催の足立フォトロゲイニングでは20代の若者とも僅差で勝負することができました(5時間で48.5km走破)。とはいえ、20代の若者に入賞圏外に追いやられてもいますが...orz(同期の飯野と4位&5位でフィニッシュ)。

長らく活躍されている松澤さんはレジェンド扱いとして、昨今活躍されている前述の新田見さんや入江さんの活躍は1つのモデルとして意識しています。もちろん、同じフィールドで勝負するか?は現時点で何とも言えませんが、選択肢の1つであることは間違いありません。今回はあえてオリエンテーリングをメインでいろいろ書いていますが、フルマラソンのサブスリー、10kmレースのサブ40、地元の草レースの6位入賞、富士登山競走山頂コースの3度目の完走等、やや遠のきつつはあるもののランニングで目指してきた目標もまだ健在です。日本百名山の全制覇は遥か遠くの目標となりましたが、残り51座に挑戦するのも1つのチャレンジなのかもしれません。20kgの砂利を背負って丹沢の大倉尾根を駆け登る丹沢ボッカ駅伝での入賞も大きな目標ですが、5年ほどお付き合いしている腰痛の影響が大きいのでこちらはやや厳しいかも...

と、やりたいことや目指したいことはいろいろあるなかで、それでも今置かれている状況を鑑みて都度取捨選択していく必要がある。また、更なる状況の変化もいつ何時やってくるかわからない。という不確実な状況下でたまたま巡り合うチャンスを物にする1つのポイントが「基礎体力や走力の維持」なのかな?と。50歳なのか?60歳なのか?わかりませんが、フルマラソンくらいの距離を涼しい顔して走ってこられればそれはそれで楽しいかな?と思いますし、更なる視力低下が心配ではあるもののオリエンテーリングやロゲイニングもこれまで以上にワクワクしながら楽しめるかな?とも思っています。

山野でのオリエンテーリングはかれこれ2年以上ご無沙汰な状況(前回の参加が2019年に毘沙門山で開催された農工大大会)ですが、この年末にひさしぶりにエントリーをしています。百八式...ではなく七十二式なのですが、長い距離のオリエンテーリングは学生時代に富士で開催されたロングO大会以来なのでとても楽しみにしています。何とか維持している基礎体力や走力でタフなコースを克服できるか?はこの記事が公開された後にわかると思いますので、みなさんコソッと楽しみにしていてください。ただ、当日の天気予報(気温)を見てかなりひよっていますが...

今後もしばらくはオリエンテーリングやロゲイニングを細々と続けていると思いますので、どこかの大会やイベント等でお会いする方がいらっしゃいましたらぜひよろしくお願いします。また、同じような境遇の同世代の元オリエンティアは他にもいるかもしれませんので、ぜひ温かい目で迎えていただければと思います。全日本大会の年代別出走者数一覧等でいつも「谷間」と言われてしまう私たちの世代ですが、谷間のまま終わるのか?少しずつ膨れていくのか?は長い目で見守っていただけると嬉しいです。

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