見出し画像

:僕のここ2年間の変遷

自分には憧れている、アーティストのような像がある。

それは、自分の人間性そのものを全力でぶつけて投影したような、すこし泥臭い作者なんだけどね。

ボクは創作者として、まだ精神的にかなり未熟です。


Twitterに初めて絵を載せたのは、二年前かな。
この頃からかな、自分の絵を使った創作をしたいと強く思ったんだよ。

だから成長したくて、性格を変えたいと思ったのが一年前...考えすぎて頭が痛いし、混乱することも多かったけど、、

でもそのおかげで、自分の欠点や苦手なことには嫌というほど気がつけた。

今までの考え方、やり方を改めて、苦手なことに向き合えるほどには強くなれたとおもうよ。

もちろんひとりで出来たことでは無いです。苦しい時に、励ましてくれた人がいたからできたんです。
だから苦しい時ほど、分からない時ほどに、価値観の合う人の意見は大切にしたいとおもいました。

でも自分でこう!って、何度も悩んで決めたことは、その選択を曲げなくてもいいとも思う。
それはあくまで、その人の人生を通してボクに言ってくれたことだからね。

最終的には自分で決められるようにならないとさ、宝の地図を書けないことにはほら、冒険には出られないじゃん……笑

そのためにも、はっきりとした自分像?をもって、自分のこと好きでいたいよ...。
ちょっとしたことで迷っちゃって、そのことをよく思う。

自分自身と向き合ったおかげか、他人と真正面から向き合う自信もついたよ。

でも、自分を好きになるのって、ひとによっては簡単なことじゃないよね。

自覚したボクってさ、
自己中で、完璧主義で、負けず嫌いで、飽き性で、主語がなくて(だからこの文章も、実は推敲してもらっているんだけどね。)、占いによると慎重で優しくて真面目、更には親不孝とまで言われたよね……。

案外人見知りだから他人との境界線が明白で疑い深くてさ、恥を忍んで明かすけど、動物とかぬいぐるみにしか心を開けないんだよ。

でもそれってさ、長所でもあるよね、、?

内側だと感じる人は自分ほど大切に思うし、親身になって相談に乗ってあげられる。

こう考えられることが多ければ、自分を嫌いな気持ちが減って、自分のことをすこし好きになれるんじゃないかな、っておもう。
ただ、自分にやさしくしてあげないとこれはできないんだけどね、、

そうはいってもやっぱり厄介でさ。
この性格のせいか、気持ちとか好きなものを表現をすることに、少しだけ恐怖を感じてしまう。

でもほんとうはできるようになりたいから、絵を通して少しづつ緩和してあげたいところなんだ。
絵を描くためにできるようになりたいところ、でもあるんだけどね……笑


お絵描きでもなんでも、何かを一から作るとしてさ。
その時の自分の”くせ”を見つけて、いかに欠点を無くすかが初めは大事なんじゃないかな。
あえてやらない方向でもいいよね。

デッサンはよく必要ないって言われることもあるけど、そのことに気づく練習だとおもってる。
多分、絵で詰まったところは、他のことでもそこで詰まりがち。
その法則をちょっと覚えておくだけでも楽になるかもしれないよね。

もちろんこういう合理的な考え方も必要だとおもうけれど、ボクは何よりも楽しまないといけない。
自分の創作活動を好きになれないといけない。
そこがボクの”くせ”だから。

だから、「いい絵が描けた!」よりも、「この絵好きだ!」の方が今は信用できる。
好きだ!って思って描いているうちに、ボクの中になにか一つ、大きな基準ができて、いずれはそれがいい絵になるんじゃないかっておもう。
この表現が適切かどうかはわかんないけどね……。

今も不安と悩みしかないけど、ちょっとずつ解いていって、すこしづつ進めればそれは成長してるからね。
ボクも本心のところでは焦っているけど、このまま地道に頑張ろうと思えるのは、やっぱり真面目な性格のおかげなのかもしれないな。


1年前に自分の本心を知ろうとしたとき、ボクは生まれた。
創作者としての自分に、やっと向き合えたのだと思う。


2022/02/25.やまと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?