人に見せられない私

#いじめトラウマ克服 #友達 #働き方 #内省

人に見えないところで病んでいたというのは仕事の動機や友人への気持ちと深い底にある宗教の洗脳でした。

仕事を頑張っていて上司にはどこでも認めてもらえました。

多少放送関係はしんどさがありました。局と制作会社に挟まれる立場で、タレントプロダクションの社長が上司あたり、局の言うことも制作会社の言うことも聞かなくて良いとか無茶な指示があったから、働きにくいと感じました。ただこれよりキツイ仕事はきっとないと考えて、次が楽だ、次はもっと楽しくなるさと考えて頑張りました。

週一くらいしか帰宅出来ず、シャワーを会社で済ませて、靴下や下着を買って働いてました。

そんな中、ある映画のプロデューサーの目に止まり、映画広報の仕事に転職しました。

映画広報の会社はとても社長に期待されました。

私は好かれて期待をかけられるとそれを失うのが怖くて、頑張って、絶対に捨てられない人になろうとしてました。

それは友達に対しても同じでした。

目の前の人を喜ばそうといつも必死でした。

ホステスの時も、頑張り過ぎて、痛々しかったと思います。

また、私が必死過ぎたら、周りがやりずらいという空気に気づき、そんなに頑張ってないように演技をする二重の辛さでした。

人に気を遣わせないように、充分に気を使う。これは消耗しました。

学生時代、働きながら、学校へ行き、生活も学費も自分持ちの時には3ヶ月に一度は倒れて寝込みました。

時々誰とも話したくなくなり、電話を抜いて海外に逃げるように出掛けました。また海外に行けない時は都内のホテルでプールに入ったり、マッサージを呼んだりして過ごしました。

仕事が辛い、学校が辛い、学費が欲しい、誰にも言えない。友達を好きだけど宗教やいじめで苦しんだ事は話せず、未だに腹を割れてないような中途半端な気持ちでした。
今も大親友である彼女も悩み事を話さないタイプでした。私はそれなりに恋愛の悩みなら言えましたが、彼女は隠して結果だけ言うタイプで、私は信用されてない不安がありました。

、映画広報で一人前になりたくて頑張っていましたが、実は放送関係の仕事の無理がたたったのか、映画広報に来てから生理痛で数日は休まなければならず、会議だけのためにタクシーで行く日、撮影に生理で休まないように針治療、マッサージがかかせず、お金がかかるのです。

私は学生時代のホステスをまたやらざるを得なくなりました。
昼間の仕事に行くために夜バイトして治療しながら働くうちに、頭痛がひどくなり、睡眠は相変わらず取れないためどんどん悪化していきました。

そんな中、8時45分から22時までは現場でその後会社に戻る、終電帰宅のイベント仕事の最中に吐き気がして目が回り倒れました。この時、当時のパートナーの子供を妊娠していました。

具合は悪阻のせいだとわかりましたが、休めずイベントを終えたら病院に行くしかありませんでした。

病院でも妊娠はハッキリしました。
仕事や立場や年齢から今、産めるか悩んで1週間が過ぎたら、なんと、お腹の中で亡くなっていました。

手術日程を組み、堕胎と同じ方法で子供を出すしかなく、もう、本当に子供には情け無い、申し訳ない、気持ちで死にたくなりました。

パートナーに避妊をお願いしても、30代初め高熱を出したから、子供はできないと言われているの一点張りで聞いてもらえず、私は負けてしまっていました。

もし、わたしが自分をもっと愛せていたら、避妊しない時点で、すぐに縁を切っていたはずなのに、私はその人に父親がこうならいいのにみたいな甘えを許されていました。
どこでも迎えに来てくれて、どこでも連れてってくれて、甘えさせてくれて、楽でした。
避妊しないこと、たまに喧嘩したら黙ってしまうこと以外は欠点は無かったけど、この妊娠は異常妊娠で、私は絨毛ガンになっていました。

再度手術になり、また痛いラミナリアを入れての手術に泣きました。

体が傷モノになった、他の人と結婚出来ないと思い込み暗くなりました。

妊娠と病気のショックでいつも気が狂っているのに平常心で仕事をしようと必死でした。
作品を任され始めた頃で、間も無くひとり立ち出来る時期でしたが、

体が辛く月に7日も余分に休むことが数ヶ月続いた時に社長に辞めると伝えました。

社長は出来るときだけの時給バイトで残らないか?と打診され、そんなことを許してもらっていいのか、、、だったらと3ヶ月続けましたが、時給でいると、社員の給料を超えてしまいました。
他の社員に申し訳なくて社長に再度辞めるとお願いして、銀座で座って接客出来るクラブ一本にしました。

学校を出た時点で、学費や生活費の借金がありました。いつもお金の心配をしていましたが、パートナーには言えませんでした。

なぜなら、小学校からずっと困っても誰も頼れなかったからです。
しんどい、疲れたを誰にも言えない、言い方もわからない、反応が怖いのです。

だめな、相手に都合の悪い自分を見せたら、見捨てられてしまうと考えました。

本音で話すなら死んだ方がマシでした。

私がそうなったのは育ちのせいかなと考え始めていました。
宗教を熱心にしている娘を親は愛していて、宗教を抜けた私をわたしが自分で責めていました。
また夜寝始めるけど、毎日悪夢を見ました。
宗教洗脳のせいで、終末が訪れて、妹達が公安みたいなものに追われ収監され、自分もパートナーに密告されて拷問に遭う夢です。

毒親と言う言葉はまだ一般的ではありませんでした。
親は条件付で愛してくれる存在で、私は親に背いたから愛されていない。
だから、今いるパートナーに避妊をさせることも強く言えない、夢で眠れない事も伝えられない。わたしは愛されないと真っ暗な気持ちでした。