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忍術漫遊 戸澤雪姫 その12 『敵(かたき)の手掛り』

素破こそ一大事と、老女は老体を打ち忘れて、駆け出して行く。夫と見た雪姫は、静かに、

雪「皆様、お騒ぎ召されるな。御城内で狼藉者とはさても合点が参りませぬ。お前様方は奥方のお側を御守り申していられよ」

と、言い様立ち上がって、小妻キリキリと取り上げ、廊下をさして小刻みの爪先走り、雪姫は廊下へ出て、佶(キッ)と向うを見ると、白刄を提げた大の武士が、相手欲しさに刀を振回しては、面白そうに廊下の柱を一々斬りつけて居る。

雪「オヤ、掟厳しき御錠口を破って入り込み、暴れるからは狂人に相違は有るまい……」

と、思った。逃げ迷っている腰元や老婆達は、モウ局口を締め切って、怖いもの見たさの顔さえも覗かして居らぬ。大方は部屋の押入れまたは隅の方にかくれて、ワナワナと震えて居る。これを見た雪姫は、

雪「ハテナ、奥方様が一芸一能をお見立てになりお抱え遊ばした腰元衆の様でもない」

と冷笑(あざわら)いながら部屋の中を見ると、長押しに薙刀が掛って有る。これ幸いとひと走り寄って、取り降ろすや否や、鞘を払って小脇に抱え、バラバラバラッと狼藉者の近くへ進んだ。

雪「何奴なれば、真昼中に掟厳しい御殿へ斬り入るとは、生命知らずの狼藉者、立ち去れッ……」

と、声高く叱り付けた。狼藉者はただアハハハと高笑いして、物をも言わず雪姫目掛けて斬って掛かった。雪姫は素早くチャチーンと受け流した。ところへ知らせに依って、表御殿より若武士達が駆け付けて来たが、一筋の廊下で二人が渡り合って居るので、助成をする事も出来ぬ。且また狼藉者と言うのは殿の小姓頭の下妻五郎太と言って、近頃気が変になっているが、打物取っては毛利家の豪傑数有りと言えども、向うに立つものはないと言われたる豪の者、夫に気狂いが手伝って、こわいものなしと言うのだから、それこそ本当に狂人に刃物のたとえ、うっかり側へ寄っては大変と、若武士は場の狭いのを幸いに遠巻きにして、ワイワイさわぎながら空元気を出して先ず高みの見物宜しくの体だ。雪姫は事ともせず、斬り込んで来る相手の太刀先を受け流し受け流ししながら、

雪「此の狼藉者、斬り捨てにいたしても宜しゅうございますか」

と声を掛けた。すると老女は奥方にこの事を申し上げると、奥方は、

奥「苦しゅうない。禁制を犯したる狼藉者じゃ」

雪「心得ました……」

と言うよりも早く雪姫は、今迄の受け身を変えて、薙刀を水車の如くに、打ち降り打ち降り五郎太目掛けて斬り込んだ。五郎太は打ち込まれ、膝を払われ、アッと叫んでドタリと倒れた。雪姫は飛び込んで行って討つかと思いの外、薙刀を控えて、

雪「狼藉者を打止めましてございまする」

其の声を聞くと、局々(つぼねつぼね)の口々には、腰元老女の顔が折重なって首を出す。奥方は大いに歓び給い、狼藉者は表へ引かして改めて雪姫を招いて、

奥「雪姫殿、御手の中天晴れでござるのう。どうかもう一度妾の願い、姫の御手の中を見せてくださるまいか」

奥方巴も相手が五万石の姫君であるから、言葉も至極丁寧だ。雪姫も辞退すべきに有らずと快く承知の旨を答える。奥方は此の事を大表へ申送る。すると右馬頭輝元公も大いに感じ給い、

輝「夫れは珍しき女丈夫で有る。武術の中で一番難しい馬術を所望して困らして見よう……」

と有って、雪姫の馬術が見たいとの言葉が下った。雪姫夫れを辞退するかと思いの外、ニコッと笑って、

雪「承知いたしました。不束ながら馬術を御覧に入れまする……」

と平気でお受けする。広庭(ひろにわ)には駿馬(しゅんば)が一頭引き出された。立ち出でたる雪姫の姿を見ると、身には馬乗袴を穿(は)いて、薙刀小脇に抱え頭髪はやはり下髪(さげがみ)だ。太守右馬頭輝元公、奥方巴の前は出座、後に続いて老臣首(はじ)め一同の面々、ゾロゾロ立ち現われ、雪姫の馬術を見んものと列を正して控える。素より奥方の後ろには、老女腰元が美しく着飾って居流れる。雪姫、淑やかに右馬頭と奥方に向って一礼すると共に、ドンと薙刀の石突を突いたかと思うと、ヒラリ馬上に跨っていた。この身軽の有様に、一同先ず呆気に取られ、パンパンと思わず手を叩く。雪姫は悠然として手綱を絞り、ハイヨハイヨハイヨハイヨの掛け声静かに、ポカポカと乗り場を輪に駆け出した。暫くの間は輪乗りであったがやがて小脇に薙刀を構えると等しく、腰の捻り一つで駒は右左に敵の間を縫うて駆ける様、自由自在に動かしながら、ピューピュー薙刀を振り出した。或るいは敵を薙ぎ、すくい、突き、刎ねる。静流の極意を見せる。夫れがすむと今度は以前の輪乗りに戻り、薙刀の石突を鎧々(がいがい)とどめ柄(え)を膝で抑えて、手綱は鞍の前輪にかける。

△「オヤオヤこれからなにをするので有ろう」

と見て居る中に、乱れ髪を風に靡かせながら、四度ばかり輪乗りをかけながら、ヤッと叫ぶと馬は首を振り立てて疾風の如くにタッタタッタと駆け出した。雪姫は両手に頭の髪を取り、見る見る高島田に結い上げた。櫛は用いず、鬢付も使わぬので有るから髪結に結って貰ったほどの体裁はないが、夫れでも僅かの間に、然も疾風の如く駆けている馬の背で髪を結い上げるとは驚き入ったる腕前で有ると、太守輝元公を首(はじ)め一同の諸氏、何れも手を叩いて、

大「見事見事、天晴れで有る」

と褒めて居られる。今迄は悪口をしていた腰元や老女も、アッと驚き目を見張っている。面目を施し、奥方の居間へ導かれた雪姫、

○「どうぢゃ雪姫どの、奥女中の指南役として、暫く城内に留まっては給わらぬか……」

雪「ハッ、仰せ忝なくはございますけれど私は年限を切って父より諸国漫遊の許しを受けて居りますもの、折角ながら其の義は御辞退申し上げまする」

と、断った上、城内を下がろうとすると、奥方より当座の褒美として金子百両を下された。雪姫は夫れを忝なく頂戴して、上々の首尾で芸州屋長兵衛の宅へ戻ってくると、長兵衛もこれを非常に悦んで自分の娘か何かの様に町内へ雪姫の天晴れな事を振れ回る。然う斯うする中に諏訪部大八郎の四十九日がすんだから、雪姫は乳母と相談して、広島の城下を出立する事になり、長兵衛には改めこれまでの礼として五十両を与え、又女房には二十両を与え、子分の者にも夫れぞれ心付けをした上、小光を連れて広島城下を出立した。草津へ来ると雪姫は、

雪「乳母や、此処へ来た序でに、一辺宮島へ参詣をしようではないか」

道「ハイ、宜しゅうございまいましょう。安芸の宮島廻れば七里、七子七浦七夷(えびす)と言う事を聞いて居ります。一つ参詣をいたしましょう」

と、三人は便船の有るのを幸い夫れに乗り込んで、海上恙(つつが)なく宮島へ渡り、参詣をすまして、二三日夷屋と言う宿屋に泊まり、七子七浦七夷も見物して、明日は出立しようと言う前日、紅葉谷へ来た三人は、ブラブラ紅葉を眺めて歩いて居ると同じく紅葉を見物の客と見え、三人連れの武士が来掛かった。見ると大分酩酊して居ると見え、蹌踉蹌踉(ひょろひょろ)と足下も定まらず、空の瓢箪を三人ながら肩に担げてブラ提げ、何かくだらぬ事を言いながら、ヨロヨロ歩いて来る。雪姫は先に歩いていたが、引っかかれては五月蠅いと思ったから、なるべく途(みち)の端を通る。二人も同じく素知らぬ顔をして通って居ると早くも見付けた三人は、

武「イヨー、素敵滅法界(すてきめっぽうかい)な美人じゃないか……ゥ……天女の天下った様だ……」

△「フムなるほど、イヤこれはこれは目覚むるばかりの女が二人……ハハァ巡礼だな。どうだ佐藤、内田一つ当たって見ようではないか」

と、三人の泥酔武士は、勝手な熱を吐きながら、ヨロヨロと近付いて来る。

丙「ウイー………イヨ………これはこれは三人巡礼、ミミ身共等は浪人で有るが身分の有るもの、仲間の者七人と共に宮島参詣に参った。静屋と言う一等の宿屋に泊って居る。どうだ、差し支えなくばこれから同道しよう」

と言い理不尽にも先に立って居る雪姫の手を取ったと思うと、アッと叫んでドシーン、二三間向うへ投げ出されて平倒り込んだ。残りの二人の奴はこれを見て大いに驚き、

二「ヤッ、此奴は顔に似合わぬ太い阿魔だ。内田内田、貴様も投げられるとは意気地なし奴、この上は腕突くで引っ立てるから覚悟をしろッ」

と、二人は瓢箪投げ出し、雪姫に武者振り着いて来た。雪姫はニッコと笑って、

雪「無礼しやるな」

と、言いつつヒョイと躱すと、二番目の小光に向ってトツトツトツ、打(ぶつ)かろうとする奴を小光も仇討に出てる位で有るから、相当に手の内は有る。チョイと一人の腕首を掴んでヤッと叫ぶと、紅葉谷の谷間を目掛けてドシーン、真逆様(まっさかさま)に投げ込んだ。其の間に残りの奴はお道の為にこれも谷間へ投げ込まれた。一人の奴は谷間でなかったから、ムクムクと起き上がって、逃げ出そうとする。

雪「コレ乳母や、此奴を召し捕ってお仕舞い……」

お道は飛び掛って引っ捕えた。

武「アイタ、アイタッ……ウームウーム許して呉れ許して呉れ」

道「許す事は出来ぬ。お嬢様如何いたしましょう」

雪「小光どの、此奴に見覚えはございませぬか」

小「エッ……」

言われて小光は昵(じ)っと其の武士の顔を覗き込んでいたが、

小「オオ、これは此の間海田で兄上と妾に斬り掛かった時に居た奴でございます」

雪「然うであろう。私もどうやらあの時見た顔だと思ったから、乳母に押えさせました。コレ浪人、ヨモヤ忘れはすまい。海田の宿外れで諏訪部大八郎と此の小光に斬り掛った覚えがあろう」

武「エッアッ大変……失策(しくじ)った」

と逃げ出さんとしたがもう遅い。柔術の極意に渉ったお道に押えられ身動きも出来ない。

雪「コレお前言わないかえ。酷い目に遭わすよ。乳母やチと責めておやり……」

お道は心得て、グイグイと締め着ける。浪人は目を白黒して、

武「アイタ、アイタ、苦しい苦しい、息が詰まる、息が詰まる、言う言う言うから緩めて呉れ……」

お身は手を緩めてやると、

武「アア痛い痛い、実はあの時、坂田庄左衛門に加担して如何にも諏訪部大八郎兄姉を討たんといたした。内田金蔵と言うものだ。どうか許して呉れ」

雪「然うで有ろう。して坂田庄左衛門と言う奴は、今何所に居る」

武「あの時、仲間八人であったが、七人は庄左衛門と別れ、今此の宮島に来て居る。庄左衛門先生だけは九州の名嶋に赴いた。大方町道場でも開く積りで有ろう。我々もブラブラ出掛ける心算(つもり)で有る」

と、白状した。

ちょっとした解説:雪姫が忍術を使って戦っていないのは、場所が『掟厳しい御殿』だからである。忍術は魔法ではなく合理的な術ではあるものの、例えば正式な決闘の場で使うのは卑怯じゃないかといった考え方も存在していた。もっとも後藤又兵衛といった大豪傑や、人よりも神に近いレベルの名僧には、忍術自体が通用しない。その後、馬術も披露しているが、やはり忍術は使っていない。雪姫は忍術だけが使えるのではなく、忍術も使える勇婦である。殊更に忍術自慢をする必要などなかったというわけだ。

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