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想像力のオリジン

今日は涼しくて空気が澄んでいて、天気もいいのでその空気を味わいたいと思い音楽を聞きかずに駅まであるいた。気持ちのいい風と夕立を浴びながら歩いているうちに、ふと小学生時代の登下校を思い出した。

朝の登校は同じ小学校に通う子たちで集団登校してました。みんな朝だからなのか全然喋らなかったのを覚えてる。だからポケ〜っと歩きながら色んな妄想をしてた。
つまらない授業中もよく妄想で乗り切っていた。

仲良しの友達と今日何を話そうか、なにして遊ぼうか考えてみたり。その日の給食や時間割り。僕はよくいる厨二病を拗らせたガキンチョだったので進撃の巨人に登場するリヴァイ兵長と共闘して巨人を討伐したり、スペシウム光線で怪獣を倒しまくったり。

時には自分がスーパーサイヤ人5に変身して悟空とベジータに2人相手に圧倒したりしてましたね。因みに知ってる人は分かると思うんですけど、スーパーサイヤ人5なんて原作には存在しません。

当時は変身レベルははスーパーサイヤ人4までしか無かったんですけど、姿形や必殺技も自分で考えたスーパーサイヤ人5を自分の中で作り上げたりしていました。

妄想の世界ってのは決まった範疇に囚われず、自由自在に何でも変化させれることができてしまう。これが妄想の素晴らしいところ。

新しい概念を作り上げてもいいし、本来交わらないものたちを勝手にコラボレーションしても楽しい。
アンパンマンに多重影分身を覚えさせたり、ドラえもんにゴムゴムのピストルを使わせたり。そんな2人を戦わせてどちらが強いか決着させたり。

そんなことを思い出しながら気づいたのは、想像力が育まれる過程ってもしかしたらこういう妄想している時なんじゃないかな。

上に書いたようにアニメの妄想以外にも、人を笑わせるネタとかって妄想してる時に生まれていた記憶がある。
頭の中ならドラえもんにゴムゴムのピストル打たせれるようにふざけ放題なんだよな。だから意外とぽんぽん面白いネタが浮かんできたりする。

他にも友達のことから家族のこと。
暇な時間は人について考えたりもする。これをしてあげたら喜ぶんじゃないのかな、今日怒られてめちゃめちゃむかついた!でも、なんで怒っていたんだろう?とか。人の内側へ向けた想像力を働かすときもそんな時だったきがする。

だから暇って実は人の想像力を育ませる価値ある時間なんじゃ無いのかと思う。

この資本主義社会では一度社会人になれば暇な時間なんてそうそう取れないだろうし、学生でも本やゲーム、ネトフリ、TikTok、YouTubeなど暇を潰せるツールが沢山あるから心や頭を簡単に忙しくできるし、むしろ忙しくされてしまっているだろう。現代は暇を作り出すことが難しい環境にあるんだよなぁ。

だからこそ暇を作り出す工夫をして、想像力を働かせれるような人でありたい。

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