忍術漫遊 戸澤雪姫 その05 『山賊の来襲』
さてその翌朝になったが、乳母のお道の病気は直らなかった。そこで出立をすることは出来ない。その日も仕方がないので頼んで厄介になり、翌日を待ったが、お道は熱が出て起きる事が出来ぬ。主人も奉公人も旅の女を哀れんで親切に世話をしてくれるから、雪姫も喜んで、介抱に手を尽し、隣村の医者を迎えて診てもらうという始末、お道は手を合せて、
道「お姫様、すみませぬ。私がお姫様にご介抱をして頂くとは勿体のうございます」
雪「アア乳母や、心配おしでないよ。主従はお互いだよ。私がまた何時病気になるかも知れないもの。アア確りおしよ……なにも泣く事はないよ。それからこの後はお姫様と呼ばないで、名前を云うか、お嬢様と云っておくれ。お姫様なぞと云うと人が吃驚するから……」
雪姫はすっかり普通の娘になりすましている。ところがこの家の奉公人は彼此十五六人はいるが、それが入れ交り立ち交り、頻りに親切らしく世話をしてくれるが、それは本当の親切ではない。雪姫が素敵な美人だものだから、気に入られ様と云うので、チヤホヤするのだ。雪姫はそれと早くも悟ったから、なるべくそれらの人々と余計な口を利かぬ様にしていた。お道の病気はそれから二日たっても三日経ってもさらに全快しない。その中(うち)に十日ばかりは夢の様にすぎてしまった。
熱の差し引きがあるから身体を動かしては不可(いか)んと医者の注意があるから、雪姫もしばらくはこの家に厄介になる事に決めた。主人の平左衛門はそれはそれは親切にしてくれて、自分の身内かなんぞの様にしてくれる。それは一つは流石に雪姫は大名の姫君だけあって、何所となく侵し難い気品があったからだ。十日ばかりも厄介になっているものだから、スッカリ家内の者と心安くなってしまった。
ある日、雪姫は主人の平左衛門に向って、
雪「ご主人、永らくご厄介になりました。いずれ御礼はきっといたしまする。つきましては、枕許にただ座っておりますのも退屈で仕様がございません。なにか縫う物がありましたなればお出し下さいませ。縫って進ぜますから……」
平「ヤア恐れ入ります。それでは一つお言葉に甘えてお頼み申したいものがありますので」
と云いつつ反物を持って出て、
平「これを一つ縫っていただくことは出来ますまいか。木綿物なれば宅でも縫う者がありますが、他所行きの羽織や着物は誰も縫う奴がありませんので、何時も隣村まで頼みに行きますのでございます。どうかこれをお頼みしたいので」
雪「ハイ畏まりました。左様なれば……」
と、云うので、その反物を受け取り主人に寸法などを聞いて、自分の部屋へ持って帰り、ボツボツ縫い出した。お道はその有様を見て、五万石の姫君が名主とはいえ、百姓風情の羽織を縫ってやらなければならぬとは勿体ないと、次の室で手を合せて拝みながら、
道「お嬢様、すみませぬ。私ゆえに有難い……摂津花隈の城主五万石の姫君様が、縫い仕事、アア勿体ない。お気の毒な……」
雪「コレコレ、乳母や。その方はなにを云っているのだえ。詰らぬ事をクヨクヨと思うと身体に障るよ。心配せずに早く良くなっておくれ」
道「ハイ。ありがとうございます」
と云えども心では忍び泣き、旅は憂いもの辛いものとはこの事であろう。
ところがこの家に主人の甥で安蔵と云う者がある。こいつは村でも小力がある。それに名主の甥と云うので威張り散らしている。こいつは雪姫が来て以来、大分思し召しがあると見え、ソレ菓子ぢゃ、茶だと、毎日気を付けて自分で持って来て、雪姫の機嫌を取る。雪姫は嫌な奴だと思ってはいるけれども、いい加減に扱っていた。安蔵はそんな事とは知らないから、愛想よく挨拶をすると、ゾクゾク嬉しく、一人で悦に入って、今日もノコノコと雪姫のいる部屋へやって来た。
安「ヘイ、お嬢さん」
乳母のお道がお嬢様、お嬢様と云うから皆その通りに云う。
雪「オオ安蔵どの……」
安「エッヘヘヘヘヘ、安蔵どのは恐れ入りますよ。安さんとでも手軽に云って下さると良いのだが……」
雪「ご冗談を……」
安「イヤ、冗談ぢゃございません。お針仕事でございますか。オオこれは叔父さんの羽織ですな。糸織と云うやつは良うございますな。どうもお嬢さんはお仕事がお上手ですね。その白魚の様な手でチョイチョイ針を動かしておいでなさるご様子というものは、なんと云う綺麗なものでございましょう」
雪「オヤ安蔵どの、なんと云う失礼な事を……人の手を撫でたりして……」
と云いながら振った手で安蔵の脇腹をドンと突くと、ウーン、野郎打ッ倒れてしまった。雪姫はそのまま平気、澄まして仕事をしている所へ、主人の平左衛門がやって来た。
平「ヤアお嬢様、お仕事でございますか。そう急がんでもよろしゅうございますので……オヤ誰だ、不都合な。ここに来て寝ているのは……」
雪「イエイエ、寝ているのではございません。安蔵どのがここへ見えて、斯く斯く云々、手などを振って五月蝿いから私がチョイと当て殺しましたのよ」
平「エッ当て殺した……それは酷い事を……どうかしてやって下さいまし」
雪「それでは仕方がございませんゆえ、活かしてやりましょう」
雪姫が引き起して、エイッと活を入れると、ウーム、アッー、ヒョイと気が付いて起き上がろうとする奴を、
平「エッ、この間抜け野郎ッ」
と平左衛門か横ッ面をポカーン、
安「アイタ……ウーム……」
這(ほ)う這(ほ)うの体で逃げ出した。
雪「ホホホホホ、男のくせになんと弱い人でございましょう……」
と冷笑っている。安蔵め、下郎部屋へ逃げて来て、
安「アア驚いた」
皆「オヤ若旦那、どうしたしました」
安「ウーム、どうしたもこうしたもない。あのお雪さんみたいな強い女に出会ったことはない。今こうこうで当て身を喰った……アイタ………」
□「オヤオヤ、あなたの様な人は困りものです」
笑われて安蔵、散々の体だ。ところが雪姫はこんな所に長居は恐れと思っているが、どうもお道の身体がまだしっかりしないものだから、仕方なく一日二日と送っている。その中にお道の病気もスッカリと快くなった。雪姫は喜んで、
雪「それでは明日出立しよう」
と主人夫婦にもこの事を話し、金子三十両を礼をして出した。すると平左衛門は吃驚して、
平「ココこんなにお金を沢山頂く訳はございません。どうも初めから普通のお方ではないと存じましたが、お乳母どんが時々お姫様、お姫様と口を滑らしておられるのを聞きました。ご出立の際に、どうか本当の素性を明してくださいまし。私も心残りになっていけませんから……」
と云うので、ここでお道が雪姫の素性を明かすと、平左衛門夫婦、安蔵、その他の者は畳に額をすりつけて、
平「ヘヘッ、さる貴いお方とも夢にも存じませんで、誠に恐れ入りました。五万石のお姫様に私の羽織なぞを縫わせては罰が当ります。ヤイ安蔵、手前ヨクも目が潰れなかったものだ。生命があるだけ有難いと思え。この馬鹿野郎め……」
叱りつけながら、早速土蔵から上等の絹布団を出すやら、山海の珍味を取り寄せるやら、大騒ぎをして二人を厚く饗応した。
平「なにとぞ今迄の事は、お姫様、お忘れなさって下さいます様、これが諸国御漫遊でなかったら無礼者とあってお手打になる所でございます。ヘヘッ……」
三拝九拝して恐れ入っている。雪姫とお道はその夜は非常な饗応を受け、明日出立と決っているから、いい加減に切り上げて、寝所に入った。雪姫はスヤスヤと眠る。お道は今宵はどうしたものか、なかなかに寝付かれない。
道「お姫様、お姫様……」
返事がない。
道「オオ良く寝ていらっしゃる……」
お道は床の中でイロイロな事を考えている折柄、何所かでミシリミシリと人の足音がする。お道はハテナと思って耳をそばだてていると、足音は一人ではない。大勢の足音であるから、
道「ハテナ、なんであろう……」
お道はヒョイと立ち上がって、ソッと廊下に出て、雨戸を細目に開けて庭前を覗くと、異様の出で立ちをした曲者が、かれこれ三十人、各自に得物を提げ犇(ひしめ)き合っていた。ハッと驚いたお道は、今度はソッと表門の方へ出て玄関の隙間から覗いてみると、ここにはもう六十人の曲者が何時の間にか表門を開けて乱入している。
道「オヤオヤ泥棒じゃ。大方この山に住んでいる山賊に違いはない」
と思ったからソッと寝所に帰って来て、
道「姫様、お嬢様、お嬢様」
と揺り起こそうとすると、コハ如何に雪姫の姿は見えぬ。
道「オヤッ、今までここにおられた筈じゃが……それでは便所にでもお越し遊ばしたのであろうか……」
待っておる所へ、雪姫はスッと戻って来て、ニコっと笑って、
雪「乳母や、生命知らずが来ておるよ」
道「エッお嬢様はモウご存知で……」
雪「知っているよ。今忍術で私は様子を探って来た。なかなか横着な奴で、この白旗山に住処を構えている山賊だよ。ここに今夜忍び込んだのは、金銀を盗るつもりではないの……」
道「ヘエ、それではなんで忍び込みました」
雪「私を攫って行こうという考えらしいよ」
道「エッそれは大変でございます」
雪「お前も年増だけれども、一緒に攫って行って、慰んだ上、飯炊きに使ってやれいと云っているよ」
道「オヤオヤそれは大変でございます。私も五人や十人は恐れませんが、あんなに沢山おりましては……」
雪「ホホホ、私がついているよ。心配おしでない。こういう時には忍術が役に立つ。マア見ておいで。お前は働くには及ばないよ。私がみな退治(たいじ)てしまってやるから。ここを出立するについて、今まで世話になった礼がしたいと思っていたが、この山賊を退治て後の憂いを除いてやる。こんな良いお礼はないよ。置き土産には丁度良い……」
道「ホンにそれはよい思いつき、私も及ばずながら、柔術は人に負けぬつもり。ウンと働きますよ」
雪「イエイエ、乳母は危ない。私で沢山だよ」
と云っている中にも、足音は次第に奥へ踏み込んでくる様子、奥ではアレ……と云う声がする。ドタンバタンと激しき物音がする。
雪「乳母や、賊が家内の者を縛り出したよ。私をさらうついでに、有り金を取って行こうという気だろう。マア静かにおしよ。私が一つ驚かしてやるから……」
雪姫は忍術という便利な術を心得ているから一向に驚かない。パッと姿を隠して奥の室へ来てみると、主人平左衛門を始め女房も甥の安蔵も召使も、みなが小口より縛られている。山賊の頭らしい奴は大長刀(おおなぎなた)を毘沙門突きにして、頻りに指図をしている。
ちょっとした解説:武芸では無敵の雪姫も、旅慣れていないためトラブルには弱く、少しだけオロオロしているのがなかなか面白い。物語が進むにつれ雪姫はもちろん、お道も成長していく。子供向けの講談速記本ではほぼ完全体の豪傑(重機に脳が付いたような存在)が暴れ続けることが多い。成長の要素が入っていることで、他作品と比べると物語としての完成度は高くなっている。もっともこの時代、すでに本格的な大衆小説が登場しており、それらの作品と比べるべくもないのだが、よく出来た玩具として考えると、なかなかのものだ。世話になった家に山賊がやってきて……というのは定番の場面、この物語は定番の場面が切り貼りしながら作られている。手堅い作り方ではあるが、雪姫とお道というキャラクターに助けられ、目新しい優良作品に仕上がっている。一般人が勇婦の雪姫にチョイと当て殺されてしまう場面や、「乳母や、生命知らずが来ておるよ」という台詞、そして山賊の襲来に少しだけウキウキしている雪姫主従など、徐々にキャラクター像が明確になってくる。