THE JETZEJOHNSONと私

農業まったく関係ない記事をひとつ。
私の人生に最も影響を与えたバンド、THE JETZEJOHNSONについて書いていこうと思います。
何故かというとTHE JETZEJOHNSONまたはジェッジで検索してもほとんど記事が出てこなかったので布教のために書きます。
結構端折って書きますが、それでもボリュームがすごくなります。

そもそもTHE JETZEJOHNSONと書いてザ ジェッジジョンソンと読みます。
固有名詞としてはTHE JETZEJOHNSONもしくはジェッジジョンソンという表記が正式です。
THE JETZEJOHNSONと書くのが長いので、以下ジェッジとします。

人生に影響を与えたというのは、通常は「この曲を聴いて生きる希望を~」とか「青春時代を彩る曲で~」とかいう意味で仰られる人もいらっしゃいます。
しかし自分の場合は少し違います。
妻と初めて出会ったのがジェッジのライブで、下北のClub251でした。
ジェッジがいなかったら妻と出会ってませんから、仲人みたいなバンドなのです。

自分のジェッジとの出会いは2004年に発売されたアルバム「DRPTH OF LAYERS UPPER」でした。

当時インターネットにADSL回線が登場し、ネットがそれまでより身近になった頃です。
当時の静岡県引佐郡細江町という比較的田舎に住んでいた自分は、毎週水曜日に更新されるHIGHLINE RECORDSのWEBページを見ることを楽しみに生活してました。
当時高校生だった自分がときどき通販でCDを買っていたのが小さな優越感で、HIGHLINE RECORDSのランキングとブログを食い入るように見ていました。
そんな中「DRPTH OF LAYERS UPPER」を見つけたときは小さな衝撃がありました。
ジャケットの女の子がデザイン的にとても美しく見えたのです。
描かれているのは女の子のイラストなのに、オタク感がなく、ちゃんと芸術作品として、世界観を表すものとして選択されてるんだと見えたのです。
すぐに同じタイミングで発売されたGRiPのstillと一緒にポチりました。
ついに20年にわたるジェッジとのお付き合いが始まるのです。

最初のSEから入り、1曲目のグレートセイリングがすぐに自分に突き刺さりました。物語のイントロをまさにで表現するソロのリフからのギターの轟音、軽やかなスネアとともにファンタジックな物語が始まっていきました。
歌詞もそうなんですが、曲の世界観がとてもファンタジックで、一気に引き込まれたのを今でも覚えています。
一気に聴いてからの効果音とボーナストラックも「こんなCDの使い方アリなのか」と面白かったです。
どハマりしてかなりリピートして聴いていたと思います。

またジェッジについて語る上でどうしても外せないのがジェッジを司る藤戸じゅにあ氏(以下じゅにさん)の文章力とブログ「料理の別人」です。
今は旧の別人は見れませんが、当時は制作の過程なんかをブログに紹介してくてまして、非常に面白かったです。
今考えると「ほぼ日」と同じことやってましたね。
これでジェッジの音楽とともに藤戸じゅにあ氏のパーソナリティも好きになっていきました。

「DRPTH OF LAYERS UPPER」と对をなす「DRPTH OF LAYERS DOWNER」、ファンタジックな世界観を残しながら洗練された音のミニアルバム「Half World」そしてジェッジのデジタル感を表に出したアルバム「Discoveries」と年1回くらいのリリースが続き、ジェッジのロック感をデジタルに混ぜ込んだアルバム「12WIRES」がリリースされました。

12WIRESは目の覚めるような、当時のどんな曲よりもクオリティを感じたアルバムでした。
音圧、音、作品性、それまで音楽という期待値を超えてくる音楽はそれまでなかったです。
12WIRESのツアーラスト、たしかリキッドルームだったと思いますが、そこで初めてジェッジのライブを見にいきました。
たしかスペシャのライブ観覧プレゼントに応募して当選したのがきっかけです。
大学で石川県にいた自分は夜行バスに乗って東京に行き、初めてTHE JETZEJOHNSONを自分の目で見ることになりました。
ありえないくらい興奮して、フラフラになったことを強烈に覚えてます。
特に自分にとって非常に重要な曲となる「百年の花」の美しい音と、美しさを保ちながら激しいギターの音圧と盛り上がりに泣けてきたのが記憶に刻まれています。

そしてジェッジと自分が大転換を迎えるアルバム「SOLID BREAKS UPPER」が発売されました。

自分は大学院生で就職活動真っ只中でした。お金はないけど石川県ではどうにもならなかったので、夜行バスで東京や大阪にいって、安宿や先に就職していた友人の家に泊めてもらったりしながら就職活動をしていました。
就職活動自体は本当に過酷で、当時はリーマンショック1年後の就活生からしたら荒廃した世界でオアシスを見つけるような過酷さでした。
最終面接で落ちたりしながら、もう立ち直れないんじゃないかと震えながら、人生で初めて本気を出して戦ったと思います。
そんな自分を「SOLID BREAKS UPPER」には本当に助けられました。
最初に聴いたときは12WIRESに比べてインパクトが低く、アレ?となったのですが、収録曲の「the i of TODAY」や「夜をこえて」を挫けそうになったときに聴いて、その歌に勇気づけられ、また立ち向かうことが出来ました。

゛それぞれが飛び込んだ世界から、それぞれの居場所が判るように声を上げて(the i of TODAY)゛
゛いつも見た夢わすれぬように、泣きながら笑って生きてく。信じた言葉疑わぬように、この世界で鳴り響いていて(夜をこえて)゛

「就職して、全然関係ない所にいる藤戸じゅにあに届くように何かを成し遂げる。」
そういう気持ちで必死に自分を奮い立たせてたと思います。

ジェッジ自体も体制の変更という大きな転換点に立ち、藤戸じゅにあソロプロジェクトになるという決断がされました。
藤戸じゅにあ氏の手術と療養が発表され、ジェッジの前に生きるか死ぬかのような壁があることをアナウンスされました。
もちろんライブ活動は久しく行われず、UPPERに对をなすDOWNERを冠した作品もなかなか生まれてきませんでした。
なんの音沙汰もない期間が約4年くらい続き、ジェッジは死んだのかもしれないと誰もが思ったと思います。

突然そのときはきました。
藤戸じゅにあのTwitterが「むくり」とつぶやきました。
そしてリハビリ的な東京ブートレッグの渋谷WWWから、代官山UNIT、Club Queのライブと活動再開に繋がっていったのです。
DOWNERの冠をもつ作品、「TECHNICAL BREAKS DOWNER」もリリースされました。

久しぶりに12WIRESのときと同じ、現存する音楽を超えたのではないかと思ってしまう圧倒的なクオリティを喰らいました。
音の作り込みが尋常じゃなく、ハイレゾ音源をオーディオインターフェイスとST-900を通して聴いたとき、こんなに音が鳴ってるんだと驚嘆しました。

ライブも定期的に行われ、就職して多少お金が入るようになった自分は足繁くライブに通うようになりました。
ジェッジのライブに通っているうちにライブ友達が出来てきました。
Twitterでジェッジの漫画を描いていた人を中心にしてジェッジの輪が広がっていきました。
その広がっていく輪に入ったのが妻でした。
ジェッジの繋がりの中で同じ静岡県出身ということで紹介してくれました。
彼女の住んでいる富士市は自分の営業先でよく行っていることからご飯を食べに行くようになって、付き合うようになり、結婚にいたりました。

結婚式、披露宴にはそれぞれの友人と共にジェッジ仲間の皆さんにも来て頂きました。
披露宴の準備はほとんど妻が行ってくれ、自分はジェッジの曲を使った動画を何本か作りました。
自分の披露宴でのリクエストは入場曲は「Tide of Memories」で退場曲は「百年の花」にすることだけでした。
披露宴のとき、妻がサプライズでジェッジのメンバーからのお祝いのコメントをもらってくれました。
とても嬉しかったのですが、自分も同じことをしようとしてまして、その際に「賢者の贈り物」と言われたことから、妻のサプライズを知ってしまっておりました。
それでもこのサプライズと映像のDVDは家宝です。
披露宴の翌週のワンマンで結婚のことについて触れて、自分と妻のために演奏してくれた曲は本当に感動しました。

結婚してからは一緒にライブにも行きましたが、子供が産まれてからは遠のいています。
コロナもあってなかなか行けないですが、いつかじゅにさんに会わせたいと思ってます。

長くなりましたが、これがTHE JETZEJOHNSONと私です。
ジェッジの曲については全然触れてないですが、Youtubeにいくつか動画が上がっているので見てみてください。
少し貼っておきますので、良かったら聞いてみてください。

挫けそうになったら聴く「夜をこえて」


披露宴の入場曲「Tide of Memories」


ジェッジの代名詞「太陽の帝国」


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