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思い出の曲と振り返る歩いてきた道

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歌は世につれ世は歌につれ
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#大学寮

セーラー服と機関銃とセカンド・ラブ

「日本人が一番多く使う言葉」にて松田聖子の楽曲を大いに楽しませてもらったと書いたが、音楽をガンガンかけられるのは車中であった。子供の頃はカーラジオしか無かったのが、カーステレオでカセットテープを流せるようになり、トンネルでも途切れないのにいたく感激した。大学二年生頃だったと思うが、親父が知り合いの車修理業者から安くチェリーを買ってくれた。 そのころ大学の寮は進駐軍のオンボロ平屋建ての集合から新築のマンション3棟に集約され完全個室となった。二年生にもなるとさすがにテレビを買っ

正常性バイアスからの想像力の欠如

「東尋坊で聴いたオリビアを聴きながら」と同じころの思い出の曲の筆頭はサザンオールスターズの「いとしのエリー」だ。桜咲く季節に進学した大学の寮でカセットテープを何度もリピート再生していたお気に入りだが、本当にヒットしたのは夏休みが終わった後だ。当時久米宏と黒柳徹子の二大看板が司会するザ・ベストテンは大流行していて、まだテレビがない新入寮生は痩せるに便利なメニューだが、テレビがある食堂に集まるのが日常だった。 その年最大のヒット曲である西城秀樹の「ヤングマン」が十何週か連続1位

一度だけ即興作曲と即興演奏に成功

「モンマルトルの一見さん」に異国情緒豊かな「飛んでイスタンブール」について書いた。しかし最もエキゾチックなのは久保田早紀の「異邦人」だ。すっかり忘れていたがサブタイトルには-シルクロードのテーマ-とある。詩も曲も素晴らしく編曲まで完璧に決まっているJ-POPの最高傑作だと今聴いても思う。てっきりNHK特集のシルクロードに便乗したのかと記憶していたら、「異邦人」の方が一年早くこちらの方が火付け役だ。 大ヒットは一大ブームになり、当時すでにヒットを連発していたユーミンが「生涯に