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忍術漫遊 戸澤雪姫 その18 『意見』

寿も下村先生の噂を耳にするが、別になんとも思わないと見えて、肌身を許す様子もない。弥五郎にして見ると、少々自惚(うぬぼ)れがある。

弥「乃公の評判がこれほど宜いのだから、寿もちと惚れそうなのものだ」

と、少々鼻天狗だが、寿は馬の耳に風邪、一向に感じない。弥五郎はこうなると愈々焦れて、寿の許へ通う。此の頃は大分自棄(やけ)気味になって、今迄の弥五郎とはまるっきり違って来た。寿はだんだん様子を探って見ると、弥五郎は寿を手に入れたいばっかりに、旅の浪人に金をやって、大吉楼で暴れさせ、夫れから真剣勝負と言わせて、松並木で果たし合いをさせ、六人を追っ払ったのも芝居で有って、実は寿を手に入れよう手段で有ったと言う事を不図(ふと)した所から内々に聞き込んだものだから、

寿「どうも此頃の御武家には油断は出来ぬ。アア怖やの怖やの……」

と、愈々固くなって、なんと言っても肌身を許さない。弥五郎は然(そ)うなると愈々意地になって通い詰めた。ところが弥五郎には妻がある。あまり良夫が遊女町へ通い詰めるものだから、夫婦喧嘩を始める。弥五郎、寿の所へのみ一生懸命に通うて、近頃では剣術の稽古なんか少しもしないから、門人は次第に減って来る。道場は淋しくなってきた。あんまりの事(こと)故(ゆえ)、女房は見兼ねて意見をすると、

弥「黙れッ、女風情が余計な事を申すな。女中を置き、下男を使い、気楽に養って、貴様は遊び暮しているではないか……男の働きで遊女の一人位愛した所で、愚図愚図言う事はない。門人が少しも来なかろうが、少しも差し支えないわ。喧しく申すと離縁するぞ」

怒鳴りつけて置いてはプイと立ち出で、又寿の許へ通う。幾ら女房が意見をしても糠に釘、初めの間(うち)は夜分(やぶん)隔日(かくじつ)位いであったのが、果ては毎夜毎夜と言う始末、女房は熱くなっている様に思って意見するのだが、良夫弥五郎は振られ通しているのだ。夫(そ)れが為に意地になって頻りに通い詰める。これが為に下村弥五郎の評判は次第に悪くなって来た。女房の身になって見ると、夫(そ)れは堪らない。意見をすると離縁をすると言う。女房も夫れが為に近頃では気が変になってしまった。良夫の事ばかりを思い詰めた結果、死んで良夫に意見をしようと思い付いた女房は、身投げをせんと、端の中央に来り、今や身投げをせんと言う刹那、雪姫主従に助けられたのだ。女房は一伍一什(いちぶしじゅう)の事を物語ってサメザメと泣いた。すべてを聞いた雪姫とお道も可哀想になり、

雪「イヤお察し申します。夫れでは妾が明日及ばずながら、道場へ参って試合った上で、十分意見を加えて見まましょう」

と、請け合って、其の夜は寝(やす)み、其の翌日になると、弥五郎の妻はお道と一緒に宿へ残して置いて、雪姫は身支度をして弥五郎の道場へやって来る。家の構えを見ると、なかなか立派だ。

雪「なるほど立派な道場じゃ……」

玄関にかかって来て、

雪「お頼み申します、お頼み申します」

取「ドーレ」

取次が出て来て見ると、立派な娘が立って居るから、取次の門人は目を丸くして、

取「ナ、なにか御用で……」

雪「妾は武術修行のもので、戸澤雪と申します。先生の御名前を慕って参りました。どうか一本のお立会いを願いまする」

取次はイヨイヨ驚いて仕舞った。

取「オヤオヤ此奴は妙だ。生れて此の方、女の修行者と言うのは初めてだ。それに恐しく器量が宜い。イヤこれは面白いものが舞い込んだ」

と、奥へ来て此の事を言うと、弥五郎今朝帰って見ると、昨夜女房が家出をして居ないのと、寿が一向言う通りにならないので、早や朝酒を飲んで、ムカ腹を立てて居る所へ、女の癖に立ち会いたいと言って来たと聞いて、愈々(いよいよ)癪に障(さ)え、

弥「ナニ女が立ち会いに来た。不届き千万な奴だ。此方へ引き入れて、一つ引っ叩いてやろう。通せ、通せ」

取次は雪姫を道場へ案内する。弥五郎はプンプンして夫れへ立出でて見ると、女修行者と言うのだから、鬼瓦の様な醜い女だろうと思って居ると、これは如何に、愛嬌滴らんばかり、色はスックリ白く、髪は烏の濡羽色、自分が惚れ込んでいる寿より数等上の美人だから、アッと面喰って、ウームと唸りながら立竦(たちすく)んだ。雪姫は平気で、

雪「これはこれは先生、下村弥五郎どのと申されますか。手前は戸澤雪と申します。どうか一本のお立会を願います」

弥「フーム承知いたした。して御身は何流をお習いなすった」

雪「私は無敵流と申す武術を極めました。天下に敵のないところから無敵流と名付けて居ります。オホホホホ」

これを聞くと下村弥五郎ムッとした。何所の道場でも最初は門人を出すものだ。下村弥五郎も高の知れた女とは思ったが、なんだか平気で居るから気味が悪い。門人に指図をすると、イヤ門人は喜んだ。一番美人を殴りつけて、事に依ったら惚れられたい位の考えて代る代る出る。雪姫は一々引き受けて、ポンポン打ち据える。其の太刀打ちの鮮な事は、一本ピシリとやられると、身体一面が痺れて来て、アッと打っ倒れる。十五六人入れ代り立ち代りかかったが、一人として勝つものがない。仕方がないから下村弥五郎が出た。

弥「戸澤雪どのとやら、見事なる御手の内、イザお相手を……」

と、夫れへ進み、太刀を構え、大事を取って身構えた。雪姫は相変わらずニコニコ笑ってヤッと構える。雪姫は一つ酷い目に遭わしてやろうと言う気があるのだから、ワザと八方破れ、隙だらけの構えにつけると、弥五郎は果して侮り、

弥「ヘヘン、こんなものに負けるとはどうも驚いた。イヤ一番小ッ酷く殴ってやろう……」

弥五郎大喝一声叫んで、ヤッと打って掛ると雪姫はヒョイと躱して、ヒラリ飛び上ったと思うと、弥五郎の頭をヒョイと踏んで向うへ飛び降りた。

弥「フーム、アイタ……乃公の頭を踏むとは以ての外、無礼千萬……ウ……ム」

又打って掛る。今度は雪姫、ヒョイと身体を開いたから、弥五郎道場の羽目板をドシーン、アッと驚く所、背後から、首筋許を木太刀の先でグイと突くと、弥五郎羽目板へ頭を押し当てられ、夫れを外そうとするが、なかなか外れない。

弥「ウームウーム、アイタアイタ、鼻が潰れる潰れる」

と唸って居る。雪姫ヒョイと外した。弥五郎怒って向き直り打ってかかる。雪姫はモウこれ位で宜かろうと思ったから、ヤッと叫んでヒューと打ち込んだ木太刀は弥五郎の横っ面を引き叩いた。キャ、ドスーン、二三間刎(は)ね飛ばされウーム、気絶してしまった。門人はアッと驚いたが、手並みに恐れて居るから、小言を言うものがない。

雪「オオッオホ、これは失礼いたしました。御気絶を遊ばすとはお弱いことでございます」

と、冷笑(せせらわら)いながら引き起して活を入れて蘇生させ、

雪「下村先生、大きに失礼仕りました。」

弥「ウーム、イヤどうも恐れ入った。ツイ気分が悪いものだから不覚を取った。どうか奥へ来て頂きたい」

門人に面目ないから、雪姫を奥へ連れ込み、席改まって雪姫は、ソロソロ弥五郎に向って意見を加える。弥五郎もこれには一言もない。

弥「イヤ恐れ入った。実は若気の至りと申し上げたいが、四十面下げての女狂い、誠に面目次第もございまいません」

雪「夫れでは私の意見を御聞き入れ下さいますか」

弥「ハイ、以降は寿の事を思い切るでござろう。実の所これも意地でござって、寿と申す女は斯様斯様、それ故、斯(かく)の始末でござる」

と何もかも言って仕舞った。雪姫も寿の振舞に感心して、

雪「夫れでは、私がお歓びとして差し上げるものがございます……チョイと御免下さいまし」

と、言ったと思うとパッと姿が消えた。

弥「アッ消えた……ハテナ……さてはあまり女として強すぎると思ったが、狐狸妖怪(こりようかい)の類であったか。残念……」

ウムウム唸っている所へ、雪姫は弥五郎の妻のお重を連れて這入って来た。

雪「大きに失礼をいたしました」

弥「アッ、その方はお重ではないか」

雪「ハイ、夫れに就いては斯様斯様でございました。貴方を思い、意見を加えたに、改心なさらぬから、身を殺して諫めようと言うお重どのの本心、人の妻は斯く有りたいもの、只今貴方は改心したと仰った故、お歓びの印に差し上げます。この上は幾久しく仲睦まじく……と申しては若い女の癖に生意気なと仰せでもございましょうが、何をお隠し申しましょう。私は摂州花隈の城主戸澤山城守の娘雪姫でございます」

と、聞いて弥五郎もお重もアッと仰天して、思わず平蜘蛛の様に平伏して、

弥「ヘヘッ、さては音に名高い、戸澤山城守様の御息女雪姫様でございましたか、そうとは存ぜず御無礼のだんだん、誠に恐れ入り奉りまする……

弥五郎、五万石の息女と聞いて無闇に奉り始めた。

ちょっとした解説:無敵流は講談速記本によく登場する流派で、天狗になった武芸者が無敵流と名付け、豪傑にこっぴどくやっつけられるパターン、あるいは今回のように英雄豪傑が一般人をからかうため無敵流を名乗るというものがある。ちなみに雪姫は弥五郎に忍術を使っていない。これは武芸に達しているからで、豪傑としては普通の事だ。実は猿飛佐助も怪力の持主かつ武芸の達人で、忍術に頼らず正々堂々と果たし合いなどをよくしている。もうひとつ、雪姫は基本的に身分を隠して行動をしている。そして時に正体を明すものの、ドラマの水戸黄門の様に、権力を笠にして身分が下の者を押さえ付けたりはしない。あくまで実力で問題を解決している。

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