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忍術漫遊 戸澤雪姫 その07 『盗賊二人』

#それよりだんだん備前地へ入り込み 、三石という所へ来て宿を取った。なにしろ女巡礼が二人、しかも雪姫は恐しい美人だから、どんな旅籠屋へ泊っても大モテだ。やはり女ならでは夜の明けぬ国だ。二人は備前屋という宿の離れ座敷に泊っていると、田舎ではあるが、立派な旅籠屋であるから、客も相当にある。ところが雪姫主従は翌日出立しようとすると、夜の中(うち)から雨が降って出立する事ができない。仕方がないからその日は一日逗留する。他の泊り客も同じく立つ事が出来ないから、雪姫をただの巡礼だと思って、イロイロ話に来る。五月蝿いがこんな事も旅でなければ出来ないことだから、雪姫もお道も良い加減にあしらって話をする。彼方此方から菓子を持って来る。中には呉服屋の手代がいると見えて、

手「お乳母さん、これをどうかお嬢さんに差し上げてくだしまし……ナアニそんなものは沢山ありますよ」

すると今度は小間物屋の手代が意地を張って、

手「乳母どん、どうかこれをお嬢様に差し上げてください。ナアニ古渡りの珊瑚で二十ばかりのもので、お嬢さんのためなら荷物をみな差し上げますよ……」

なにかと持って来る奴を乳母は体よく断る。それでも懲りもせず、夜に入るとみんなが話しに来る。泊り客が大勢詰めかけるから、六畳の部屋に入り切れないで、廊下でしゃがんでいるやつもいる。面白い話が始まる。雪姫はニッコともしない。廊下で中腰になってるやつは、エヘンエヘンと咳払いをする。

○「ヤイ、なんだって咳払いをするんだ」

△「だってお雪さんに見損なわれるといけないから、ここに俺のいることをチョイと知らせておくんだ、エヘン、エヘン」

○「止せよ。頓馬が惣雪隠(そうせっちん)[公衆トイレ]に入ったように変な咳払いをするない」

イヤモウ大変な騒ぎだ。雪姫は五月蝿いばかりでなく、癪に障って堪らないから、一つ驚かしてやろうと思って、ソッと口中で呪文を唱えると、一匹の鼠が何所からか現われ、部屋の中へ入り込んで、ガサガサと這い回る。

△「オヤッ鼠だ、鼠だ。こん畜生、鼠までがお雪さんの色香に見惚れて出て来やァがった。シッシッシ……」

鼠はシッシと云った奴の顔へ飛び付き、鼻の先へガヂリついた。

△「アイタタタ、ウーム……」

さわいでる中に行燈はにわかにパッと消えた。暗くなったから鼠はイヨイヨ暴れる。小口より顔をカリカリ、鼻をガシガシ、おまけにかきむしる噛み付く、イヤ大変な事だ。一同は周章狼狽(しゅうしょうろうばい)して、

△「イアタタタタタ、俺の鼻を齧った、齧った……」

と悲鳴を上げている。その中にお道は灯りを付ける。見ると鼠の姿は消え失せて、一同は血みどろになっている。鼻の先や顔手足一面から血がタラタラと流れてウンウン唸っている。

『戸沢雪姫忍術漫遊 松栄館出版部 松栄館編集部 昭和七(一九三二)年 口絵』


雪「ホホホホ、みなさんは鼠よりも弱い人ばかり。そんな人は私は大嫌い。そうぞうしいから、かえって下さいまし……」

一同は鼠にかきむしられた上に、雪姫には愛想尽しを云われて、散々の体で引き取る。翌朝になると早くに出立して、難なく岡山の城下へ入り込んで来た。松屋という旅籠屋へ泊ったが、何所の旅籠屋へ泊っても同じ事、用もないのに他の泊り客が話しに来る。五月蝿い事はこの上もない。

道「お嬢様、一つあの男らを威(おど)かしつけてやりましょうか」

雪「お止しよ。なるべく相手にしない方が良い」

道「こちらは相手になんにもいたしませんが、用もないのにゾロゾロ出て参って五月蝿いではございませんか。私が二度と来ない様に脅かしてやりましょう」

待ち受けてるとも知らず、若い奴が夜に入ると話に来る。若い奴ばかりではない。頭の禿げた老爺までが、これまたお道の年増姿に思いを掛けてやって来る。ところがお道は胸に一物あるから、

道「サアサ、みなお入りなさい。面白いお遊びをして楽しみましょう。何人いらっしゃるので……なるほど一七人でございますか。サアズッと輪におなりなさい。頭殴りをいたしましょう」

△「ヤアこれは面白い。なるほど私らが若い中にはやった事がある。やりましょう、やりましょう」

甲「どうか私はひとつお嬢さんに殴って頂きたいもので……」

最初籤引きをすると喜助と云う男が当った。

喜「サアお嬢さんでもお乳母さんでも、殴って下さいまし……」

彼方此方からポンポン殴る。軽いから一向イタくない。云い当てられたものは順々に頭を下げる。皆がキャッキャと云いあってる。一人が頭を下げた。乳母のお道は柔術の達人だら、軽く殴ってもよく利く。拳固で一つゴツンとやると、

男「アイタ……ウーム、これは女の殴り方じゃねぇ。ヤイ手前だろう」

□「違う違う、サアサア低首だ、低首だ」

次第に興が乗って来ると雪姫はニコニコ笑っているだけで手出しはしないが、乳母のお道は容赦なくポカンポカンとやる。キャッ、ウーム、中には気絶する奴もいる。一七人中十二人までもお道のために殴られて気絶をした。ヤレ怖いので、その後は恐れて出て来なくなった。

道「お嬢様、いかがでございます。小言の持って行き所がない様に懲してやりました」

雪「オホホホ、馬鹿な男ばかりではないかえ……」

と、主従は笑っている。翌日より城下を彼方此方と見物する。ところがこの松屋にひと月以前より二人の武士が泊っている。これは石川金吾と筑紫の権六という奴、石川金吾と云うのは後に石川五右衛門となる人物、だから悪い事にかけては抜け目がない。権六は金吾の家来同様で、二人は諸国を歩き回って、金がなくなるとチョイチョイ悪い事をする。二人とも武士の胤(たね)ではあるが、武士らしい行いのない人間だ。一ヶ月以前にこの松屋に泊り込んで最初二十両を放り出して置いたから、旅籠屋では安心をしている。ところが二人とも懐中は寂しい。

石「権六、一つ仕事をしないと困るぞ」

権「ヘイ、どんな仕事をしますかな」

石「貴様も頓馬な奴だ。あの階下に泊っている巡礼だ。あれはお嬢様と云っている……乳母や、乳母やと行っている所を見ると、大方主従には違いはない。大分持っていると俺は睨んだ。今夜でも一つせしてめてこい」

権「ようございます」

石「あの乳母というのはなかなか強いと云うではないか。あれほどの美人が旅をするのに付いて歩く位の女だから、なにか一癖あるには違いない」

権「それじゃ私があの女の紙入れなり胴巻なり取ったらどうなさる」

石「その時は家来ではない。兄弟分にしてやろう。義兄弟だ」

権「こいつァ面白い。よろしい。一つやっ付けて見ましょう……」

二人はここに示し合せて、筑紫の権六は巧くやっつけて、飽く迄主人の金吾と義兄弟になってやろうと思いながら、夜に入るのを待ち受けて、時刻を計ってノコノコ階下の座敷、雪姫主従の眠っている部屋へ忍び込んだ。その頃は主人の石川金吾も忍術を知らないから、従って権六も知らない。そこで普通の泥棒なんぞのする方法で雪姫主従の部屋に忍び込んだ。そうして雪姫の眠っていた布団の下から、ソッと引き出した胴巻、権六はそれを懐中して、仕合せ良しとペロリ舌を出し抜足差足、四つん這いになって出ようとすると、

雪「泥棒待てッ……」

権六はハッと驚いた途端、雪姫が枕[木枕]をバッと投げた。それが丁度権六の腰に当った。アッといってそこへ平倒った。雪姫は、

雪「無礼者、逃げる事ならんぞ」

と云っている折しも、乳母のお道は飛び起きて足を持ってズルズル引き寄せた。流石の権六も、枕を投げつけられた腰の痛みに、起き上がる事も出来ない。ウムウム唸っていると、雪姫は乳母のお道に行燈の火をかき立てさせ、ヂッと権六の顔を見て、

雪「お前はここに泊っている武士じゃな。身体に似合わぬ弱い奴じゃ。さては賊であったか、油断のならぬ」

権「ウーム、御勘弁を願いたい。宵の口に貴女が胴巻から小判を取り出されたのを見て、ツイ悪い了見が出たので……」

雪「言い訳するには及ばん。胴巻をこれへ戻しや」

権「フム、返します、返します。アア痛い痛い」

雪「ホホ腰が痛むか」

権「モシお前さんは何で打ったんで……鉄の棒で殴られた様に思いますが」

雪「オホホホ、枕を投げたのじゃ」

権「枕……どうも酷い応え様だ」

雪「私のした事より、その方がした事が一層よろしくない」

権「ウーム、そう云われると一言もございません」

雪「早く胴巻を戻せ。なにを愚図愚図いたしている」

権「イヤ返します……オヤ妙だな。たしかに俺が懐中に入れたんだが……」

道「泥棒、なにを申しておる。お前が盗んだ胴巻ではないか。早くお嬢様に戻しや」

権「イヤ返さないとは云わんが……確かに懐中に入れたのだが……ハテナ妙だ、おかしいなァ、待てよエーッと、布団の間からズルズル引き出して、懐中に捩じ込んで逃げようとした途端に……腰を……落したかな……不思議だなァ」

雪「泥棒、なにを云っておるのじゃ」

権「イエ、私は確かに胴巻を盗りましたね」

雪「ホホホホ盗った者が盗られた者に尋ねるとは……イヤ馬鹿なやつぢゃ」

権「けどここにないから……ハテナ……どこへ落したろう」

この時、雪姫はニコニコ笑いながら、布団の間から胴巻を取り出して、

雪「お前の尋ねる胴巻はこれかい」

権「アッお前さんはふざけた事をしてはいけません。そこにあるならあると早く云って下さらないと、黙っているから一所懸命になって探していたんで……」

雪「ホホホ、胴巻が戻った以上は、お前に用はない。早く引き取ってよかろう」

権「ヘエーどうも不思議だな。確かに俺が懐中に入れたと思ったが、それが何時の間に向うに逆戻り……まさか胴巻に足がある訳ではなかろう」

道「コレ泥棒、なにを愚図愚図云っているのだえ。早く行かないと摘むよ」

権「ナニ摘む、冗談じゃァない……ハテナ、御免なさいまし……」

権六め、腰を擦りながら、自分の座敷へ帰って来た。石川金吾は待ち受けて、

金「どうだ権六、巧くやったか」

権「どうも今夜は変だ。実は斯く斯く云々、私が一旦は手に入れたあの胴巻が、どうして向うへ返っていったのだろう。倒れた時に抜かれたか……あんな怖い女だから、倒れた鬨(すき)に胴巻を取り返しておいて、ワザと戻せなんぞと云ったのであろう。恐しい手の利く奴で……」

金「アハハハハ、失策(しくじ)ったか。馬鹿ッ、そして貴様の胴巻はあるか……」

権六、気が付いて懐中を探ってみると、自分の胴巻がない。

ちょっとした解説:頭殴りというのは、目を閉じて誰が叩いたかを当てるという遊びである。よくギャグパートで利用される。泥棒に入ったが部屋にいたのが忍術使いで……というのも好んで描かれる場面だ。若かりし頃の石川五右衛門が登場しているが、講談速記本においてはよく噛ませ犬として登場する。忍術使いとしては未熟者といった扱いで、弟弟子である霧隠才蔵や猿飛佐助に、よく酷い目に遭わされている。本来ならば庶民のヒーローの石川五右衛門が、なぜ端役に成り下がってしまったのかというと、いくつか理由がある。五衛門は明治時代に人気があった豊臣秀吉に、逆らっている。そして邪道な上に、物語としても飽きられていた。実は石川五右衛門や岩見重太郎などの物語は、明治時代には飽きられていた。それを改修しなんとか面白く仕立て上げていくわけだが、石川五右衛門の物語は面白くすることが難しかった。この点については次章で解説しよう。

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