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忍術漫遊 戸澤雪姫 その20 『考子の仇討ち 』

亭主は先ほどから何か考えていたが、

亭「エエ、チョイとお待ち下さいまし。只今貴方は、佃の旦那様が枕許に立った時、お姫様、お姫様と仰ったと言うことでございますが、そのお姫様というのは何方で……」

雪「私の事です……」

亭「エッ冗談じゃございません。貴女がお姫様なんて……」

道「コレ亭主、存ぜぬから失礼な事も言えるが、この尾高は摂州花隈の城主五万石、戸澤山城守のお姫君でござんすぞえ」

亭「エ、それでは御大名の姫君……エッヘ……」

道「ホホホ、なにも這い廻らなくても宜しいよ」

亭「イエ、何(ど)ういたしまして、貴女様が御大名のお姫様とは存じませず……イヤ然う言う事なら大丈夫でございます。弓でも鉄砲でも怯(びく)ともいたしません」

と亭主は力味(りきみ)出した。雪姫とお道は翌日になると、宿の亭主の世話で、佃重太夫の一子重次郎に会った。亭主より子細の話をすると重次郎は涙を流しながら万事宜しくと頼んだ。これなら大丈夫と、雪姫は別れて宿へ立帰り、翌日になると雪姫はお道と共に巡礼姿で佃の門前へ出掛け、

雪「どうかお手の内を願いまする。巡礼に御報謝……」

と詠歌を唱えていると、一人の下男が出てきた。

男「オイオイ、手の内は出ないよ。駄目だ駄目だ、行きねぇ、行きねぇ」

ケンもホロロの挨拶、お道はムッとして、

道「お前等に手の内をくれとは言わないよ。黙っておいで……」

ポンと刎ねると、下男は腹を立てて、

下「この巡礼奴、太い事を言いやァがる。打ン殴るぞッ」

と、殴りつけようと、踊り掛って来た奴を、お道は小手先きをチョイと掴んで、ヤッと投げると、ドシーン、玄関の衝立に打(ぶ)つかった。この物音に奥より、バラリ出てきたのが、姦夫の権九郎だ。追ッ取り刀で夫れへ現われ、この体を見るより大いに怒り、

権「ヤア巡礼の癖に狼藉をいたすとは何事だ。勘弁ならん。覚悟をしろ……」

抜き放して、ヤッとお道に斬って掛かった。こう出るであろうと待ち構えていた二人はヒラリ引き外して、お道は飛び込んで、持ったる杓(しゃ)で眉間をハッシと殴った。アッと蹌踉めく所を小手を掴んでヤッと投げ、起しも立てずグイッと膝にて押し伏せ、腕をグイと後ろに廻した。その間に雪姫はバッと姿を隠したかと思うと、奥へ飛び込み、彼方(あちら)此方(こちら)と探し廻って、お玉の部屋へ来て見ると、今迄権九郎と酒を飲んでいたと見え、お玉はホロ酔いとなり、ダラシない姿で盃を左手に持って、

玉「権九郎さん、早くおいでよ。何をしているんだね……私一人を打ち捨て置いてさ」

小言を言っている奴を、雪姫はグイと首筋掴んで押えつけた。

玉「アイタタ……誰だえ、酷い事をするのは……」

雪「誰でもない。私だよ……」

パッと姿を現わすと、お玉は吃驚、アレ……と言う奴を雪姫はグイと小脇に抱え、

雪「サア、ジタバタ騒ぐと摘み殺すよ。静かにするがよい」

お玉は酒の酔いも醒め果てて、ブルブルと震えている。ところへ重次郎が飛び出してきて、

重「ホホ、よく御越し下さいました。コレコレ皆騒ぐではないよ。このお方は父様の敵を取って下さるのぢゃ……」

聞いて一同はピタリ静まる。今迄はお玉と権九郎に恐れていた召使共も、両人が召し捕られると、モウ皆重次郎方となって大喜び、

△「宜い気味だ」

と、踊り上っている。雪姫はお道と共に一間に入り込み、二人を縛って押し入れの中へ放り込み、

雪「コレ重次郎どの、このお玉の親父の道庵と言うお医者を誰かに呼びにやって下さらぬか。お玉が急病と言えば佶度(きっと)慌てて参るに違いない」

重「畏りました……」

重次郎は気に入りの下男忠平にこの事を申し付ける。忠平は喜んで飛び出し、ドンドン隣村の山岡道庵の所へ駆け付けて来て、

忠「セセセ先生、先生、申し上げます、申し上げます、御注進、御注進……」

道「オオ忠平ではないか、御注進などと言って、どうしたのだ」

忠「ヘエ、お玉様が御急病で……」

道「急病、なんだ……」

忠「エエ、疝気(せんき)で急に頭が痛むって……」

道「馬鹿な事を言うな。女に疝気があるか」

忠「イエなんだか急に差し込みが来て大騒ぎをやっております。どうかすぐに御越しになさって……」

道「そうか。それは大変じゃ……ヨシヨシ……」

道庵、取るものも取りあえず、己の悪事が露見しているとは夢にも知らない。今では娘の御陰で、佃の財産を自分の家に大分取り込んで、気楽に暮しているものだから、娘が癪(しゃく)だと聞いて、直ぐ様とんで来た。玄関を上って奥へ通ろうとする奴を、横手に待ち構えていたお道は踊り掛って、突然道庵の小手を掴んで、ヤッと捻じ返した。

山「アイタ……ウームウーム、何をする。全体お前は誰だ……」

道「黙りや。其方は権九郎や娘お玉と相談して佃重太夫を毒殺したであろう。サア真直に白状いたせばよし、強情を張り隠し立てをすると、生命を取るからそう思え」

と言いつつギューギュー柔術の極意で小手を捻じ返す。

山「アイタ……ク苦しい苦しい白状する。ママ待ってくれ。腕が折れる腕が折れる」

素より田舎の藪医者、元気もなにも有りゃァしない。少し責めつけると、意気地なく白状する。

道「サア、言ってお仕舞い」

山「言います、言います、ワ私は娘の玉が重太夫様のお気に入りとなり、気楽に暮している中、不図(ふと)権九郎様と宜い中となり、二人が私に親旦那を毒殺してくれとの相談、私も悪い事とは知りながら、ツイ欲に目がくれ、重太夫様の大恩を忘却して毒を盛って生命を縮めたのでございます。重々恐れ入りました。引続(ひきつづ)いては重次郎様も追って毒殺して、此処の家の田地田畑も山も、有り金から何もかも、お玉と権九郎と私の三人で自由にしようと言う相談が出来ているので、秘かにその機会も待っていたのでございましたが、なかなか重太郎様が利口で、少年ながら用心)堅固(けんご、到頭今迄は手を下すことが出来なかったのでございます。どうか生命だけはお助けなすって下さいまし」

とスッカリ白状する。

雪「それでは生命は助けてあげるから、サア一札を書くが宜い」

山「こうなったら、なんでも書きます……」

筆を取ってサラサラと白状した通りの事を書きとめた。

雪「ヨシヨシ、これで宜いよ。私らは旅の者で重次郎どのの頼みに依って、十分悪人を吟味した上、重次郎どのに仇討ちをさせたい了簡なんだから、事の起りは権九郎という浪人より起ったこと、お前は頼まれていたした事故(ことゆえ)、少々罪は軽い。よってお上に引き渡すつもり。そう思うが宜いよ」

と申渡しをして柱へ縛りつけた。今度は雪姫がお玉に向って、

雪「コレお玉とやら、お前は父の道庵に毒薬を頼んで拵えて貰い、主人なり恩人の佃重太夫を毒殺したに相違あるまい」

玉「イイエ、一向に知りません……」

初めのうちは兎や角と偽っていたが、父の白状した書付をつきつけられ、偽ることが出来なくなり、到頭白状をして仕舞った。それより権九郎を責めたてたが、流石は武士、此奴はオイソレと白状をしない。お道が柔術の極意で打ち据えると、苦しさに何もかも白状して仕舞った。そこで三人共白状した通りを書かせ、重次郎にそれを持たせ、改めて代官所へ願い出た。代官も佃重太夫とは互いに行き来して懇意(こんい)であった仲だから、重次郎の孝道、雪姫とお道の義あり仁ある行いに感じ、

代「向うの河原に於て鬼塚権九郎は斬首(ざんしゅ)を申し付くべき奴なれども、考子重次郎の願いに依って仇討ちを申し付ける。左様心得よ。なおまた重次郎若年につき、戸澤雪どのに助太刀の義、改めて代官より頼み入る」

雪「如何にも承知いたしました……」

と一同は引き取る。そこで道庵は引廻しの上死罪、お玉も同じく獄門となった。イヨイヨ三日目に仇討ちと言う事となった。河原へ夫々支度をして、当日を待ち受ける。この事が知れると近郷(きんごう)近在(きんざい)は大評判で、イヨイヨ当日となると、佃重次郎は身支度に及び、雪姫とお道が付き添いに乗り込んで来る。鬼塚権九郎も引出された。矢来の四方には雲霞(うんか)の如く人が集っている。

名乗りを掛けて重次郎は斬って掛かった。チャチーンチャチーンと刃を合わしたが、なかなかどうして重次郎の及ぶ所ではない。今や重次郎は切り捲られ、タジタジと後退りをする途端、小石に躓き、アッとばかりに打ち倒れる。してやったりと権九郎が踊り込んで斬り下そうとした一刹那、雪姫がサッと飛び込み、権九郎の腕首を掴んでヤッと傍に投げつける。ドシーン流石の権九郎も雪姫にかかっては三文の値打ちもない。群集はこれを見ると、ワアワアと喝采をする。権九郎はようよう起き上がり、重次郎また切り込む。だがどうしても打つ事が出来ない。

それと見ると雪姫は口中に何かを唱えながら、足許にある縄切れを拾って、ヤッと投げると、それが忽ち一匹の蛇となって、くるくると権九郎の足に巻き付いたから、権九郎はアッ……と驚いて、ヨロヨロとするところを雪姫とお道がそれと声をかけると、重次郎は飛び込みさま、ヤア……とばかりに、肩口目掛けて斬りつけた。

権「アッ……」

と、ドシ……ンと、ぶっ倒れるを太刀先でブスリと胸元を通した。此処でトウトウ悪人権九郎、考子の手で倒れた。役人共は見事見事と誉め立てる。此の時に重次郎は一三才であったが、雪姫とお道のすすめにより、又村の重立った者が評定の上、父の名を継ぎ佃重太夫と名乗り家を相続した。その上、父の法事を立派にすませる。これで雪姫も大いに喜んで、

雪「これで幽霊に頼まれた役目を果した。マアマアこんな芽出(めで)度(た)い事はない」

と、一同の者の引き止める袖を払って出立する。一同は村外れまで見送った。後にこの佃重太夫は戸澤山城守の家来となって、忠義を励んだということだ。さても雪姫主従は、これより長坂峠を越え、津和野の城下に入り込んで来た。ここでも又一騒動が持ち上がり、雪姫が例の忍術で悪人を退治た話、又山陰道に於ける雪姫の大活動など、いろいろ面白き物語があるが、本編はまず紙数の限りがある故、残念ながら一先ずはこれで終りとして、又後日筆を改め述べることにする。

(終り)

ちょっとした解説:最後の最後、お道が拷問係りとして活躍しているのが面白い。これはお道にしか出来ない役で、雪姫様が柔術で締め上げて白状させる……なんて場面はとちょっと格好が付かない。

最後に本作の文化的な位置について解説しておこう。

本作が書かれたのは大正12年、その十年も前に机竜之助(つくえりゅうのすけ)が登場している。彼は大衆小説の原点とも称される『大菩薩峠』の主人公、ニヒルで虚無的な剣士であり、音無の構えで人を斬りまくる。いわゆるダークヒーローとして、現在も人々を魅了して止まないというキャラクターだ。雪姫様と龍之介が立ち会えば、もちろん雪姫様の圧勝だろう。しかしながら、物語の面白さやキャラクターとしての深みは、比べものにならない。それなら雪姫に価値がないのかというと、それは少し違う。かって面白い物語を追い求め、少年向けの娯楽物語を読むしかなかった沢山の少女たちがいた。彼女たちは雪姫様の物語と出会い、これは自分たちの物語だと歓びの声を上げだことはずだ。それで十分だと私は思う。

本作の結末は、続編を示唆するものとなっている。本作の結末は、「残念ながら一先ずはこれで終りとして、又後日筆を改め述べることにする。」である。作者、出版社ともに異なる『戸沢雪姫忍術漫遊 松栄館出版部 松栄館編集部 昭和七(一九三二)年』では、「さしも桃山の春を誇った太閤殿下の偉業も、無残な光景(ありさま)となった。この時雪姫は、城内にあって働いたとも云い、あるいはそうでないとも云われているが、その後どうなったのか、最期を知る者は絶えていない。」となっている。今後も雪姫の物語を続ける可能性があるから、続編を示唆し生死不明だとしておく必要があった。

そんなわけで雪姫様は、今も永遠に少女のまま旅を続けている……ということにしておこう。


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