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忍術漫遊 戸澤雪姫 その04 『忍術修行』

ある日、虎若丸が別荘に尋ねて来て、

虎「雪姫、その方は毎夜男の姿になって柳原の遊廓に立ち入り、喧嘩の仲人などをいたすと云う。女の癖に怪しからんことをすると、父上のご立腹である。以来廓に出入りする事はならん。もし今後、左様な事が知れると、七生までの勘当をすると仰る……」

云われて雪姫はしばらく考えていたが、

雪「お兄上様、私にどうぞ忍術を教えて下さいまし。私は女に生れていながら、男の業が好きでございます。柔術は乳母に習って今では決して人に負けぬつもりでございますが、まだまだ役に立ちません。どうか忍術を教えてくださいまし」

虎若丸はこれを聞いて、

虎「してその方、柔術というはどれほどの腕前か、この兄が一つ試してやろう」

雪「ハイ参ります」

雪姫は支度をして立ち上がった。乳母のお道は側で見物役、虎若丸の胸倉を掴んでヤッと衣被(きねかぶ)きにして、ドシーンの投げ出したかと思うと、虎若丸は宙でクルリ筋斗打たせて向うてヌクッと突っ立ち、

虎「アハハハハ、生意気な事をする奴だ。今度は兄が行くぞ……」

猿背を伸ばして雪姫の腕首掴んだかと思うと、エイッ、ドシーンと投げつけたかと思うと、これもヒョイと筋斗打たせて突っ立って、

雪「兄上、如何でございます」

虎「ウム、その方なかなか鮮かだ。イヤそれ程の腕前があらば忍術を仕込んでやっても良いが、しかし人間は柔術きりでは駄目である。武芸を習っておかないと、まさかの時に失敗を取る。これから兄が毎日ここへ参って、剣術、長刀を仕込んでやるから、決して跳ね上り者の様に廓なぞへ参る事は相成らぬ。万一その方が左様な事をいたすに於ては、お父上様のお名前に関わる。女がでしゃばるのはよろしくない。能ある鷹は爪を隠すと云うのはここの事である……」

と懇々と意見を加えてその日は立ち帰り、父山城守に雪姫の考えの通りを物語ると、山城守も可愛い娘のこと故、

山「それ程まで申すのであれば、その方が参って武芸を仕込んでやれい。それが出来だして、これなれば忍術を教えても差し支えはないと云う様な暁には、この父が忍術を授けてやる」

虎「ハイ心得ました」

翌日より虎若丸は雪姫の所へ出掛けて来て、剣術を教える。雪姫は好む業であるから上達が早い。わずか一年ばかりの中に、剣術、長刀、馬術までもすっかり覚え込んだ。他に用事がないので、朝から晩まで稽古に凝っているのだから、見る見る虎若丸と互角の腕前になった。時に勝負がつかないので、兄と組打ちをやって力比べで勝敗を決することもある。それでも雪姫は滅多に負けない。

虎「ウム雪姫は恐しく強くなった。この事を父上に申し上げたら、忍術を授けて下さるであろう」

と、虎若丸も大いに喜んで、この事を山城守に話すと、

山「そうか。よしよし俺が一ッ忍術を仕込んでやる。女で忍術使いも天下に類がなくて面白いかも知れぬ」

と、山城守も快く承知をして、城内へ呼び戻して仕込む訳にはいかないから、夜に入ると密かに城内を忍び出て、別荘へやって来て雪姫に忍術の手解きをする。だんだん上達をしてくる。父山城守が来られない時には、兄の虎若丸が代って出掛けて来て仕込んでくれる。お師匠さんが二人で習う弟子がたった一人であるから、上達は目に見える様だ。ところが忍術の稽古はなかなか骨の折れるものだ。けれども雪姫は辛いとも苦しいとも云わない。なにしろ好きで習うのだから一所懸命だ。雪姫が二十の春には天晴れの腕前となり、火遁、水遁、木遁、金遁、土遁のいわゆる五遁の術の外に、蟇の術、蜘蛛の術、蝶変化、鼠変化、ありとあらゆる術を教え込んで、今では兄の虎若丸と試合っても決して負けないほどの腕前になった。

虎「雪姫、モウ大丈夫だよ。決して人に敗負(まけ)ない。城内にも五六人の忍術を修行に来ている者はあるが、その方ほどの腕前の者はあるまい。してこの上はどうする考えじゃ」

雪「ハイ。私は女ながらも諸国を一度廻ってみたいと存じます」

虎「ウム。なかなか面白い考えじゃ。一つ父上に申し上げてみよう……」

虎若丸は城内に帰って父にこの事を話すと、山城守も忍術を譲ったくらいであったから、決して拒まない。

山「それも良かろう。女だからと云って諸国修行が出来ない事はない。三ヶ年の暇を与える。諸国漫遊をして立ち帰る様に申せ……」

虎若丸は大いに喜んで、この事を雪姫に伝える。雪姫も共に喜んで、それより雪姫は父の目通りに出て、

雪「お父上様、三ヶ年のお暇を下さいましてありがとう存じます。必ず名を上げまして立ち帰るでございましょう」

山「コリャコリャ雪姫、生意気な心を出すなよ。男と違って女であるから油断をしてはならぬ。途中なるべく巡礼姿で参れ。五万石のお姫様と云った様な姿ではならぬ」

雪「ハイ、畏まりました」

山「これが路銀である」

と、金子二百両を取り出し、

山「しかし一人で参るか。誰か召し連れるか」

雪「乳母を召し連れたいと存じます」

山「ウム良かろう。あれならちっとは腕が出来る。その方の供には丁度良い。くれぐれも申しておくが、決して女の操を汚してはならぬ。左様の事をいたすと再び城内には入れぬぞ。七生の勘当であるぞ」

雪「仰せ、よく心得ましてございます」

山「いずれ一度は他家に縁付かなければならぬ身の上、あまり腕に任せて乱暴してはならんぞ」

雪「それもよく存じております」

父山城守は懇々と戒める。雪姫は慎んで礼を述べ、一旦は別荘に帰って来て、乳母のお道にこの事を話すと、お道は大いに喜んで、

山「私がお供でございますか。お嬉しゅう存じます。ナニ貴方、私さえお付き申しおりましたら、殿方に指一本もささせる事ではございません。それでは支度をいたしましょう」

と、お道はイソイソ支度に掛る。城内では父の山城守と兄の虎若丸が知っているばかりで、家来なぞはちっとも知らない。雪姫とお道は、支度がチャンと出来ると、伊勢参宮をすると云い立てて、ブラリ別荘を立ち出で、兵庫の土地を出立した。

先ず九州へ出掛けて見ようと云うので、主従二人は巡礼姿でブラブラ道を歩く。急がぬ旅であるから、一日に五里行っては泊り、六里行っては宿を取る。やがて歩いて来たのは摂州姫路の城下だ。この時分は筑前守秀吉が中国征伐をして、毛利家と和し、山崎合戦を済まして間もない折柄であるから、世の中はなんとなく殺気立って、女の旅などは誰も恐れてする者がない。だが雪姫は平気の平左、姫路の城下へ来ると白鷺屋と云う旅籠屋へ泊った。

宿では恐しい美人だから、いずれも驚いている。雪姫は宿帳へ名前をお幸とつけた。この時分、姫路の城主は木下若狭守であって、六十万石の領主であった。羽柴筑前守の一門であるから、なかなか大した勢いだ。雪姫とお道の二人は、毎日城下を見物する。別に変ったこともないから、六日目に姫路の城下を立って、ブラブラ白旗山の麓に掛ったが、その日の暮れ方であった。

道「お姫様、どこかへ宿を取らなければなりますまい」

雪「乳母や、この山を今夜越してみようか」

道「滅相な事を仰せになります。この山には山賊がいるかもしれません」

雪姫「いてもいいよ。二人なら二十や三十に負ける気使いはない。一っぺん私は山賊に出会ってみたいわ」

道「ご冗談ではございません。お兄上様も仰いました。危うい場所に近寄るものではない。万一の事があっては一大事、人間は幾ら腕前が出来ても、用心が肝心じゃと申されました。今夜はどこかこの麓で宿を取りましょう」

雪「お前がそれほど心配するなら、麓で宿を取っても良いが、どこにも旅籠屋らしい所は見えないではないか」

云っているとお道は不意に顔を顰めて、

道「アイタ……」

雪「オヤ乳母や、どうおしだえ」

道「私はお腹がシクシク痛みまして……アイタタタ……」

雪「オヤこんな所で困ったね。何所かに宿はないものか……」

と四辺を見回したが、向うに二三の百姓家が見えるばかりで、旅籠屋らしい家はない。お道はますます悶え苦しむ。流石の男勝りの雪姫もこれには弱って、うろうろしながら、

雪「アア困った。乳母や乳母や、確りおしな。こんな所で倒れていては困るではないか。アアどうしよう。いっそあの家まで背負って行って、一夜の宿を頼んでみよう」

と、雪姫はお道をソッと背負い、七八丁来ると、まだ大門が開いている。これ幸いと、雪姫は門を入って玄関まで掛って来た。

雪「お頼み申します。お頼み申します」

□「ドーレ……」

一人の下男らしいのが出て来た。

男「ヘイどなた……」

雪「ハイ私は旅の巡礼、行き暮れて甚だ難渋いたします。殊に連れの者が急に病気になりまして、甚だ困っております。どうか一夜の宿をお願い申します」

男「ヘーン病人……それはお気の毒……マア旦那にそう云ってみましょう……」

と奥に引っ込んだが、間もなく出て来て、

男「こちらへお通りなさい」

と一室へ案内をしてくれる。雪姫はヤレ嬉しやと、お道を背より降ろして、介抱している所へ主人が出て来た。

主「これはお越しなさい。さぞお困りであろう。私は当家の主人で、名を平左衛門と申します。お前さんは何所(どこ)の人で……」

雪「これは申し遅れました。私は摂津花隈の産まれでございますが、これなる乳母とただ二人、西国三十三ヶ所を巡礼に参る途中でございますが、白旗山の麓にて不意に病気となりまして……御厄介を願ったものでございます。私は雪と申し、これなる乳母は道と申します」

主「アア左様か。それはそれはマアマア気を付けて介抱さっしゃれ。この辺にはチョイと医者がいないので、オイソレと迎える事は出来ぬが、薬があるから進ぜましょう……ナニ癪……それならすぐに直る……サアこのお薬を飲ませなさるが良い」

と親切に薬なぞを持って来てくれる。雪姫はお道を寝かせ、介抱をしながら、その身は運んで来た夕飯をすまし、なおも手当に及んだ。

ちょっとした解説:忍術修行と題してあるが、その描写はほとんどない。理由は忍術の修行は飛び上り続けたり、石を眺め続けたりと、どの作品でもだいたい同じで、当時の人は読んでもあまり面白く感じないからである。雪姫の修業期間から考えると、年齢は恐らく19くらい。講談速記本における主人公の修業期間はバラバラだ。基礎が出来きている豪傑の場合、三ヶ月程度で10倍程度強くなるケースもある。逆に十年以上の修行時代を持つものもいる。これは特に意味はなく物語の展開に合せたものでしかない。雪姫の修業期間が短いのは、美しいお姫様が世直しをするという物語にするためだ。剣術の達人となったはずの豪傑が、腕力で頭蓋骨を破壊したり、200キロ程度の鉄棒を振り回して人体をバラバラにするなど、一切剣術を使用しないといったケースも多く、剣術修業の意味がないといった事例も多い。雪姫の場合は物語の中で、修業した武芸をしっかり披露している。「一っぺん私は山賊に出会ってみたいわ」というのは、雪姫の性格が出ている良い台詞だと思う。

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